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『ボヘミアン・ラプソディ』レビュー【緊急転載】

鰯崎 友 個人noteの記事と同内容です。

エンドロールがおわって、劇場に明かりが灯った瞬間に、拍手がおこった。誰もがこの映画の余韻に、1秒でもながく浸っていたかったのだと思う。いい年したおじさんやおばさんが、涙でくしゃくしゃになった顔を、少し恥ずかしそうにうつむけながら、ゆっくりと席をたつ。

いや、泣いていたのは彼らだけじゃない。私も泣いていた。妻も泣いていた。クイーンの歌を素敵だとは思っていても、当時の熱狂を知っていたわけではない。でも涙が止まらない。

劇場には、フレディ・マーキュリーがこの世を去った1991年よりも後に生まれたとおぼしい若い人たちもたくさんいたのだが、彼らだって泣いていた。ロビーにて、クイーンというバンド、そして彼らをフィーチャーしたこの映画『ボヘミアン・ラプソディ』について、熱い言葉を交わしていた。

世界で最も売れたロックバンド、クイーンのボーカル、フレディ・マーキュリーについて、私は深く語るような知識をもっていない。だから、このコラムは、あくまで『ボヘミアン・ラプソディ』という映画の中の、フレディ・マーキュリーという人物について書いた。その点はご承知おきいただきたい。

この映画で、「女王陛下」フレディの率いるクイーンというバンドは、ものすごい勢いでロックファンの心をつかんでゆく。風変わりな学生バンドは、その革新性をもって、あらゆる常識をなぎ倒して進む。

その中心に立つフレディの、まさに天に登ってゆくような歌声。そして自由奔放な言動。富も名声も、彼がひとたび歌えば好きなだけ手に入る。わがままだって言いたい放題だ。そのわがままが、クイーンをさらなる高みに押し上げるのだから、誰も文句は言えない。なんという単純明快なサクセス・ストーリーだろうか。

しかし、この映画は、フレディが富や名声を獲得してゆく爽快感を演出しつつ、どうしても手に入れられないものの存在を節々に匂わせている。クイーンが成り上がれば成り上がるほど、フレディが心から恐れるものが、近づいてくる。

孤独だ。移民であることの負い目、息子に素朴と誠実さを求める父との確執、性的なマイノリティであることの否認。「何かしていないと気が狂う」とフレディは言う。孤独から逃れるために、日中は溢れんばかりの仕事を抱え、夜は湯水のように金を撒き散らす、パーティーの馬鹿騒ぎ。どこに行ってもフレディは「女王陛下」と讃えられるが、「本当の友達はひとりもいない」と本音をこぼすフレディの、痛々しさといったら、見ていられない。

ひとりの人間が抱えられるものには限界がある、と思わずにはいられない。フレディ・マーキュリーの天賦の才能が彼の体のすべてを満たし、他のものが入る余地がない。彼の欲するもののうち、手に入るのは素晴らしい音楽と、それにまつわる名声だけだ。

人生にはいろいろな幸せが存在していて、人々は多種多様な幸せをちょっとずつ掴んでゆく。しかし、フレディの場合、音楽にまつわる幸せ以外、一切のものが彼を素通りしてゆく。才能ゆえの呪い。クイーンの躍進の影に、つねにその呪いが息を潜めている。逆にいえば、呪いが存在するがゆえに、クイーンは次々と名曲をものにしてゆく。

やがてこの映画の観客は気づく。クイーンの華々しい活躍が、呪いによって形作られていることに。その瞬間から、この映画はサクセス・ストーリーではなく、永遠につづく呪いからの逃走と、闘いの物語に変容している。クイーンは、フレディ・マーキュリーは、自由奔放に、放埒のかぎりを尽くして、恐ろしい呪いと闘っていたのだ。

その闘いは一進一退だ。数々の人間たちが、彼に近づき、消えてゆく。好意をもって接してくれた人間も、打算にもとづいて近づいてきた者も、そのささいな仕草が、わずかでも孤独への恐怖を思い出させるものであれば、フレディは躊躇なく自分のもとから放逐する。音楽とはちがう幸せを得る可能性を、自分でことごとく潰して迷走してゆく。

しかし、呪いに打ち克つための最後のチャンスを、彼は手に入れる。すでに体はエイズに蝕まれ、皮肉にも、その伸びやかな歌声が永久に失われようとしている、まさに直前、ほんの少しのあいだだけ、呪いが消えた。呪いを遠ざけるための鍵が、どこにあったのか、実際に映画を見て確かめて欲しい。やっとのことで音楽以外の幸せに触れたフレディは、最後の力を振り絞り、かつての、天にまで登ってゆく歌声を響かせる。

ステージは、20世紀最大のチャリティーコンサート「ライヴ・エイド」。ロンドンでのコンサートには7万2千人の観客がひしめき、130ヶ国でテレビ放送され、190万もの人々が視聴したというこのステージで、彼は自分と同じ呪いに冒されているすべての人々にむけて歌う。永遠とも思える孤独と闘い続ける、すべての人々に。

We are the champions, my friends
And we'll keep on fighting
Till the end

(『WE ARE THE CHAMPIONS』QUEEN 1977)

フレディ・マーキュリーが「ライヴ・エイド」の舞台で歌ったのは、1985年7月13日のこと。しかし、映画『ボヘミアン・ラプソディ』が、30年の月日を超えて、その日のロンドンのウェンブリー・スタジアムへと、私たちをいざなってくれる。


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