2018/07/20

いきなりだが、『夫のちんぽが入らない』

というタイトルの本を死ぬまで店に置きつづける、と僕は決めている。
この本が本屋lighthouseという屋号の由来の一部だからだ。
目標を持って前に進む人の行く先を照らす光、そして、暗闇に迷いどちらに進めばいいかわからなくなってしまったひとの足元を照らす光。
そういう光になる本を、置きたいと思っている。いや正確には、本はそういう存在、力を持っていると思っている。どんな本でも。誰かにとっての光になる。

ちんぽを読み終えたとき、この本は、いや「こだま」というひとは、多くの人の光になる存在だと思った。だからこの本を、店を畳むまで置きつづけたい。店をはじめてすらいない、というか出版業界にすら入っていないのに、そう思ったことを覚えている。だから屋号を決めるときに、光というテーマが出てきたのは必然だった。僕は、誰のことも否定せずに、読む者が己を肯定できるようになる本が、本当に好きなのだ。



いきなりだが、夫のちんぽが入らない。

この一文ではじまる名作を、こだまさんはいまもまだ生きている。不器用に、苦しみながら、なんとか生きている。そしてそれを、僕たちに物語る。そのとき僕らは光を得て、同時にこだまさんも、自分の人生という物語を物語ることで、光を見出していると信じている。そうであってほしい。

『ここは、おしまいの地』が講談社エッセイ賞を受賞した。ちんぽでは語られなかったこだまさんの「物語」である。これを機に、この本がよりいっそう多くの人の足元を照らす光になるのだと思うと、その一端を、ほんのわずかでも担いたいと、改めて強く思う。

と、同時に。こだまさんの「物語」ができるかぎり長く続くことを、勝手ながら願ってしまう。本当は、こんな苦しい「物語」ははやく終わりにしたいのかもしれない、そのほうが楽なのかもしれない。でも僕は、そうやってこだまさんが不器用に苦しみぬいた「物語」を終えるとき、アホほど泣いて、同じくらいアホほど笑いたいのだ。だってぜったい、まともな終え方しないもん、しょーもない終え方に決まってる。

とにかく。

こだまさんが自らの人生を物語ることで、多くの人が「わたしはこれでよかったんだ」と思えるようになっているのだから。
僕はこだまさんの本をより多くの人に届けて、より多くの人に「わたしはこれでよかったんだ」と思ってもらう手伝いをしたいのだ。
そしてそれをこだまさんに届けたい。あなたの人生はこれでよかったのだ、だってこんなにも多くの人を、照らしているのだから、と。


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