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カクメイ的紀行としての”天国に最も近い島” ~森村桂さんに捧ぐ~

天国に一番近い島、と言えば南太平洋ニューカレドニアの観光用の代名詞。その言葉の元はと言えば60年代、日本人にとって、海外旅行がなんとか若者の夢になろうとしつつあった時代の先駆けとなった森村桂のニューカレドニアを舞台としたベストセラー紀行の題名から来ていて、80年代には原田知世主演で映画化もされた。たいていの日本人もこのぐらいは知っているだろう。そして、この”天国に一番近い島”という言葉、ニューカレドニアが今でも属しているフランスの言葉で”l'île la plus proche du paradis”と言うのだが、今やニューカレドニア観光の宣伝キャッチフレーズとしてフランスでもしばしば使われている。(動画はニューカレドニア観光局による宣伝動画)

しかし、この本、ニューカレドニア現地を含むフランスで訳されもせず、もちろん出版もされていないし、映画も上映されていない。これは考えてみればとても不思議なことだ。この本、作者の森村桂さんのニューカレドニアへの愛着は本物だし、この本が少なくとも日本での、この地のパラダイスイメージを決定的にし、観光への貢献も計り知れない。ニューカレドニアにとっての海外観光客数のベスト3に常に日本が入っているのはこの本があってこそだろう。こうした影響力のある本が、例えば、日本や韓国で自分たちの国への愛情に満ちた本が外国で出版されて評判になっていると聞いたら、即、国内でも訳されるでしょう?ましてフランス語の出来る日本人、日本語の出来るフランス人などいくらでもいる。

実はこの本、フランス及びニューカレドニアでは意図的・意識的に黙殺されているのではないかと私は思っている。というのは、森村さんはニューカレドニアで1980年以前ならタブーであったろうこと、それ以降は、現在でも簡単には外部の人間が触れにくい複雑な問題にこの本の中で触れてしまっているからだ。しかも、その問題は本の主題自体に深く関連してしまっているのだ。はっきりと言えば、その問題とは、政治的には、島の先住民族、カナクの独立によるフランス植民地支配からの解放ということなのだ。

もちろん、この本が声高にニューカレドニアのフランス植民地体制を告発したり、カナックの独立を主張しているわけでは全くない。それでも、この本のハイライトが、ヌ-メアで偶然に知り合ったカナクの青年レモ(実はウベア島の首長の息子)の招待で森村さんがウベア島を訪れ、大歓迎を受けた時のエピソードにあることは間違いない。島のカナクと触れ合い、ともに過ごす中で、森村さんは美しい海に囲まれた島の美しさやそこに生きるカナックの優しさ、ヨーロッパ人が支配するヌーメアの街では隠されている心の叫び、それは踏みにじられたカナクの尊厳の回復への希望を知り、そして深く理解する。森村さんはカナクの言葉はもちろん、実はフランス語だって片言でしか理解できないのだが、レモが部落の集会で、この当時は白人からの先住民に対する軽蔑語であった”カナック”(森村さんは、現地在住日本人よりカナックという言葉は悪口で先住民を怒らせるので言ってはいけないと忠告されたことを書いている)を連発し、聴衆もそれに応えて、何やら熱い主張を交わしあっているのを聴き、”この人たちは土人でいたいのだ、土人であることに誇りをもっているのだ”と気づく。ニューカレドニアの公式的な現代史では、軽蔑語のカナックを逆手にとって、自分たち先住民族の自尊心を表す言葉として使いだしたのは、1970年代初頭にパリに留学していたカナクのエリート学生たちだったとされるが、森村さんはそれに先立って、後のカナク民族主義と呼ばれるものの原型が既に目覚めだしていたことを目撃し、記録していたわけだ。

実はニューカレドニア本島の東に位置するウベア、リフー、マレのロイヤリティ諸島はヌメアと違い、ほとんど白人のいないカナクの人々の世界であり、人々のカナク民族主義、独立への支持が非常に強固な地域だ。特にウベア島は民族意識が最も先鋭的なことで知られており、独立運動が盛り上がった1980年代、映画版”天国に一番近い島”が撮影されて何年もたたない1988年に、独立派とそれを鎮圧しようとするフランス特殊部隊の間で戦闘がおこり、双方で20人以上が死亡(とはいっても殺された大多数はカナック独立派)する大惨事が起きた。あの平和そのものの映画の画面からは信じ難いだろうが、既に映画撮影中にそうした不穏な雰囲気は濃厚だったという。(動画はこの事件を伝えるのニュース映像)

