無題

ネット議論基礎:主張型反論と論証型反論

 「主張型反論と論証型反論とは一体?」とTwitterでご質問を受けたので、リプライでかちゃかちゃと説明を入力していたのだが、140字に収めることに失敗。せめて1400字くらいは欲しいとなり、そうだnote書こうとなりました。

 ただ、1時間後くらいに筋トレを始めたいという個人的事情がある。よってさくさく書くので、ディティールの甘さは許して下さいね!

主張型反論

 たとえば「タバコは禁止するべきだ。なぜなら健康に悪いからだ」という意見があったとしよう。ああいや、ずいぶん低レベルだが、これでも一応は「主張」と「根拠」がそろっているし、いまは例としてのシンプルさがほしい。意見ではあることは認めて!

 さて。主張型反論では、相手の意見について対立する(あるいは少なくとも共存しない)意見を述べることで反論とする。つまり「タバコは禁止するべきでない。なぜなら税収が減ってしまうからだ」のような形で異論を述べるのである。非常によく見かける方式の反論だし、これはこれでとても重要だ。(なぜ重要かは後述する)

 しかしながら、このような反論には問題もある。議論クラスタの一部は、主張型反論をそもそも「反論」とは認めないことさえある。というのも、主張型反論は単に時系列的に「後出し」だったから便宜上「反論」と呼ばれるだけで、実は「相手の主張」との関係は薄かったりするのである。

 ぶっちゃけると、主張型反論では相手の意見をちゃんと読む必要がない。いやまあ読んでもいいが、別に読まなくてもいい。最終的な主張部分さえ分かれば、相手が用意した根拠が何でどういう論証をしていようが、こっちはこっちで自分なりの根拠を用意して自分なりの論証をやればいいののである。結果として、主張型反論を行った場合の議論は、しばしば平行線のまま終わってしまう。

 もちろん、何らかの観点に照らし合わせて、どちらがより重要な問題を論じているのかを考え、決着を下すことは可能ではある。またそもそも「自分の意見」があってそれを通したいなら、「自分の根拠と自分の主張」は必要不可欠でもあるだろう。

 しかし、意見-反論というしっかり結合した関係が成立しているのかは判断の分かれるところだ。どちらかというと意見A-意見Bくらいのアレじゃね? と言われてしまえば、「たしかに!」となってしまう面もある。


論証型反論

 一方で、論証型反論では相手の意見をよく読む必要がある。論証型反論では相手の論証(論理の手続き)の間違いを指摘したり、使用している前提の正しさを崩したりすることで反論とするため、どうあがいたって詳細な検討が避けられない。

 ここで「タバコは禁止するべきだ。なぜなら健康に悪いからだ」に戻る。「なぜなら」で本当に根拠と主張がつながっているのか疑ってみる。健康に悪いことと、禁止されるべきこととは本当にイコールなのか? この根拠と主張をつなげるには、当然ながら「健康に悪いことは禁止するべきだ」という(大)前提が妥当とみなされる必要がある。

 健康に悪い行為は世の中には多い。たとえば今わたしがやっているような、深夜にマクドナルドに行き、おもむろにダブルチーズバーカーとチキンフィレオを頼み、それらをLサイズのコカコーラで流し込むような真似も、「すべての健康に悪い行為が禁止されるべき」なら禁止されるべきであろう。

 しかしマクドナルドは特に禁止にせず、タバコだけが禁止だというのなら、そのような「特別扱い」をする合理的な根拠がまた別途必要であるし、そして、その新しい根拠についても、ちゃんとロジカルに結論につながるかどうかが検討されねばならない。(※おそらく副流煙被害だの医療費負担だのが持ち出されるのだろう。これらに関しても更に論証型反論を重ねることが可能だが、別にタバコ議論が本題ではないので深くは追わない)

 また今回の例ではちょっと厳しいが、「タバコは健康に悪い」という前提の正しさを崩す道もある。たとえば、ランダムに抽出した喫煙者5,000人と非喫煙者5,000人(人数は適当である)の健康寿命などを比較して、そこに有意差がなかったら相手の意見はいったん崩壊するだろう。最近は『ファクトチェック』というカッコイイ名前が与えられてもいるようだ。

 議論スキルを磨く場合は、できるだけ主張型反論よりも論証型反論をしたほうがいい。批判的に相手の意見を吟味する練習になる。

論証型反論の弱点

 とはいえ、論証型反論にも一応ながら弱点はある。最大の弱点は、相手の意見について「論証に失敗している」とは言えても、「主張部分が間違いである」とまでは言えないことである。また、ましてや対立意見のほうが正しいことなども当然示せない。

 相手は確かにロジカルに「タバコを禁止するべきだ」を導けなかったのかもしれない。あるいは立脚していた事実要件に誤認があったのかもしれない。しかし、それは単にしかるべきロジックを駆使できず、知識を欠いていただけであり、じつはもっとちゃんと考えてちゃんと調べれば、主張は正しかったという可能性はあるのだ。(通常、ゴミみたいな可能性なのでさほど気にする必要はないが、「原理的には」という次元では覚えておこう)

 さて。いきなり例がめっちゃ高級になってしまうが、フェルマーの最終定理もそうだっただろう。色々な人が行ってきた「フェルマーの最終定理の証明に成功した!」という主張は、おそらく究極レベルと呼んでも全く差し支えないであろう論証型反論によってずっと完全に潰されてきた。が、最終的にアンドリュー・ワイルズが証明に成功した。おめでとうございます。端的にすごいと思います。 


論証型反論と主張型反論の組み合わせ

 あるひとつの理想的な反論の形は、論証型反論と主張型反論を同時に行うことである。相手の主張を論証型反論で崩し、かつ自分は崩されない主張型反論もできれば「とてもいい感じ」だ!

 が、しかし残念なお知らせがある。

 私としてはもっと話を続けたいし、正直めちゃくちゃガーッと書いているから見直しとかしないと心配でもあるのだけれども、ここで予定していた時間を30分もオーバーしていることを告白しなければならない。

 そう、私は筋トレをします。

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