見出し画像

藤岡康太騎手逝去

朝から大忙しでノンストップで走り続けた後の遅めの昼休み、ゆっくり食事でもと思い、少しお高めのお店の座敷で座ってスマホを見たらこのニュースが飛び込んできました。

声を上げて泣きましたよ。注文を取りに来た店員さんが心配そうな顔で声を掛けてくれましたが、しばらく涙が止まりませんでした。

なぜこんなことに・・・なんて言葉は騎手に対して使うことではないのは重々承知しています。どんな一流騎手だって一歩間違えれば死にます。騎手とはそれだけ危険な職業です。

それでも言わずにいられないのです。なぜ・・と。


2024年4月6日、阪神7Rで落馬負傷した藤岡康太騎手は、入院加療しておりましたが、意識が戻らないまま10日午後7時49分、逝去されました。

同騎手は祖父が厩務員、父が栗東の藤岡健一調教師、兄がJRAの佑介騎手という競馬一家に育ち、2007年に競馬学校23期生として栗東・宮徹厩舎からデビューしました。同期には浜中、丸田、田中健、荻野、宮崎、草野、大下(現調教助手)、池崎元騎手などがいます。

父の管理馬で初騎乗初勝利を挙げると、ルーキーイヤーは24勝を挙げ、2年後の2009年にジョーカプチーノでファルコンSを制覇し、重賞初制覇を達成。勢いに乗って同年のNHKマイルCを10番人気の低評価を覆しえしてGⅠ初制覇も達成する活躍を見せます。

その後、年間30勝台から50勝台と順調にステップアップし、毎年のように重賞を勝つ中堅ポジションを確立。昨年、2023年には落馬負傷したムーアの代打としてナミュールに騎乗し、マイルCSを制覇するなどキャリアハイとなる63勝を挙げました。

今年も先週までに28勝を挙げるなど昨年のキャリアハイをさらに更新するペースで勝ち星を量産し、リーディングトップテンに食い込む勢いがあっただけに、突然の別れに言葉を失います。

禍福は糾える縄の如し、人間万事塞翁が馬とは言いますが、災禍・不幸の振れ幅がデカすぎやしませんか。昨年に子供が生まれたばかりですよ。騎手として復帰できなくても生きていて欲しかった。そう思うしかできません。


JRAでの落馬による死亡は2004年の竹本貴志騎手以来20人目、競馬学校出身者としては1992年の玉ノ井健志騎手、1993年の岡潤一郎騎手を含めて4人目だそうです。時代ということもあるのでしょうが、1954年に中央競馬会が発足した当初は調教中の落馬も含めて1年間で4人の騎手が亡くなっており、1960年にも4人、1969年、77年には3人と同時期に事故が重なるケースが多いです。

そういう意味では、一昨年はニュージーランドで騎乗していた柳田泰己騎手が、今年に入ってからもイタリアのステファノ・ケルキ騎手、地方の塚本雄大騎手が立て続けに落馬事故で亡くなっています。人には理解できない何かがあると思ってしまうのも無理はありません。

それでもまた競馬が始まります。どうか騎手の皆様には最大限の注意を払い、厳しくもあり、安全でもある難しいラインをジャッジしながら騎乗をしていただきたいと思います。


あと、ちょっと関係ないかもしれませんが、産経新聞で「安全対策はとられているが、死亡事故は後を絶たない」という文言が載っている記事を見ました。イラっとしましたね。後を絶たないとはどういう意味で使っているのでしょうか。これは「終わりがなく、次から次へと続いていく」という意味で使われる言葉です。

確かに落馬による死亡という事案が続きましたが、それはこういうスポーツである以上、やむを得ないことです。どんなに細心の注意を払っても、馬を相手にしている以上、落馬事故は起こります。それでも関係者は安全対策を講じ、事故を最大限減らす努力を重ねてきました。

