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ジプシーキングスと本屋狂詩曲

一羽のツグミ。
久しぶりに平日休みを取った。2歳の娘と姪のふたり8歳と12歳の姉妹、三人の小さな友人たちを連れて本屋へと行った午後の帰り道、書かれた文章と音楽のことを考えていたり、となりで姪がニュースのことを僕に話していたりした。一羽のツグミが目の前を横切り、ツタに覆われた塀の上にとまった。

「ねえ、あれってなんていう鳥?」
「ツグミじゃないかな」
「スズメじゃなくて?」
「うん、ツグミだと思う。」
「ふうん」

8歳の姪が納得すると、そこにはもう本屋での不満げな表情が消えており、少しほっとした。

本屋で少し色々とあったのだ。
僕が発注してもらっていた本たちを受け取っているあいだ、いちばん歳上のAちゃんは辻村深月さんの『かがみの弧城』の文庫本と単行本が平積みになっているのを見つけ、文庫本の表紙のイラストに釘付けになっていた。

二年ほど前に僕はそれを読んで号泣した。
あらすじは、どこにも行けず部屋に閉じこもっていたこころの目の前で、ある日突然、鏡が光り始めた。輝く鏡をくぐり抜けた先の世界には、似た境遇の7人が集められていた。9時から17時まで。時間厳守のその城で、胸に秘めた願いを叶えるため、7人は隠された鍵を探す(Bookデータベースより)という、子どもの成長が描き込まれたほんのりミステリタッチのものだった。

アニメ化されて映画が公開されたらしく、原作フェアとして平積みになっていたのだろうか。
まだ観に行けていないけれど、子どもたちを連れて観に行きたいと思っていた。

僕がお会計を済ませて、子どもたちのいる少し後ろを振り返ると、Aちゃんはまだその平積みのコーナーにいた。そのすぐ近くで下の姪のBちゃんは僕の娘のEちゃんに『大きなかぶ』の絵本を開いて読んでみせている。Aちゃんは持ってきたお財布を開き小銭を一生懸命に数えて、文庫本とお財布とをにらめっこしていた。

「Aちゃん、それ、気に入った?俺読んで泣いたんだよね」
「読みたいなぁ、でもお金足りないから買えない、ひろくんの貸してよ」
「良いけど、ほんとに読む?」
「うん、読みたい」
「なら、去年の五月のお誕生日何もあげてないから、買ってあげるわ、それ、単行本の赤い表紙がいいんよ、だから単行本買ってあげる、ちゃんと感想聞かせてね?」
「わかった、ありがとう!」

Aちゃんはキラキラと目を輝かせて、Bちゃんの何とも言えない目が僕の顔をじっと見つめていた───来月、お誕生日なのだ……。僕は彼女の目を見た瞬間に、心臓をグッと掴まれた感覚と、僕自身の浅はかさとで、笑ってしまった。

「Aばっかずるい。Bのもほしい」

素直にそう言いながらほっぺを膨らませた。
娘はそんなBちゃんの気持ちにお構いなしに、大きなかぶを少し乱暴にページをめくろうとしながら読むマネをしている。そのままでは売りものの本が台無しになってしまう。

僕は娘から大きなかぶを取り上げた。

娘が泣き、Bちゃんはほっぺを膨らまし続けて、Aちゃんは文庫版を買ったらおまけでついてくるラミネート加工のカードを物欲しげに眺めて、僕を見る。

僕が娘を抱き上げようとすると、いつものひっくり返り作戦をする娘の身体に僕の購入した本たちが当たり、ドゥルーズの『プルーストとシーニュ』とデリダの『名を救う』が床に散らばった。いまの現実のこの状況でこの二冊から学ぶべきものは何もない───まるでそう言わんばかりに思えた。

本たちを拾い上げるよりもひっくり返る娘を先に抱き上げて、大きなカブを手にとり、

「これ、パパお話しできるから、また今度ね」

と、適当なことを言いながら、Bちゃんには

「それなら、Bちゃんも先取りのお誕生日ね、漫画以外選んできていいから」

と、これまた適当なことを言って、単行本の方がいいよとAちゃんに説明する。

ふくれっ面のBちゃんは、不思議の国のアリスの立体絵本を選んで持ってきた。

僕は何とか落としたこの現状にアドバイスをくれないふたりの哲学者たちを拾い上げて、

『大きなかぶ』
『不思議の国のアリス』
『かがみの孤城』

をお会計してもらった。

「8800円になります」

?!?!

不思議の国のアリスの値段を見返す。

なるほどな?───僕はそれでもこの場を円満に離れたくて支払いを済ませて、三人の友人たちそれぞれに、感想をちゃんと次の読書会で聞かせてくれることを約束してもらい、本を手渡した。

Aちゃんがすかさず、アリスの値段に気付く。

「あ、でもあたし、卒業記念もあるから、ひろ大変だし、いいか」

と言うAちゃん。

親父に少し請求しようと思いながら、店をあとに、並んで歩いていた。
四つの影を見ていると、ジプシーキングスのマイウェイがよぎった。
そういえば、僕はどんな内容の本を読んでも終盤になると、ジプシーキングスのマイウェイが耳の奥で響く。

ミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』であれ何でもそうなのだ。ベートーヴェンがずっとEs Muss Sein!と言ってるはずなのだけれど、僕の心の中では、中盤までマーラーやらが流れていて、後半で、ジプシーキングスに変わる。

彼のリズム感がヤナーチェクだったりベートーヴェンだったりしたとしても、僕が感じるのは感傷的なマーラーの交響曲第5番アダージョや歌劇カヴァレリア・ルスティカーナの間奏だ。

ヤナーチェクといえば、四月に新刊が発表された村上春樹さんの1Q84では序盤、延々とヤナーチェクのシンフォニエッタのことを青豆がタクシーで語る。けれども、僕にはヤナーチェクではなくて、ビル・エバンスのワルツフォーデビーが流れてくるジャズのリズム感だったりする。

「そういえば、大きな気球がアメリカ飛んでたんだってさ、ここにも来たりするかな?UFOと思ってたやつ、みんな気球なのかな?」

12歳の姪がニュースのことを話していると小鳥が僕らの目の前を羽ばたいていった。
空を見上げると、気球の代わりに薄い雲が気まぐれにぷかぷかしている。どこからともなく梅の花の香りがした。
春が近くまで来ているのだろう。

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