なお、ウベア事件と呼ばれるこの大惨事にはまだ深刻な余波があり、この事件の被害者追悼式典に参加した独立運動側の最高指導者のふたりが、仲間であるはずの独立運動急進派によって、仲間を見捨てた、あるいは弱腰との批判を受けて暗殺されるというショッキングな内ゲバ事件がこの島で起きてしまっているのだ。実はカナク独立運動内部にも様々な勢力と動きがあり、この一連の事件の内情は今でもわかっていないことも多い。どうやらそこにはカナクの中の宗教的な対立(プロテスタントとカトリック)、あるいは地域対立が絡んでいそうなのだが、注意深く読めば、森村さんの本には著者本人は無意識かもしれないが、そういった点にも触れている部分があるのだ。

カナクへの差別意識が露骨だった60年代、70年代には、研究者でもなければビジネスが目的でもない外国人、それも若い女性がカナックの人々と心を通わせるという体験記は、ヌーメアで暮らす主にヨーロッパ系のニューカレドニアの支配層にはほぼ理解不能なことだった事情はまだ理解できるが、実は基本的にはこうした事情は今に至るまで大きく変化したわけではないらしい。ヌーメアに生活の本拠を置くカナクは別として離島や地方では、カナクはトリビュと呼ばれるカナック人の集落に住み、ヌーメアのカナク以外の異人種たちとの深い付き合いは稀なのだ。

もう一つ、森村さんのこの本の中で心を通わせるのはウベア島のカナクの青年だけでなく、ムッシュー・ハヤシ、ムッシューワタナベという日本人の血を引く現地の人たちだが、彼らは第二次世界大戦で敵国となった日本人の子孫として行き場を失い散々な苦労をした人たちだった。ちなみにニューカレドニアには戦前からの日本や沖縄からの移民も多数いたが、日本の国籍を持つものは戦後、財産を没収された上、オーストラリアの強制収容所に入れられ、そのまま日本送還、現地家族は見捨てられ、日本人の血統を隠すようにして生きていた。それでもフランス人との混血でフランス国籍を得ることができたハヤシはヌーメアでそれなりの地位を得られたが、カナクの血を引くワタナベはやはりカナクを伴侶にしたものの、森村さんが出会った当時は何と無国籍、ヌーメアの主流階層から完全に落ちこぼれて暮らしていた。しかしこのワタナベが、自分を初めて対等の人間として認めて挨拶してくれたという理由だけで、苦境に陥った森村さんを懸命に助けるという顛末が感動的にほろ苦いユーモアと共に語られているが、日本人には快くハートウオーミングと感じられるこのエピソードも、ヌメアのニューカレドニア支配層には、良心の呵責を覚えざるえない、見たくない、できれば無視してやりすごしたいものに映るのかもしれない。

実は森村さんの本にはヌメアの主流階層の人は辛うじて成功を得ることができたハヤシ以外はほとんど出てこない。彼らは通りすがりの人間的な暖かさの薄い人としてわずかに記録されるのみである。どうやらニューカレドニアは外部の人間には天国と映っても、内部の人間には、植民地の常として、F.ファノンの言うところの”マニ教的善悪二元論の世界”のままであったようだ。ヌメアのヨーロッパ系や一部の成功者たちによる支配階層の居場所は善の白い世界、カナクや非白人の移民及びその子孫、そして落ちこぼれは悪の黒い世界。そして森村さんが心を寄せるのはこの黒の世界の人々だ。だが、この黒の世界に住む人々の優しさ、心の気高さと、過酷な植民地体制の下でも、彼らの心を守ってきた自然の美しさを森村さんが見出し場所こそが、あの本で最も感動的に描かれるウベア島の真っ白な浜辺であり、ここに至る過程を面白おかしく書き綴ったのが”天国に最も近い島”という書物なのだ。あの一見したところでは、ユーモアに満ち、ノー天気にさえ見えるこの本を、私が”実は大変にカクメイ的な本”と言った理由がここにこそある。

森村さんがこの本を書いてから、今年で60年近くが過ぎ去っている。結論を先に言えば、ニューカレドニアは依然としてフランスの下にある。80年代にカナックによる独立運動は激しく盛り上がり、ウベア事件を初めに数々の血なまぐさい事件がおきたが、その後のフランスとカナク独立運動の指導者たちの話し合いによってカナックの政治・経済上の自治権を大幅に認める変革が制度上では行われた。その上で2018年から2021年にかけてフランス帰属か独立かを決定する三度もの住民投票が行われたが、いずれも独立反対派が多数の支持を得て、短期的な独立への展望は遠のいている。とはいえ、今や人口の4割でしかないカナクに支えられた独立賛成票が事前予想より遥かに多く、賛否大接戦となった第一回、第二回の投票、そして第三回は、カナク側が主張したコロナ禍のダメージによる投票延期が認められず、結局、独立派が投票ボイコットとなった上での賛成多数ということで、未だ独立問題は完全な決着を見るに至らず、将来への火種はくすぶり続けている。