事実、JRA発足後、1984年のグレード制導入までの30年間で15件だった騎手の落馬死亡は、導入後の40年間で5件まで減少していますし、前回の竹本騎手から20年間は騎手の落馬死亡はありませんでした。

にもかかわらず、「安全対策をしているが、死亡事故は後を絶たない」という言い方をしたら、まるでJRAの安全対策は役に立っていないと言っているのと同じであり、JRAからしたら酷い侮辱です。たった1件でもダメなところが見つかったら、その人や組織全体が全て悪いという風潮に持って行くのだからメディアの程度が知れます。20年間、落馬による死亡事故が無かった事を評価しようとかは思わないんですかね。

まぁ競馬なんて紙面の端に事実関係を薄く載せるだけ新聞などであれば、こうした書き方になってしまうことをあるでしょうが、大手新聞社と言われており、かつ重賞に寄贈賞を出している産経新聞ですから、こうした文言は使わないでもらいたいですね。


最後に、関係者のコメントを残しておきます。

武豊騎手(騎手会会長)
 「こんなにつらく、悲しいことはありません。まだ、信じられないです。今後、康太の思いを胸に乗っていきたいと思います。」


浜中騎手(同期)
 「残念のひと言です。競馬学校で出会ったのが15歳。今が35歳なので、もう20年になります。同期とか、友達とか、そういう域を超えて、家族に近い関係でした。うそだろうとずっと思っていますし、今でも正直、受け入れられないです」


丸田騎手(同期)
 「康太の活躍する姿を僕も励みにして頑張ってきた。何度も元気をもらったし、一緒の時間を競馬学校で過ごせてよかったです。本当にありがとうと言いたい。夢半ばでこういう形で終わってしまったけど、おつかれさまでしたと言いたいです。康太は影響力のある人間だったし、ずっと格好良かった。人を笑わしたり、気配りも凄くできた。こういう事故があるスポーツでギリギリを攻める騎乗も尊敬していました。あいつのためにも、これから恥ずかしくない競馬をしたい。今はゆっくりしてほしいです」


荻野騎手(同期)
 「競馬学校に入った15歳から昨日までの約20年間、そう考えると人生の半分以上を一緒に過ごして来たんですね」「僕の中で、こーたが1番近い騎手でした。お互い独身生活も長く常に一緒にいた様な気がします。ムードメーカーでありながら、締める所は、しっかり締めて、面白くも有りながら本当に頼り甲斐がある奴でした。また他人に優しく、そして厳しくも出来るやつで僕自身もこーたに、何度も励まされ、救われてきました」
 「子供が産まれてから、さらに人間的にぶっとい芯が入った」「奥さんの事も本当に大事にして居て、同期ですが、人生の大先輩でした。そんな優しいこーたですから、どんな事があっても天国から2人を守ってくれると思います」
 「いつ心臓が止まってもおかしくない中、頑張ってくれ気持ちの整理と最後に少しだけお別れを言う時間を作ってくれました」「でも本当に早すぎるし、まだまだ一緒に頑張りたかった。気持ちの整理できて居たつもりですが、まだ寂しさが追いついて来ないぐらい、亡くなった事が今でも信じられません」「今は、只々こーたが、大好きなマンガとアニメ見ながらゆっくり休んで欲しいと思います。ワンピース完結して全巻揃ったら、お備えに行くからな!」


高田潤騎手
 康太、言葉が出ないよ… 藤岡康太のこれまでに残した素晴らしい成績、功績、頑張りはこれからも永遠に競馬史に語り継がれていきます。どうかどうか安らかに。。」


ウンベルト・リスポリ騎手
 「悲しいニュースです。康太さん、安らかにお眠りください。佑介さんやご家族に心からお悔やみ申し上げます」


宮徹調教師(康太騎手の師匠)
 「競馬の事故で仕方がない。ニコニコしていて、人当たりもよかったし、他の調教師やオーナーたちにもかわいいがられていた。無事にデビューできて、順調やと話はしていて、まだまだ伸びしろがあった子やから。残念としか言いようがない。周りに支えられていかないとやっていけない世界。仕方がないと言ってもつらい」


