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川西飛行艇のミッシング・リンク(1)(全4回)

海上自衛隊が運用するUS-2飛行艇を製造する新明和工業の前身が、戦前の日本を代表する飛行艇メーカー、川西航空機であることは、飛行機ファンでなくとも知る人は多い。
戦前の川西は、日本帝国海軍の九七式飛行艇や二式飛行艇を設計、製造したほか、戦闘機「紫電改」なども手掛けた会社でもある。
これらの設計を担った菊原静男は、零戦を設計した堀越二郎ほどの知名度はないものの、日本の航空技術史に特筆すべき足跡を残した技術者だった。

菊原の設計した戦闘機「紫電改」は、その源流を水上戦闘機「強風」に持っている。「強風」は太平洋戦争初期の1942年に100機ほど製造されたに留まったが、その陸上型が「紫電」として1000機以上製造され、更にこれを改良したものが「紫電改」である。
これらの川西戦闘機において特徴的なのは、空中戦性能を高めるための自動フラップが装備されていたこと、そして「紫電」以降には、東大航空研究所の谷一郎の発案した「LB翼」が採用されていたことである。

「LB翼」とは、最大厚みを従来の翼型よりも後退した位置に置き、翼面境界層をできるだけ「層流」に保つことを狙った、いわゆる「層流翼」のことである。層流翼はアメリカでも研究されており、ノースアメリカンP-51にも採用されているが、日本では谷一郎が独自で「LB翼」にたどりつき、「紫電」などに採用された。
そして、この「層流翼」は、単に谷一郎が発案したものを菊原が採用したというのではなく、むしろ菊原からの要望を受けて、谷が研究を進めていたという経緯がある。

このように、菊原は飛行機の設計に携わる実務的技術者であると同時に、流体力学の権威であった谷一郎とも親しく交流し、最先端の科学をいち早く実用機に取り入れようとする意欲が旺盛であった。「紫電改」のフラップや翼型、そして「二式飛行艇」の艇体設計などに、その先進性が現れている。

戦後、日本の航空機産業に対する7年間の禁止期間が解けると、川西航空機の後身である新明和工業も、再び航空機の製造や開発を再開する。そこで新明和工業が取り組んだのが、後のPS-1、US-1そしてUS-2に繋がる実験飛行艇UF-XSの試作であった。

しかし、UF-XS実験飛行艇は、単に戦前の飛行艇を継承しただけではなかった。各翼の舵面に対して空気を吹き出し、気流の剥離を抑止するBLC(Boundary Layer Control:境界層制御)技術が最大の特徴である。


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