ドストエフスキー『白痴』についてⅠ
これは「黙示録」的な復活を待つ物語である。
主人公のムイシュキン公爵は「精神病者」であり、性的に不能、家族や友人といった記憶はないが、公爵として財産を持つ。
彼は療養を終えた列車でロゴージンという若者と出会う。
ロゴージンは、
ナスターシャ・フィリッポブナという美女に心を奪われていた。
ナスターシャ・フィリッポブナは早くに両親を亡くした絶世の美女で、財産もなく、トーツキーという金持ち地主に囲われていた。
トーツキーは結婚話があったため、彼女を持参金を持たせて嫁がせようとしていたが、それを知ったナスターシャは「私は汚れた女だ」と悲憤に駆られる。
それを知った、主人公ムイシュキン公爵は、彼女に求婚する。
「私は純潔なあなたをもらうので、ロゴージンのものなんかじゃありませんよ」
「私が純潔ですって?」
「あなたには罪はありませんよ。私はあなたを熱愛しています」
その前のくだりで、彼女は年に二月、ほとんど性地獄といった過去を語っていた。
性的DVに傷を受けたナスターシャを、不能のムイシュキン公爵が求婚し、純潔を主張する構図は興味深い。
ムイシュキンはこの不幸な美しい心の女性を救ってやりたいと心から想っていたのだ。
ナスターシャの心は、ロゴージンとムイシュキンとの間を振り子のように振れる。
そうして悲劇が訪れるのだが、続きはぜひ本作を読んで欲しい。
ここでは、復活のテーマが重要となることを指摘しておく。
ラスコーリニコフ風に言うと、
ナスターシャは囲われている間に一度死んだのだ。
ムイシュキン公爵も、
癲癇や何やの病で死んで、そしてふたりが出会う。
ふたりで一緒に復活しようという誘いに他ならない。
互いに性に苦しむ者通し、ということもあるのか。
しかし、ロゴージンの家に、ホルバインの「墓の中の死せるキリスト」が飾られているのは偶然ではない。
該当箇所では絶望が語られている。
あれほど人を生きかえらせるという奇跡を起こした神の子にもかかわらず、その自然法則には勝てない、という絶望。
それは、来たるべき復活への重要な伏線である。
ドストエフスキーは実際に、このホルバインの絵画をみていて、そのときの様子を書き記している。暫く衝撃で立ち直れなかったほどだった。
以下を語るにはネタバレの危険を冒さねばならないので、別の記事に分けて後日公開しよう。
タリタ・クミ
以上。
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