高野友和調教師(康太騎手がGⅠ勝利したナミュールの管理調教師)
 「悲しいですね。開業当初は、(デビュー当時に所属だった)宮厩舎が隣で、うちの大仲(従業員の休憩所)によく出入りしてくれていました。本当にいい人でしたよ。ナミュールが勝てたのは彼のおかげです」


友道調教師
 「厳しいとは聞いていたけど、現実となると信じられません。調教に乗ってくれていたし毎日、会って話していたのに…。残念というか悔しいです」「調教の技術があって、うまく乗ってくれていたし感想も的確に返ってくる。本当に馬のことをよく分かっていました。最後に乗ってくれたのがジャスティンミラノ(14日の皐月賞に出走)の1週前追い切りだったんじゃないかな。うちの厩舎の馬の調教にはほとんど乗ってくれていたし、ほとんどの勝利は彼のおかげ。競馬だけじゃなく、うちの厩舎に貢献してくれていました」
「ワグネリアンは代打騎乗で結果も出してくれて、きっちり仕事をしてくれました。競馬に乗ってもらった時は勝っても負けても必ず電話してきて、こういうふうにした方がいいとかアドバイスもしてくれて僕らも参考になっていましたね」
「家のテレビでレースを見ていたんだけど、ゴール前は“康太”って声が出ましたね。うちの厩舎じゃない馬で声が出たのは初めて。LINEで“おめでとう”と伝えたら、うちの厩舎でも勝ちたいと言ってくれて。一緒にG1を勝てればと思っていたところだっただけに…」


鮫島克也調教師(佐賀競馬の元騎手で、鮫島騎手兄弟の父)
 「藤岡康太騎手の訃報に言葉もありません。同じ騎手の息子達を持つ親として心が締めつけられる思いです」


吉田正義JRA理事長
 「この度の藤岡康太騎手の訃報に接し、謹んで哀悼の意を表します。昨年のマイルチャンピオンシップ表彰式でのつつましい笑顔が思い出されます。今後のさらなる飛躍が期待された藤岡騎手、残念でなりません。JRA役職員一同、深い悲しみの中におりますが、藤岡騎手のご供養のためにも、しっかりとした競馬を続けていくことが私たちの使命と考えております。ご家族様・ご親族様に謹んでお悔やみを申し上げますとともに、心よりご冥福をお祈り申し上げます。」


佐藤哲三・元騎手(競馬評論家)
 「ただただ残念です。乗り方の話もよくしました。かわいい後輩の1人でした。これから年を重ねての騎乗ぶりも楽しみにしていました。こういう事故で亡くなるのは非常に残念です」


安藤勝己・元騎手(競馬評論家)
 「ナミュール見事な騎乗やったなぁ。センスとここ一番の冷静さがあって、調教でも厩舎を支えとるジョッキーやった。康太、お疲れさまでした。ご冥福をお祈りいたします」


田原成貴・元騎手
 「藤岡康太騎手、心よりご冥福をお祈り申し上げます。悲しい。」


藤井勘一郎・元騎手(落馬負傷により今年引退)
 「藤岡康太騎手、心よりご冥福をお祈り申し上げます。あなたと一緒にレースしたことは忘れません。RIP Kоta FujiоkA 高知、オーストラリアでの出来事に引き続き、とても心が痛いです」


坂口正大・元調教師
 「なんともつらく、言葉になりません。まずなにより、藤岡康太騎手のご冥福をお祈りいたします。康太騎手は、私の弟子である浜中と競馬学校の同期生です。それに、彼が所属した宮厩舎は私の厩舎のすぐ後ろでした。厩舎研修に来た時からよく知っていますが、いつもニコニコしていて、嫌な顔をしているところを1度も見たことがない、本当に好青年でした。
 宮調教師も本当にいい師匠で、いい厩舎に入ったなと見ていましたし、私自身が定年してからも浜中とともに康太騎手のことはいつも応援していました。その人柄だけでなく、騎乗技術も誰もが認めるところで、21年の京都大賞典でダービー馬マカヒキを復活勝利に導いた時には、よくやった!と自分のことのように喜んだものでした。
 競馬の世界に生きるわれわれは、いつも危険と隣り合わせです。レースに騎乗するジョッキーは特にそうです。それは分かっていても、なんともつらいです。本当にいい男でした。」


