かけがえのなさーーー『ツレがうつになりまして。』(映画評)
キャッチコピーは「ガンバらないぞ!」「すこやかなる時も、病める時も、君と一緒にいたい。」。
この、「すこやかなるときも、病める時も」という言葉を手がかりに、物語を見ていきたい。
主人公は宮﨑あおい(ハルさん)。夫の堺雅人(幹夫)が仕事の激務の末鬱病に倒れる。
結婚五年目。
妻、ハルは夫の病気を治すことを決心し、仕事を辞めないと離婚するとまで迫り、夫の病気を治すことを決意する。そして、そこからふたりのツライ闘病生活が始まる・・・。
どちらかというと、この映画は「鬱病」という病気の方に焦点が当てられがちだと思う。
しかし、結婚して、夫婦の片方(あるいは両方が)難病を抱えているケースは意外とあるのではないだろうか。
鬱病は誰しも掛かる可能性はある、処置を間違うと死に至る病。
しかし、病気は病気だ。他の病気とは繋がりがある。
吹越満が患者役として出ているが、鬱病と分かった途端、それが原因で離婚したという。
病気や金欠(リストラ等)が分かったから離婚、これはあり得ることだ。
どうしても、カルテットの「夫婦は別れられる家族」という言葉が頭をよぎって離れない。
恋人ならなおさらだろう。
損切り。それがふつうのことなのだ。
ハルさんは、夫の病気が悪化するまで気付かない。
そのことを悔いるが遅い。
また、家計のために仕事をはじめ、つい辛く当たってしまうことがある。そのため、夫は自殺未遂を起こす。これも、悔いるが遅い。
問題は互いに互いを認められているかどうか。あるいは自尊心の問題もあるのかもしれない。
通常なら軽く過ぎ去っていくようなエピソードでも、鬱病では重く響く。
しかし、病気ではなくても、やはり相手に認められていないという感覚は非常に辛いし、それでは一緒に居る意味がない。
たとえば、夫のことを無視する妻娘との家庭生活は破綻の未来しかない。
それでも、本質的に、互いに互いを必要としていたから、このかけがえのない関係が顕現する。そしてその継続の困難さをここに示している。
すこやかなる時も、病める時も
病気とお金の問題は愛をくすませる。
鮮やかな色彩を持っていたものが灰色の色のない世界へと堕していく。
このかけがえのなさ、関係は、事ほど左様に、難しい。
病気になった、お金がない、様々なシチュエーションに応用できる、そういう、ある意味実用的な映画。
このかけがえのなさとかけがえのないふたりの関係を観て貰えればと思う。以上。
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