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"ファミリースピリット"ってなんだろう?"家族的な"ってなんだろう?-100日連続投稿noteに挑戦day8-

浅井病院の事務の皆さんを訪問した時にも感じた、"家族感"が今日書きたいこと。遠大な内容になりそうなので手短かなレベルで^_^

タイトル画像は次男作の親子パンダ^_^(かわいいっしょ?画角がうまく収められず残念)

ファミリースピリットとは?家族的なるものとは?そもそもの理解

来年2020年5月に開催予定の、母校である鹿児島ラ・サール高校同窓会、東京支部総会の幹事学年に当たり、夏ぐらいからなかまたちと準備を始めています^_^

ラ・サールを象徴する言葉として、"ファミリースピリット"があるのですが、上下10個ずつ違いの先輩後輩のみなさん(上から77歳の大先輩はじめ、67歳、57歳、37歳、27歳の各学年のみなさん)とで幹事学年グループを形成して毎月ミーティングしています。

みなで企画を考えていて、あがるキーワードの一つにファミリースピリットがあり、ふと、思いました。

ファミリースピリットってなんだろう?

世界平和の実現への道を照れずに考えるとき、
より良いコミュニティのあり方を考えるとき、  郷土愛について考え直すとき、
同窓会をどう盛り上げるか、そもそもなんのためにやるのか、考えるとき、
自分の親や家族と向き合うとき、
子どもとどのように関わるか、を考えるとき

その根源のひとつを形成していそうな、家族とはなにか、家族感を感じる、とは、家族的な、とは、家族愛とは、ファミリースピリットってなに?ということへの理解を深めたい、と思うのです。

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(家族感たっぷりのコルクラボめんと春合宿2019の一コマ^_^)

冒頭の会議に戻って。。。
その懇親会でのこと。同級生の家族問題に踏み込んでなんども夜通し語り明かした(本人の行動修正を諭した)、というエピソードを話してくれた先輩がいて、ヒントな気がして聴いてました。その相手の同級生とは今でも良好な関係とのこと。

ファミリースピリットのひとつの表現は、踏み込んで関わっても関係性が壊れないこと?


いつも自分の家族が理想なわけでもない

ファミリースピリットの前提には、家族っていいもの。家族ってひとつの理想、という想定があるように感じます。

もちろん、生まれてきて最初の関わりを得る存在だし、ほとんどの人が、血のつながりはさておき、誰かに手をかけてもらって抱っこしてもらって、家族的な関係性の中で育ってくるわけだし、人間関係構築の原型に影響を与える可能性があるわけだから、ひとつの理想、前提に置くのも、わからなくもない。

でも、実の家族でも、関わりからそれぞれ悪気なく、「不和」は発生するし、愛の表現も理解も年齢関係なくそれぞれだし、理想的な親子関係、家族関係の中で育つ人ばかりじゃないし、自分もそうだったけど、親のきめつけや価値観、しがらみの象徴である郷土から離れたくてしょうがない時期もあるし。。。親や家族を憎む瞬間もあり得る。。。

上記の先輩のように踏み込んで意見した結果、裏目に出て、仲違いして家族的な関係性で無くなる体験をした人もいるだろうし。。。


ぐだぐた書いてて気づくのは、個人がそれぞれ持つごく私的な家族像、家族感と、ここでの標語のような、ファミリースピリットは別のものでいい、ということと(だって標語だもん)、


より大きな何かを実現したいひとが、設定したモットーというか、キーワードなんだろうな。

そして、家族的な関わりの成立のためには、根本的な信頼関係や絆のやうなものが必要で、そのためにも、まずは"知っていること"、が前提として必要だなあ、ということ。

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(鹿児島ラ・サール40期メンツ^_^それぞれおじさんになりましたな^_^)

家族的な関わり、ファミリースピリットの前提には、"知っていること"、"つながっていること"、が必要?

知っているからこそ、他人事ではないし、人づてでも、紹介されたら関わるし、知っているからこそ、家族的な関わりも生まれ得るというか、ハードルが下がる。

知るためには、つながる必要がある。直接じゃなくても、共通体験や共通の文化、共通の恩師や共通の友人知人がいるだけでも違う。

これらの"ファミリースピリット"の前提にあるものを、大切にしながら考えながら進んでいけば、なんだか、来年の同窓会も、コミュニティプロデュースも、ありとあらゆる場づくりも、良い場が創れそうな気がするなあ^_^

つながるために、まず何が必要か、現状何がつながることを阻害しているのか、勝手につながっていくためにどのような環境のデザインが有効か、、、逆に、つながらない、知り合いたくない、という個人の権利や選択肢をどう守るか、も含めて、、、ヒントが見えてくるなあ^_^


ファミリースピリット、この家族的なるものへの探求

リアル家族が、家族感や家族愛を比較的持ちやすいのは、「お互いを知っている時間や共通体験が濃密な場合」な気がして、、、(そうじゃない場合もあるかもだけど)、それがあれば、ファミリースピリットは自然に生まれるし、表現されていくのかもしれない。

もちろん、好き嫌いもあっていいし、選ぶ自由は誰にでも担保されるべきだし、逃げたければ逃げればいいと思ってる。きっと自分もしんどくなったら逃げるし^_^


でもおそらく、これからの人生、

・実の家族、身近な友人知人、"仲間たち”との関わり
・子どもたちとのバスケコーチとしての関わり
・場づくりのファシリテーターとしての関わり
・同窓会幹事学年としての関わり
・"病院事務方ファミリー"での関わり
・ビジネスを通じた関わりの中での家族的な瞬間や場面の創出を通じた関わり
・高橋歩とのハワイ島でのWorld peaceプロジェクト事業での子どもたちとの、その親御さんとの関わり
・モテるじいさんネットワークとの関わり

家族的なものに対する探究心はおそらく、一生やまない。

これからの人生を通じて、この探求は、続くのだろうなあ。全ての活動を通じて。そしてそれが自分が関わる相手や、コミュニティや場や、最終的には社会につながっていくといいな。自分にできること、やっていこう。


あなたは、どんなときに家族的な関わりを感じていますか?

どんな関わりがあなたにとって、心地よい関係性ですか?


そして探求はつづく。

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(我が"息子娘"たち"^_^ 昨年度の卒団式より。愛してるよ〜^_^)

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