守次奏さんからの感想。

守次さんは「はじめまして、頌櫻堂書房です」にて「流星雨のアリス」を執筆されました。先だって本房より発送した献本が届いた折、ご自身以外の作品にご感想を述べられておりましたので、Twitterより引かせていただきます(頌櫻堂主人)

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「はじめまして、頌櫻堂書房です」を読了致しましたので拙いながらも感想をば。

Swingさんの「人工老朽化装置」。その名の通り無機物を老朽化させる装置を開発してしまった技術者が老朽化=加速度的に進行する中で自我を獲得するに至った装置との対話、というよりは未知との遭遇を経験するお話で、作中にテンポ良く散りばめられた小ネタやその中にお見事、と思わせる絶妙な落ちへと繋がる伏線が仕込まれていたのには脱帽しました。また、軽快な落ちの中にも技術者だからこそ「ただでは転ばない」という精神と「技術や発想は使い方次第で変わる」というメッセージと大量消費社会の中で捨てられていく「物の時間」に対する悲哀を感じました。同時に、Swingさんのツイートを普段より拝見させていただいていますがその豊かな発想力が結実した物語だとも感じましたり

新瀬影治さんの「Out world/Ideal blade」。第零章と銘打たれている通り、主人公が過去の出来事を回想する形で物語の大筋を提示する形になっています。お話は王道の異能力バトルものの中に主人公が数々の喪失、その中での自分のレゾンデートルがを俯瞰する形である種の哲学的な問いが散りばめられています。また、作中におけるギミック「アイディアル・ブレード」は理想の具現化という大変魅力的な能力を持っていますが、それを手にしたキャラクターは否応なく理想の対極に位置する現実を視認させられている。主人公もまた仲間を失う中で理想と現実とのギャップに苦しんでいます。自分とは何か、という問いに対して思春期は「我思う、故に我あり」という認識を抱きがちですが「他人がいて初めて自分がいるとわかる」という実感を経てリスタートを切る課程、まさしく零章な物語だと感じました。

山崎孝明さんの「護衛船エトロフ、奮戦す」。宇宙空間を舞台にした輸送船団の護衛艦に乗り込んだ民間軍事会社の社員の物語でありますが、SFでありつつもそこにあるのは未来における日常の一シーンであり、巨大勢力同士の衝突というよりは日常を送る企業戦士の戦いの物語だと感じました。また、企業に属する戦闘艦艇というと「機動戦艦ナデシコ」が脳裏をよぎるのですが「ナデシコ」は会社の主流である花形のプロジェクトを担う、また戦闘における花形の戦艦であるのに対して「エトロフ」はどちらかといえば日の当たらない護衛艦と作中でも描写されているようにある程度意識されたところはあるのかな、と思ったりしてニヤリとしました。しかし、本作の魅力はなんと言っても言わば読者である我々の延長線上にある物語なのだということです。そんな非日常と日常が同化した物語の結末はどことなく応歌的で、「私も頑張ろう」と思いました。

遠渡備銀さんの「パラドックス・ボックス」。表題通りにパラドックスを主題とした物語でありながらも主人公の一人称で進むテンポの良い文章や散りばめられた言葉遊びがそれこそ題材の難解さを逆手にとっているかのように読みやすく配置されており、SFでは王道のネタであり我々も一度は耳にしたことのある言葉が作中には登場し、それらが絡み合うことで一つの物語を織り成し、またパラドキシカルな結末へと導いていく構成が月並みな言葉で申し訳ないのですが、本当に凄いと思いました。最後の一文を読んだときにまた冒頭に戻り、つまりこれはこういうことだったのだろうか?と考えさせられました。また、一人称での進行は「自分→世界」という構図だと私は認識しているのですが、結末を見るとそれが逆転し「世界→自分」の物語だったのではないかと一気に「逆転する」カタルシスは見事なものでした。

鉄平さんの「スパゲッティな彼女」。時間空間宇宙という題材が並ぶなかで本作は異色の「百合」を描きつつも生物学的なサイエンスが織り込まれている物語だと感じました。また表題である「スパゲッティな彼女」に関連してか作中のヒロインは「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教」を思わせる発言をしており、主人公とヒロインの物語が始まる事の発端がスパゲッティであることとのダブルミーニングであると気付かされます。しかしながらヒロインの発言は現在の生命倫理と真っ向から対立するようなものであり、それが悪意ではなく純粋な恋愛感情という善意から来ているものだという構成は善意が図らずも悪意より危険になるかもしれないのだというメッセージのように思えました。個人的な見解ですが主人公が記憶を取り戻すまでにヒロインの幾つものエピソードがついてくるのは「スパゲッティコード」とかかっているのかな、と。

巧さんの「不思議少女と不思議のない私」。極度の知りたがりで「不思議」を探求することが生き甲斐だった主人公がその中で「不思議」を知り尽くしたことで最後に残された不思議である「死後の世界」という不思議に挑むために自殺を図ったところ街角でトーストではなくジャムも塗っていないただのプレーンな食パンをくわえた少女と激突し、彼女がよく見ると主人公が知る限り付近にある学校のものではない制服を着ていたりと「不思議」の塊であることに気付き、少女の「不思議」を暴こうとします。その課程のなかで主人公は「自分」が他人から見たら不思議の塊であると諭されるのですが、この物語もまた「世界→自分」という認識の構造を再確認する物語であり、あれこれと不思議を辿りながらも「身の回りのことには案外気づかない」という日常の中にある結末がサイエンスフィクションというより「少し不思議」な物語だと感じました。

紗水あうらさんの「漂泊知性の地平線」。実は一度本になる前に拝見させていただいたのですが、その時とは結末が百八十度違っていることに衝撃を受けました。しかしながら、それがかえって表題が持つ意味が本作の結末と幻の結末のダブルミーニングとなって二度美味しかったと思いました。本作は宇宙船に乗せられ言ってしまえば漂流刑に処された青年と看守に当たる人工知能が対話を経るなかで無機質だった人工知能がついには「知識」ではなく「知性」であり感情を獲得するに至ったという物語なのですが、自我というのは機械的なプログラムの対極に位置するというイメージなのですが、それは言ってしまえば機械的な管理システムの視点から見ればエラーであり不要物でもあります。知性を得た「彼女」は抹消され、宇宙船も機能を停止したことで主人公が望んでいた自死も、短い時間であれど同じ思いに至った「彼女」と共に死を迎えるという形で叶うかと思われましたが、待っていたのは「知性」をリセット、漂白された「管理システム」の再起動であり宇宙漂流という当てのない地平線を追いかけるような過酷な刑罰がまた始まるという悲哀に満ちたエンディングからは世の中そんなに上手くいかないという無情を感じました。

長々と失礼しましたがこれにて感想を終わります。凄まじい作品が並ぶなかで自分は果たして大丈夫だったのだろうかと不安になりますが、エネルギーに満ち溢れた作品の数々に触れられたこと、またこの合同誌に寄稿できたことは貴重な体験でした。主筆の紗水あうら様にはこの場を借りて深い感謝を。

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