タイトル未設定の下書き

書き始めようとアプリを開くがふとしたことで書き始める前に中断する。
するとそのまま閉じられてしまい「タイトル未設定の下書き」が出来上がってしまう。
如何なものか。
私としてはこれがとても煩わしく、「ノートを書く」をクリックしたときは真っ新な状態から始めたい。ところがこの心持ちに弊害があり結局文章が進まない。それだけではなく先ず書き出すことができない。始まらないということに繋がってしまうのだ。
だから私は考えた。
とりあえずは「タイトル未接待の下書き」ができても仕方ない。
まさに真っ新な下書きを開いて作文しようと決めた。
これで、一つ拘りを捨てたことになる。

ところで私は「拘り」という言葉が好きではない。
仕事柄、お客様の拘りをぞぶんに活かす努力をする立場にある。
この言葉は良くも悪くも解釈できる。
私は「そんなことにいつまでも拘っているなよ」的な使い方をしてきたし
周りも(友人、知人、親兄弟など)そんな使い方だったと記憶している。
だから、けっしていいイメージはない。
それとも本来の使い方が双方存在し、
「仕方がないことにいつまでも囚われていても仕方ない」と
「ここは、どうしても外せない重要な部分」
という使い方があったのだろうか。
その頃の国語辞典はもう持っていな。

さて、そんな拘り残っていても仕方がないからどちらでもいいか。
と飲み込んでみる。

「拘っているんです」と出てくると構えてしまうのは一種の職業病だろう。
例えば、壁紙を選ぶときに一部を変えてアクセントにしたい。
照明器具を天井からコードでぶら下げて(ペンダント)ガラス製のカバー(シェード)で陰影を楽しみたい。とおっしゃる。
SNSの投稿を参考にしておられる方が多い。
ここに拘るのかぁといつも思ってしまう。

お若いのにやたらとインテリア造作にお金をかけたり、間接照明をご希望されたり。
やめた方がいいですよとは言えない。
なので、これを採用したときの「起こること」をご案内してご判断いただくことにしている。
でも、人は十人十色どころではない。皆さん違った考え方、捉え方をされる。
特にデジタルに長けた世代の方々は我々生の声よりSNSを重視する。
近いうち、きっと生成AIと比べられる。
生成AIは日進月歩どころではない。光陰矢の如しもハマらないほどの急成長だ。
私もちょくちょく利用するし、良き仕事上のパートナーとして位置付けている。

さぁこんな状況だから、とうとう過渡期にきてしまったのだ。
アドバイザーとかコンサルティングとか言う仕事に生身の力が必要な、、必要とされる人材は一握りだと感じる。
私は当然ながら後の口。
時代にそぐわないのだからタイトル未設定なのである。

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