見出し画像

アキタヒデキ写真展「燐光を追って豊かな闇」

アキタさんは一度お会いした事のある方だった。出会いの席で痛飲していた事もあり失念していて失礼極まりなかったけど、覚えていてくれて柔らかい笑顔で出迎えてくれた。

地下の汗臭い熱の篭ったライブハウスの空気。ざらついた肌と髭。タバコ臭くなった髪の毛を疎ましく思いながら、落とし物をしていないか確認する二日酔いの鈍い朝。雑踏の中で急に湧いて出てくる虚無感。どこに居てもマイノリティである感覚。ギターソロが始まる前の永遠みたいな瞬間に恋焦がれる自分。名前をつけることの出来ない心の騒がしい音たち。写真から受け取ったのはそんな感情。

フライヤーの文章には音楽への大きな愛や尊敬が宿っていた。人や風景、感覚についてより深く探求したい、本当の事を捉えたいというアキタさんの魂がぼこぼこと沸騰している音が聞こえた気がした。世界と繋がる方法を探して探して探して、涙を流しながら生きてきたんだろうと想像する。そこに自分を重ねて、帰り道に少し泣いた。

会場で頂いたテンポラリースペース・中森さんとのエピソードが綴られたモノクロのフライヤーの裏面に中森氏のブログの記事が引用されている。私は2人の事を殆ど知らない。しかしその文章からは「ギャラリストと出展者」という関係以上の親密さを感じた。自身の作り上げた展覧会についてこんな風に言葉を貰えるなんて作家冥利に尽きるのではないだろうか。そんな事を思った。それを受けて改めて表面を読み直すと人と人の織りなす「コミュニケーション」の美しさと壮大さにまた胸がざわざわする。真摯な想いが紙面から伝わってくる。こういう言葉を読み続けていきたいし、こんな関係性を作り出せる人たちと一緒に居たいと思う。地に足をつけて、自分を自分以上に見せないでよくて、目と目と手と手で話せる間柄。

展示会からの帰り道「アキタさんの事がもっと知りたいな」と思った。とてもチャーミングに笑う方だった。上下に揺れる髭を眺めながら飲むギネスビールの味を想像しながら雨の後の肌寒い風に身を任せている。涙はもう渇いた。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?