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#211 蹴球論22|1998年 横浜フリューゲルス消滅

このニュースは戦慄が走りました。
Jリーグの歴史において、忘れてはならないニュースですね。

第一報を知ったのはニュースか新聞か忘れましたが、「横浜フリューゲルス消滅」が強く、マリノスと合併するというのは後から認識しました。(というか書いていた筈なのに理解していなかった)

オリジナル10のチームが無くなることは、起きてはいけないことですし、この悲劇を今も忘れずに今日のJリーグは教訓となっております。
(それ以降のチーム消滅は2023年3月現在今のところナシ)


横浜フリューゲルスとは?


全日空(ANA)佐藤工業(ゼネコン)をメインスポンサーに持つチームでした。
同年の1998年フランスワールドカップでは楢崎山口素弘が出場しており、常に安定した選手を輩出する、僕の中では強い方にカテゴライズされるチームでしたね。


オリジナル10として、初年度のJリーグの成績は中位ではありましたが、その年の天皇杯で優勝してるんです。
まだ覚えてますが鹿島との決勝戦、2-2の引き分けのまま延長に突入し、延長で4点とって6-2で優勝したという笑

ドレッドGKのがいて、ゾノがいて、モネールがいて、エドゥー・マランゴンがいて、ジーニョエバイールサンパイオのブラジルトリオがいて、三浦淳がいて、吉田もいて、1シーズンだけですが遠藤保仁も在籍したことで知られています。
開幕時の監督は加茂周。ゾーンプレスといえば加茂さんでしたね。

で、このチームは当時のJにおいてはちょっと特殊なことをしておりまして。
開幕当初、九州にはJリーグのチームがなく、ANAがスポンサーのフリューゲルスは熊本とかの九州地区を「準ホームタウン」としていたんです。
現に、大学時代の熊本出身の友人は「フリューゲルス応援してたバイ」と言ってました。
(皮肉にも、この地方ファン獲得施策が経営悪化にも繋がったとのことですが・・・)


消滅への経緯

Jリーグは開催時に掲げた100年計画において「全都道府県でのクラブの発足」と、チーム名から野球とは違い「スポンサー名の削減」を謳っていたんですね。
そこでヴェルディに「読売」を出さないことに対して、ナベツネも相当気に入ってなかったそうですが、川淵チェアマンもそこは折れず。
とはいえJが開幕してしまい、ヴェルディも強いので、ナベツネも「ま、まぁ、致し方ないですな・・・」と思っていたんでしょう、が!
ヴェルディの成績も落ちつつあり、ナベツネも我慢できず、読売もヴェルディからの撤退があり、この辺から悲劇が始まったのです。

Jリーグも開幕から5年が経ち、Jリーグバブルも落ち着き、その流れでフリューゲルスのスポンサーであった佐藤工業が業績不振により撤退を明言し、ANAも当時は赤字であり単独でチームを持てないという事情があったようで。
Jリーグに対して企業側が価値を見出せなくなり、クラブ運営から手を引くことが顕著だった時代背景があったんですね。

あとは、そもそもの集客が弱かったのもあったようです。
そもそも横浜に2チームありましたからね・・・
人気はマリノスの方が圧倒的だったようです。

そんな中でマリノスがホワイトナイトとなり、マリノスに吸収されるという運びとなり、それが決まったタイミングで初めて「合併します」と報道されたんですね。
流石に密室で話さざるを得ない話ではありますが、これに選手もサポーターも大激怒。
チーム存続を願う署名活動が行われます。

しかしながら決定が覆ることはなく・・・
横浜フリューゲルスは消滅し、その名称フリューゲルスの「F」を合併の証として譲り受けて、横浜マリノスは横浜Fマリノスになりました。


チーム消滅までの奇跡

ここからの奇跡は涙なしには語れないですし、是非映画化して欲しいですね。

この合併はマスコミが正式発表前にリークしたとのことですが、その事前情報で動揺した選手たちは京都との試合に敗れてしまうのですが、正式に合併発表されてから怒った選手とサポーターは団結し、ホームのセレッソ戦を7-0で下し、そこから残るJリーグは3戦全勝

更に、天皇杯もこのタイミングで始まるのですが、天皇杯はトーナメントの為、負けた時点でチームは消滅となります。
なので「1戦でも多くこのチームで戦いたい」と選手は団結し、圧倒的な強さでシードの3回戦から出場して、3回戦・4回戦を勝利し、準々決勝のジュビロ戦、準決勝のアントラーズ戦、決勝のエスパルスを下して優勝
圧倒的な強さで、歴史に幕を閉じました。

最後に優勝で華を添えましたが、この試合後の解説が泣けるんです。

「私達は忘れないでしょう。横浜フリューゲルスという、非常に強いチームがあったことを。東京国立競技場、空は今でもまだ、横浜フリューゲルスのブルーに染まっています」


それから

主力だった三浦淳や吉田、波戸などは合併先の横浜Fマリノスに移籍しました。そしてマリノスは強くなったんですが、当時コンサドーレよりまだマリノス派だった僕でしたが、ちょっと嫌でしたね。

そして中心の楢崎と山口は名古屋に移籍します。やっぱりすんなりマリノスには行きたくなかった(楢崎は川口がいたのも理由でしょうが)のですが、楢崎は引退するまで「前所属:横浜フリューゲルス」という情報を残したくて、一度も移籍しなかったというのが泣けます。

ヤットは京都に移籍し、その後の活躍は言うまでもないでしょうが、2023年3月現在、横浜フリューゲルスに所属経験がある現役選手はヤットだけですね。

そしてサポーターの声で市民クラブ「横浜FC」が立ち上がりました。
最終的に山口がこのチームに戻ってきたのとかがなかなか熱かったりでしたね。

とにかく、書いているうちに感慨深くなってしまいました。
30周年を迎えるJリーグにおいて、もっとも悲しい事件です。

この悲劇を繰り返さないよう、進化していって欲しいですね。

追記)
本日のJリーグ2023、第4節でコンサドーレが昨季王者のマリノスに2-0で快勝!
これだからJリーグは辞められませんので、100年構想のまだ3/10なので、これからも日本でもサッカーが国技となるよう、ワクワクさせてほしいですね!

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