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「思いつける」と「それが実行できる」に横たわる断絶

 パワハラ上司に異動してもらって、新しい上司が配属されて何ヶ月か経過した。最初は「うーん、ちょっとクセのある人だが、まあいいか」と思っていたのだが、やっぱりダメだった。端的にいうと、部下に嫌われすぎである。20人いる部署で19人に嫌われている。すなわち19/20である。パーセンテージでいうと驚きの95%である。たった1人の例外は私である。といっても、むろん好きではなく、単にどうでもいいと思っている。

 毎日毎日、その上司が事務所を空けるたびに、部屋は一瞬でその上司への批判と苦情でいっぱいになる。さすがに私も愚痴を聞き飽きてきて、気分がガールズ&パンツァーのスピンオフコミック『プラウダ戦記』のノンナさん状態になってきた。


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 ―――と物騒な感じをかもしだしてみるものの、リアルなわたしは単なる最下級サラリーマンに過ぎない。出来ることといえば、基本的にはさらに上の管理職に相談することだけだ。ほぼこれだけ。小技もなくはないが、わりとこれだけ。
 以前にnote記事として書いた、パワハラ上司を異動させた案件にしても、根本的には「相談することだけ」しかしていないとも言える。威勢よくふるまっていても実体はそんなものか、と思うかもしれない。ていうかツイキャスでそんなこと言われた気がするし、あとリアルでは何回も言われている。

 しかし、である。

 たとえば「相談する」を「殴る」という言葉で置き換えてみよう。なるほど一口に「殴っただけじゃないか」とは表現できる。それは正しい。だが、平均的男子小学生のパンチ、平均的成人男性のパンチ、平均的プロボクサーのパンチ、プロボクサーでも世界レベルの人のパンチは同じだろうか? まあ普通に考えて絶対違う。要するに「相談する」にも方法があり、巧拙がある。

 たとえば、単に個人的な愚痴として上級管理職に陳情しにいくだけというのは、平均的男子小学生のパンチである。世の中の50%くらいの社会人はこれしかできないが、これによって何事も達成されなかったからといって、まさか何らかの嘆き悲しむべき事態が、不幸かつ理不尽にもあなたの身に降りかかったとは言えないだろう。あまりにもひたすら当たり前のことである。陳情先に選んだ上司がよっぽどの能力と人格を兼ね備えていない限り、絶対に何も起きない。

 しゃべってスッキリすることだけが目的ならそれでもいいとしても、ちゃんとした成果を望むのであれば、次のことは意識する必要がある。

 ① 「一人の苦情」を「みんなの苦情」にまとめあげる。
 ② 「損害」を可視化する。(証拠を用意する)
 ③ 「解決策」および「そのメリット」を具体的に提示する。
 ④ 以上のことを「思いつく」のではなく「実行」する。

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