この投票結果を見る限り、様々なカナックへの自治権移譲の改革にもかかわらず、ニューカレドニアは依然として”マニ教的善悪二元論の世界”は継続しているとみるべきだろう。独立賛成のほとんどはカナクによるものであり、一方、反対派はヌーメアのヨーロッパ系の子孫である伝統的支配者層と、何としてでも支配権を維持しようとするフランスから援助資金とそのおこぼれに預かれる、やはりヌーメアを拠点とする非白人移民及びその子孫によるものだ。ヌーメアと、カナクがその大部分を占めるそれ以外の離島も含んだ他地域、ヨーロッパ系白人とカナク、そしてそれ以外の非白人移民層(インドネシア人やベトナム人、アラブ人、そして南太平洋の仏領ポリネシアからの移民がいる)、経済的な持てる者と持てない者、こうした要素が複雑に絡んだ二分裂分断社会としてのニューカレドニアは今も厳として存在し続けている。だからこそ、フランスやヌメアを中心としたニューカレドニアでは”天国に一番近い島”というこの本は今でも黙殺されているのだろう。

もっとも当の日本人たちにとっても、この本のこうした”カクメイ的”側面はずっと無視され続けてきた。原作を大幅改変して製作された映画版天国に近い島がそうだったように、この本自体も、見知らぬ土地への漠然とした憧れを少々の自らの努力と、周囲の人々、見知らぬ土地の暖かい人たちの好意に助けられて、エキゾチックな自然の中でパラダイスを発見するという”幸運な冒険物語”と解釈され続けていたが、今ではその意味さえ失われかけている。現に”天国に一番近い島”と言う言葉、今の日本では、ニューカレドニアを離れ、世界の他の南海リゾートの宣伝キャッチフレーズとして頻繁に使われている。そしてリゾートという場所はあくまでマニ教の善の白世界によって、黒世界の中にその背景だけを拝借して作った人工的飛び地なのであって、そこでは冒険という要素はあらかじめ注意深く排除、より正確には”漂白”されたいる。こうした状況下では、我々は66年の森村さんのように、ムッシューワタナベともカナク青年レモとの感動的な出会いと交流は望むべくもないし、そもそも私たちはこうした冒険を望むことさえも忘れてしまっているのが現状だ。もっとも森村桂さん、なんだかんだ言ってもお嬢様で、先鋭的な政治思想を持っていたわけでも、そういった政治センスがあったとも思えない。だからカクメイ的な本だなんて言ったら本人はさぞかし驚くだろうが、若かった森村さんは本当にいい意味でナイーブですべてのものを、その優れた共感能力の上に偏見も虚飾もなく受け入れる力を持っていた。その自然な結果が最も良く発揮されたのがこの本なのであり、それゆえ、もう60年になろうとする現在に至るまで、依然としてニューカレドニアを理解する日本人による最良のテキストであり続けている。それは、森村さんの洞察力の鋭さでもあるが、同時にこの地に対する私たちの関心が半世紀以上もの間、いかに冷たいものであったかの裏返しの証明でもあるのだ。私自身はこの本が伝える真実の現状をもう一度、この目で確かめに現地に行きたいと思っている。

(動画はフランスで大きな評判を呼んだカナク人の歌手による歌。)

2023年12月4日 追補
この文章に出てくるニューカレドニア先住民の呼び方をカナックからカナクに一部を除いて変えました。カナクとは、元々”人”を意味するハワイを中心とするポリネシア語でしたが、その後、植民地支配者のヨーロッパ人たちによってポリネシア、メラネシア、ミクロネシア問わず太平洋の先住民、当時は”原住民”という意味で広まりました。ニューカレドニアでは、既に本文に書いたように、ヨーロッパ系の人々からの先住民の呼び名として使われ、フランス語ではcanack, canaque, kanack,kanakと色々に綴られていましたが、それがある時期から野蛮人、今の日本語でいうなら土人と訳せるようなニュアンスの軽蔑語となってゆきます。それを逆手にとって、むしろ元々の”人”という意味で、自分たちのプライドを込めて先住民のエリート層が”カナック”として自称し始めたのが1969年頃、その後、この言葉は先住民の自称名として定着する過程でKanack、やがてKanakと先住民の政治組織の中で、1970年代半ばには名称も綴りも統一され、フランスとの交渉でもこの名前が正式名称として認められます。Kanackならカナックと音訳されるべきでしょうが、今や正式にKanakなのでカナクとするのが正しいと思います。そこには、たとえ同じ対象を指す言葉であっても、軽蔑語となってしまったカナックとの差異化を図りたい、という意図があったはずです。なお、森村さんの本の中ではカナックと書かれており、それはこの本が書かれた当時の1966年時点では、Kanakというそうしたニュアンスを込めた言葉ははまだ存在せず、日本人にはカナックと聞こえるような発音で発声されていたはずなので、あえてその部分はカナックとして残してあります。
(江戸淳子さんの本、ニューカレドニア カナク・アイデンティティの語りに教えられました。ありがとうございます。)

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