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能登震災における航空活動について

整理しておこうと思ったのですが、どこからなにを書けばいいのか悩んでしまいました。とりあえず、最小限のことだけでも、ここに書き残しておきます。

緊急消防援助隊

ヘリベースの設置

こうした災害のときは、全国の消防防災航空隊で作っている「緊急消防援助隊」の活動が始まります。石川県にも防災ヘリが1機ありますが、それだけで対応できるはずがないので、全国の都道府県や消防庁から防災消防ヘリを集めるのです。
これらを集結させる基地を「ヘリベース」といいますが、石川県が策定していた災害時の受援計画では「小松空港」または「能登空港」となっています。

石川県緊急消防援助隊受援計画(2021(令和3)年3月)より

能登空港は道路の寸断で孤立状態になり、ヘリベースは小松空港に設定されました。しかし、緊急消防援助隊はあくまで自治体防災機関の組織なので、多くの自衛隊ヘリが派遣されるような大規模災害に単独では対応できないため、駐機できる機数も限られたものです。
その点、滑走路を挟んで航空自衛隊基地がある小松空港は、大規模災害対応には使いやすいと思います。

緊急消防援助隊の各自治体ヘリコプターは、発災当日の夕刻から翌日の2日にかけて小松空港に集まっています。(消防防災ヘリコプターは計15機とされる)

ちなみに、東日本大震災のときは仙台空港や松島空港が津波に被災したため、山形空港をヘリベースに設定し、岩手方面は花巻空港、福島方面は福島空港も使われました。

東日本大震災時の主な航空機の動き(土木学会論文集より)

能登北部へのフォワードベース候補地

しかし、災害で孤立や生き埋めが多数に上った能登北部には、けっこう距離があります。
そういう場合、ヘリベースから被災地へ進出するための「フォワードベース」というのを設けますが、これも受援計画で多くの拠点候補地が事前に用意されています。その多くは、公設のスポーツ競技場や学校の運動場などで、数機の中型ヘリコプターが駐機、活動できる広さを持っています。
下図は北海道の資料にある例ですが、石川県の受援計画にも、奥能登の消防本部管内2市2町だけで15か所の候補地が設定されています。

こうしたフォワードベースがどれだけ活用されたか、今のところはよくわかっていませんが、いくつかの拠点が救助や輸送活動に使われているのは確認できています。

フォワードベース設定例(北海道危機対策課資料)
奥能登地域のフォワードベース候補地(石川県災害時受援計画より)

なお、発災直後から夜間にかけて、輪島朝市で大きな火災が発生しました。
こうした発災直後の火災に、緊急消防援助隊の派遣はほとんど間に合っておらず、航空部隊による空中消火なども実施できませんでした。やむを得ないかもしれませんが、厳しい現実です。

自衛隊航空

初期の奥能登に届かなかった自衛隊の救助

奥能登では、各都道府県の緊急消防援助隊が2日から入って救助活動を始めているほか、地元部隊である小松救難隊の中型ヘリUH-60が孤立地での救助を始めています。
一方、輪島市や珠洲市では多数の家屋が倒壊し、孤立した地域での要救助者発生など、早急な航空救助活動のニーズがひっ迫していました。
しかし、残念ながら自衛隊による救助部隊の大規模投入は、見られないようです。

1月2日の自衛隊による主な活動

発災から24時間の第一段階、発災から72時間(3日間)の第二段階は、人命救助の大きな鍵を握ります。特に輪島市や珠洲市での生き埋め被災者の救助は深刻でしたが、その救助に当たったのは主に警察や消防です。

発災初期に輪島市や珠洲市で「生き埋め多数」の報道
生き埋め者を警察の応援部隊が捜索(1月5日)

警察応援部隊は、発災翌日に小松基地から輪島まで自衛隊のCH-47で送り込まれているようですが、これと同時に自衛隊員も送り込むことはできたはずです。しかしその形跡はなく、家屋倒壊に伴う生き埋め救助の要請が、自治体(市、県)から自衛隊に出されていなかった可能性が高いと思います。

自衛隊は警察の応援部隊を輸送(1月2日)

その後、生き埋め者の全容が把握できないという悲痛なニュースが流れてきますが、自衛隊の人海戦術による救助が行われたという報道はありませんでした。この点も含めて自衛隊員の派遣規模は小規模に留まったことも、「初動の遅れ」などとされる要因の一つになったと思います。
また、もし県や政府が被災した市町の詳細な報告を待たず、多数の生き埋め者を想定して早期に救援要請を出していれば、この程度の派遣規模には収まっていないように思えるのです。

発災初動の救助は消防防災ヘリが中心

災害救助に当たって、発災からの24時間を第一段階とすることが多いですが、広域からの応援は、そうした第一段階の救援に間に合わないことも多いです。今回も、輪島市の大火に対応したのは地元の消防であり、緊急消防援助隊が駆けつけて消し止めたという話ではありません。
航空救助に関しても、緊急消防援助隊が航空救難活動を開始したのは発災翌日の1月2日からです。

発災後72時間(3日間)を第二段階とし、この期間の救助活動が、災害犠牲者を最小限にするために最も重要です。この段階で航空救難の中心になったのは、比較的小型なヘリを装備する緊急消防援助隊ですが、1月2日だけで各都道府県のヘリコプターが20人以上、翌3日には25人ほどを救助しています。
一方、自衛隊の航空部隊は、1月2日に地元の小松救難隊が50人ほどの「要救助者移送」を行いましたが、それ以外では八尾から派遣された大型ヘリCH-47が、輪島に入る200人の警察部隊を移送したり、陸自と海自の中型ヘリ(UH-1、SH-60)が能登方面に物資を搬入するなど、輸送支援の活動に入っていきます。ここでは主に、地域ごとの物資集積拠点への搬入であり、孤立した避難所への直接支援に手が届き始めるのは、この後のフェーズになります。

孤立避難所への物資輸送

奥能登で多くの孤立集落が発生し、ライフラインを絶たれた孤立地区では、水や食料、生活物資が手に入らなくなりました。また、それぞれに避難所の開設なども行われていきます。
道路の啓開やライフラインの回復など、孤立の解消も必要ですが、それ以前に被災者の生活を維持するための物資輸送が必要で、そのためには航空輸送しかありません。

孤立集落のあるへき地にも、小中学校の運動場などを使えば大型ヘリも着陸できますが、それもできなければ中型ヘリを降ろすか、中型ヘリが持っているホイストで、50mくらいの高さから物資を降ろすことができます。
実際に、自衛隊中型ヘリのホイストによる物資輸送は今回も行われています。

陸自第10師団 1月9日のツイート

こうした支援を早期に行うためには、やはり初動の段階で能登地区に多くの物資やヘリコプターを投入する必要があったのですが、それが行われなかった結果、避難者から「なぜヘリが来ないのか」という声も上がっています。
中には、集落内にある駐車場の写真を挙げて「ここにヘリが降りられます」という悲痛なツイートをしている避難者もいました。

なぜ初動の大量動員が行われなかったのか

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