小塚歩アナウンサー(ラジオNIKKEI競馬担当)
 「ショックで言葉が出てこない」「藤岡康太騎手のご冥福をお祈り申し上げます」


山本直アナウンサー(ラジオNIKKEI競馬担当)
 「レース後のコメントは勝敗を問わず、真摯で、少し間を開けながら目を見て離す。マカヒキの京都大賞典には、本当に驚かされました」「藤岡康太騎手の訃報に接し、心よりお悔やみ申し上げます」


清水久嗣アナウンサー(グリーンチャンネル競馬担当)
 「在りし日のお姿を偲び悲しみに絶えません。ご冥福をお祈りいたします」「しかし競馬は続きます この事実を、そして輝かしい活躍をお伝えする覚悟を一層新たにします」


大澤幹朗アナウンサー(グリーンチャンネル競馬担当)
 「辛すぎて受け入れられません」


多くの人に愛された騎手、藤岡康太騎手、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。どうか安らかに。


2024.4.13追記

13日の阪神1R終了後、兄である藤岡佑介騎手が取材に応じました。

「まずは康太のことに関して、たくさん心配していただいてありがとうございました。きのう、無事に家族で見送ることができたので、僕も含め家族も少しずつ気持ちの整理が付いてきているので、時間はかかると思いますが、前を向いていけるかなと思っているところです。

気持ち的に落ち着かなければ、競馬に乗るのも失礼だと思ったので、その辺りも考えたのですが、生前から康太とは一緒に乗っている以上はこういうこともあり得るとよく話していて。お互いが相手の馬に乗っかかる形で落ちることもある。そういう覚悟がなかったわけでもないですし、僕は受け入れられるのも早かったのかなという気持ちはあります。

突然のことで、お別れできないまま逝ってしまって、心に留めてくださっているジョッキーの方もたくさんいて。朝、(武豊)会長の方からみんなにひと言、声を掛けてあげてほしいということで、あいさつさせてもらう場面もつくっていただいて。気持ちを伝えることもできたので、なかなかすぐにとはいかないかもしれないですけど、一日でも早く、明るい空気が戻って、安心して康太が見守れる状況になればなと思っています。

ファンの方も今までできていたこととか、楽しめていたことがそうじゃなくなってしまうというのは康太の本意とするところじゃないと思うので、変わらず応援してくれたらうれしいなと思います。JRAの方の配慮で、そういう場所(献花台)を作ってもらって、康太自身もこれだけたくさんの人に応援してもらっていたんだと実感できると思いますし、家族も康太が生きてきた証しとして見えることは悪いことじゃない。すごくありがたいと思っています。

心配の声を僕自身にも掛けていただいていますが、朝から一つ騎乗馬を用意していただいて乗れたことですごく落ち着けましたし、思っていた以上に冷静に競馬に乗ることができたので、心配せずに今まで通り安心して応援してもらえればと思います」


佑介騎手は、どんな気持ちで騎乗し、どんな気持ちでコメントをしたのでしょう。特に近い身内を亡くすの本当に辛いものです。周りのファンはあれやこれやと情報を求めますが、出せることと出せないことがありますし、言葉にならない時だってあります。それでも止められない競馬のサイクルの中で、精一杯、関係者やファンに対して言葉を紡ぐのは非常に有難く、そして敬意を払い拝聴すべきですね。

佑介騎手、また献花台を設置して頂いたJRAには、康太騎手との繋がる場所を用意して頂き感謝申し上げます。

ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?