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産まれて初めて起業しようと思った日

こんにちは!

今日は、私が起業をしようと思ったきっかけについてお話します。

あ、でも期待しないでくださいね?

起業家って、ほら、なんかこう、壮大なストーリーとかあるじゃないですか?

しかし私の場合、なんていうか、そうですね。

「ふーん」って感じなんですよ。

まぁ聞いてくださいな。

この記事は、こんな人が書いています。


時はさかのぼり、私が中学3年生の時。

鬱々とした中学3年生のユージ・ヒデムラ


私はある夢を見ます。

私は中3の8月下旬から日記をつけていたので、その時の記録が残っているのですが・・・

紙の日記につけてあるので、それを転記します。

誤字脱字その他も忠実に書きます。笑(知人の名前だけ伏せています。)

1997年10月14日(火)
今日は自分が死の宣告をくらう夢を見た。今日の夢は今までの浅いギャグっぽい夢ではなく、夢の中でも自分が必死になって考えているような夢だった・・・。

テストが返ってきた。
(中略)
こんなことが書いてあった。

24日 平常
25日 午後から意識能力低下
26日 脳死

これが目に入った時、僕は「まさか自分のことではないだろうか」と少しドキッとした。

(中略)

家に帰るなり、かーさんに聞いてみた。

「この『脳死』と書いてるのはなんや?」と。
すると、かーさんは「当然ゆうの事よ・・・」というような事を、
さも当然といったように、食器を洗いながらそう答えた。※1

僕はこの言葉を100%信じた。
自分が死ぬとき、いったいどんな感じがするんだろう?
また、死ぬ直前に「おとうと」の碧郎みたいに「グウ」という音をたてるんだろうか?
しかし、この直後、自分に残された時間は今日を入れて3日しかない事を悟った。

この後、僕は必死で考えを巡らせた。

一生のおねがいとして、Mちゃんとデートをしてもらおうか。
あるいは死ぬその直前に告白しようか。
外に出て山登りでもしようか。
自転車にでも乗るか。
もうやっきになって暴れようか?

いや、とんでもない。この残されたわずかの時間は有効に使わなければならない。
やっきになって暴れても何にもならないのだ。※2

こうなってくると、勉強はもちろん、ファミコン等は論外だった。
残り数日間しかないのに、ファミコンなどただただ時間をくうだけだ!
僕は泣きながらかーさんに言った。

「僕は、死んだらきっと産まれ変わるで」。
かーさんは少しとまどっていたが、涙をうかべながら、
「うん、そうなるといいね。いや、そうしなさいよ。」と笑いながら言った。

しかし産まれ変わっても、どういう時に、どういう状態で産まれてくるか分からない。

Mちゃんと年齢が離れているかもしれない。
ただ分かっているのは、Mちゃんの近くにまた同じ条件で生まれてくる確率は、恐ろしく低いという事だった。

場面が変わり、僕はけんちゃん(補記:けんちゃんは当時大学2年生で、自由にいきる格好良い大人というイメージだった)と一緒にいた。

「どうせ言わなあかんから言うけど・・・」と言いかけると、
けんちゃんは「ええ、ええ。分かっとるからええよ。」と言ってくれた・・・・・・。

この後に目が覚めたんかな、とにかくうすあかりの中で目をあけた。
「・・・夢・・・か・・・。」思わずそうつぶやいた。

涙を流したあとがあった。
外を見ると薄暗かった。

(・・・5:00ぐらいかな。)と思って時計を見ると、AM5:30をさしていた。

(※注釈)
※1 ゆう=祐二の略です。母は「死ぬほど悲しがるが、それを見せることで私が辛い想いをさせるぐらいなら、隠す」という人格の持ち主です。割と愛情たっぷりに育てられた方だと思います。母に対する私の見方は当時からあまり変わっていません。
※2 Mちゃんは、当時私が想いを寄せていた、他校の1つ下の女の子です。1年後、めでたくお付き合いすることに。

中学3年生のユージ・ヒデムラの日記

・・・なんか、壮大なストーリーどころか、

陰キャラな中3男子の日記を洗いざらい見せるという変態的行為に及んでしまいました、すみません。^^;;;;

全体的に・・・格好つけて文章を書いてる感じがありますね。ウザい!若干、倒置法が!!笑

まぁ、とはいえ、夢で泣くなんてことは、今までの人生で2回しかなかったので、私にとってはそれなりに衝撃的な夢だったのでしょう。

まあ、なんせこの夢を見て私はあることを悟りました。

「人生は、一度きりしかない」と。(倒置法)

