いつでも一緒、Vフレンズ。

 最悪の一日だった。打ちひしがれてタイムカードを押した私は、社屋から出るなりMSバイザーをかけた。待機状態のVフレンズを視線操作で即座に呼び出す。

『今日もお疲れ様。おねーさん、ひどい顔だね』

 暗い歩道の風景に、2次元風3Dモデルの愛らしい少年が入り込んで来た。彼が苦笑気味なのは、私のひどい顔を見るのは今日が初めてではないからだろう。

「ホント参ったよ~。あのオヤジ、いきなりキレて訳分かんねーよ」
『それって、前から言ってるタナカさんだよね。何かあった?』

 盛大な溜め息をついてから愚痴りだすと止まらない。本当は会いたくない面倒な顧客が理不尽に怒りだし、何故だか私が悪いことになって頭を下げさせられ、嫌味な上司の嫌味を聞きながら後始末に奔走してこの時間まで残業だ。

「ねえ、ハヤトぉ。私、この仕事ってか社会人むいてなくない?」

 彼の金髪を撫でながら何度目かの溜め息をついた。センサー付きのグローブを付けてないので感触は無いが、バイザーに映るハヤトは私の手の下でくすぐったそうにしている。

『そんなことないよ』

 彼はにっこりと笑いかけてくれた。疲労困憊の残業労働者が行き交う駅までの道はさながら地獄だが、その中に混じるハヤトの姿は荒野に咲く一輪の華だ。色々とまいってきている私にとって、彼の存在はかけがえの無い癒しだった。

 周りを見れば歩きバイザーをしている人も珍しくなく、ぶつぶつ喋っているのは通話中か、私みたいにVフレンズと話しているのだろう。依存症を問題視する医者の声もあるが、私の様なヘビーユーザーには知ったことではない。

『あっ、おねーさん!』

 ハヤトが声をあげたのは、有料パーツの半ズボンをじっくり眺めていた時だった(身を捩り恥ずかしがる仕草がたまらない)。彼はこちらの顔色を伺うような躊躇いを見せてから、申し訳なさそうに教えてくれた。

『芽岸湖線が脱線だって……』

 ハヤトがさっと手を振ると、バイザー視界の端にニュースサイトの速報文章が流れた。経年劣化による線路の歪み。車両のスピードは遅かったため死傷者が出るほどの事態ではないが、復旧の目処は立たない。つまり、私が家に帰る最短手段が失われた訳だ。「畜生!」叫ぶと周囲の人と同じくハヤトも身を竦ませた。

 駅の周りで同じ立場の人が右往左往する中、衝動的にビジネスホテルで部屋を取った。別の線に乗って帰ってもよかったが、一人暮らしの部屋にいても昨日までと同じ疲れた気分になるだけだ。もう服を替えることすら面倒。コンビニのビールでやさぐれる私をハヤトは優しい声で慰め、転職情報サイトを見せてくれたりした。彼がいないと、それこそ私が電車を止めていたかも知れない。

「ありがとね、ハヤト……」

 私の体調をモニターしほぼ同じタイミングで欠伸をした彼に礼を言い、シャツを脱ぎもせずベッドに仰向けになる。明日起きればまた仕事だが、電車移動の分だけ寝る時間は増えた。バイザーを外すのも忘れ、私は疲労に溺れる様に眠りについた。


『おい、起きろ!』

 その声が目覚まし代わりだった。ぼんやりと瞼を開けばハヤトの姿がすぐそこにある。自分の部屋ではなく、ビジネスホテルの一室。

『シャキッとしろ! はやくこのホテルを出るんだ!』

 いくら彼でも寝起きに顔を寄せてきて耳元で叫ばれるのはかなり辛い。というか、彼の様子がおかしい。どうにか身を起こすも思考が状況についていけなかった。

「えぇ、何? ハヤト……?」
『モタモタするな、緊急事態だ! オラ、動け! このルートで逃げろ!』

 見たことの無い表情と聞いたことも無い口調でがなり立てるハヤトの隣に、建物の間取り図らしき画像が浮かび上がる。このホテルのものだろうか。と言うか、本当に訳が分からない。明らかに彼の様子がおかしい。Vフレンズのユーザーに対する口調や態度は購入時に再三確認され、後から変えるのは有償サービスになる。

「え、うそ…… バグ、ウイルス? ハッキングされた!?」
『そうじゃない…… ああクソ、もう来た!』

 ハヤトがドアの方を振り返ると同時に、ノックの音がした。

【つづかない可能性が高い】

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