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みんなちがってみんないい

「はじめアルゴリズム」という数学をテーマにしたマンガで、主人公のはじめが「トポロジー」について考える回があって、そこで為されていた友達との会話がとても良かった。

「数学が苦手、必要ない」という友達に「じゃあ必要ないんじゃない?」と答えるはじめ。「馬鹿にしているのか」と聞かれ、「そうじゃなくて役割が違う」とはじめは答え、「得意なものある?」と聞くと、その友達は「テニス」と答える。

「じゃあテニスをすればいいよ。農家の人はお米を作り、水道屋さんは水道を直す。数学は僕がやる」とはじめ。「自分にはテニスラケットが必要ないように、数学がいらない人には、必要がない。もし必要なら、それぞれに任せればいいんじゃないかな」というようなやりとり。

これは私たちの社会そのものだし、みんなで役割分担をして、それぞれがそれぞれを支え合って補い合ってお互いを成り立たしめている。ある人には必要のない役割も、他の人には必要な役割だったりもするし、ある人がその役割を担ってくれるおかげで、自分は違う役割を担うことができたりもする。

これは縁起の話でもあるなと。で、これはお坊さんの世界も同じだよね。お坊さんって、十把一絡げでイメージされるけど、やっぱりそれぞれ違いがあって。仏教学に長けた人、宗派の教義に長けた人、声明に長けた人、法話に長けた人、お寺の新しい活用方法に長けた人。

人と人とをつなげることが得意な人、これまでお寺が大切にしてきたことを大事にする人。もちろん、そんなお坊さんを支えてくれる人、応援してくれる人もいて。そういういろんな役割を担える人がいるから、それぞれのが成り立ってるんじゃないのかな。

中には、自分にはよく理解できないと思える活動なんかも、人によってはあるかもしれないし、自分が必要としない活動や、自分が必要とされない活動なんかもあったりするかもしれない。でも、それを必要としたり、そこで必要とされたりする人もいるはずなんだよね。

自分だけを基準にしちゃうと、どうしても理解できないとか、必要ないと思えちゃうことが出てくるけど、もう少し視野を広げたり、他の人の視点に立ってみると、違った価値や意味が見えてくるはず。

そんな風に考えれば、自分と違うことをしている人(お坊さん)のことは特に気にする必要もなくて、自分と違うことが得意で、その役割を担ってくれていると思えばいいし、自分は自分の役割に専念できるんじゃないのかな。それでいいはずなんだよ。

(2020/1/25のTwitterより)
https://twitter.com/kenyou1979/status/1221062812094484482

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