中3にて、当たり前の事実に気づく

まあ、いずれにしてもそうはっきりと文字にして思ったのは、本当にこの夢がきっかけだったことを、鮮明に覚えています。

それからと言うもの、私は勉学やスポーツに打ち込み、人には誠実に、そして礼節をわきまえようと心掛け、・・・

・・・となるわけもなく、相変わらずテツファミ(徹夜でファミコンをすること)を繰り返し、Mちゃんへのときめきをどう伝えるか悶々とする日々を過ごしていました。

しかし、「人生は、一度きりしかない」という想いは心のどこかに深く刺さり、価値のある生き方をしようと探求し始めた一つのきっかけであったことは間違いありません。

その後は須磨書房にお世話になり、自己啓発書を読むようになり、高校3年生の時点では「いつか起業するぞ!」と思っていました。

と言っても、それはただ単に「起業=カッコイイ」に他ならないシンプルな理由です。

そして私は大学生になりました。

私は「世界旅行をしたい」と思っていました。オシャレな世界旅行ではありません。

もっと、「ザ・旅」みたいなやつです。

20歳・旅をしていた時の標準装備。食費節約のため、豆の缶詰を持ち運んでいる。清潔感皆無。

リュック一つを背負って、色んな秘境を見て回るんだ。

そんな事を考えていました。

旅をしている間に、私は親友のN平と1ヵ月一緒に旅をします。

一緒に旅している間、色んな事を話すのですが、

「世の中の会社はどうやって金を儲けているのか」

みたいな話を良くしていました。

N平。今では全世界どこでも働けるスキルを身に着け、インドネシアでエリートリーマンをやっている。

「ネジの会社とかいいよね。確実に需要あるから。」

とか、そんな話をろうそくの前でしていました。

N平とのキャンドルナイト@イスキア島、イタリア、2004

自分が起業するなら、どんな会社にするだろう?

そんなことを考えながら帰国。

「企業情報特論F」という講義があったのですが、

提出レポートで「もしあなたがNPOを立てるなら、どのようなものにしますか?」というものがあり、

そこで私の思うところをぶちまけた、すごくちゃちいレポートがあります。

コピペしても誰のためにもならなさそうなので割愛しますが・・・、要はそのレポートでは

「みんなが体験学習(特に異文化体験)をすることで、自分らしく生きれるコミュニティを作りたい」

大学時三年生で書いたレポート

と言っています。

今でも似たようなものを目指していると思います。

変わってねー。笑

そして、2006年元旦。大学三年生。

私はあるブログを書きます。

私が「公」に向かって出した、生まれて初めてのブログ。

正直恥ずかしすぎるのですが、

「バックパッカーの起業への道」

・・・と題しており、起業するぞオレは!という意思を明確に書いております。笑

ちなみに全部で25記事しかなく、1ヵ月ぐらいで途絶えてしまいます。

「起業するぞ」と言ってもブログすら続かない、自分の理想だけを吐き、大ぶろしきを広げていました。

ですがその「起業したい」という想いは続き、就職する時点では「3年勤めたら辞めて起業するぞ」と考えていたのです。

というわけで、私の起業の原点。

それは・・・

【若かりし頃の、大して考えのない「シャチョーになるぞ!」ぐらいのもの】

ユージ・ヒデムラの起業の原点

でした。

ちゃんちゃん。

ね?

「ふーん」しか出ないでしょ???

だから、安心してください。

あなたがもし「私には、起業する立派な理由なんてない・・・」とか考えていたとしたら、

【そんなものは要りません】。

企業理念とかあるじゃないですか。

原体験とか、色々あるじゃないですか。

今の会社には企業理念があります。

それは結構強固なもので、私の中でもクリアです。

「幸せになれる自分の状態を明確にして、それを阻害する要因を乗り越えて生きて行く人を増やす」
「そのための確実なきっかけを提供する」

弊社の経営理念

ですが、こういったものは後から出てくるんです、ぶっちゃけ。

・・・いや、それは言い方が乱暴だな。

丁寧に言うと、

企業理念というものは、会社の運営を通じて、あなたが持っている価値観を栄養として育んでいくもの

だと思うんです。

お。何気にいい事言ったんじゃね?

私の原体験なんて、公表なんて到底できっこない、中3男子が寝ている間に見た夢ですよ。

だから、そこに固執はしなくてもいいんです。きっと。

まぁ、固執するのが悪いわけじゃないです、きっと。
ただ、固執すると宗教チックになってしまう気がしておりまして。

「私は中学生の時に夢を見た。死ぬ夢だ。その時から、私は価値ある人生を歩まねばならないと悟ったのだ。今思えば、あれは神からのお告げであった・・・」

宗教家路線の場合

・・・。

まぁ、ある意味そういう切り口も、私の人生にとっては当たらずとも遠からず、という面はあるかもしれません。

「夢を見る」という現象は一般的には脳内の整理、無意識の露出等。

解釈方法はいくらでもありますが、それこそ「お告げ」と考えた方がしっくり来るのかもしれませんね。

常に色んな角度から物事を見てみたいものです。

今日は以上!


もし「ユージ・ヒデムラと直接話したい!」ということがあれば、お気軽にご連絡ください!私にとっても読者さんとお話できるのは嬉しいです。


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