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肯定と批判

vtuber界隈で話が出ていたので少し。

推しのやることは基本なんでも肯定派なんですが、別に批判すること自体を悪だと思ってるわけではなくて。
批判があるから悪い点を見直せる良い作品にしようとするというのもその通り。
ただ、批判するには資格がいると思っていて。
その業界にある程度の知識があるうえで批判する相手のことを理解し、そのうえで批判に対する批判を受け入れることができるかどうかが大事かと。
どこからか現れて的外れな批判をした上に、その批判自体を批判されたら逃げるような人間からの批判に何の意味がありますか?という話。
そして的外れな批判が一つでも当人からすると100個の称賛を打ち消すほどのダメージを負います。あなたの批判はそれを超える価値を生み出すんですか?本当に?
それらをすべて背負える人間にだけ批判する資格があるというのが自分の考えです。
ぶっちゃけた話、ファンの立ち位置ではどれだけ親密に信頼を得ようがその批判に価値はないと思っています。
批判に価値が発生するのは当人が仲間だと公言している人か、当人と利害関係を共有している人だけでしょう。
自分も言いたいことがあるときはありますが、そういう時は黙ります。何も言わない。
そして言いたいことが多くなって発言することが何もなくなったらその場にいる必要もないし辛いのですっと離れます。ただそれだけ。
全肯定気持ち悪いって話もあるけど、それで救われてる人もいるわけで。それでよくないですかね。

追記です。

vtuberファンは消費者としてもっと批判批評するべき。モノやコンテンツは消費者から批評されることでクオリティが上がる。
脳死の全肯定は界隈を腐らせる、的な文章をみたんですが。

ちょっと勘違いしてないかなと。
まず消費者の定義。「代価を払って最終的に商品を使用する、もしくはサービスを受ける者をさす。」wikipediaより
既存のvtuberのほとんどのコンテンツは代価を支払うことなく体験することができます。つまり通常のファンは代価を払っていないため消費者の定義には当てはまらないのでは?ということ。
お金を払ったらお金を払った部分に関しては批判批評しても良いとは自分も思いますけどね。先にも記載しましたが、利害関係のない批判は無責任でしょう。

基本、見て楽しんでいるだけの人なんですよ自分たちは。楽しくないなら見なければいいだけ。
どうせ楽しいならお互い楽しい方がいいから肯定するんです。肯定されると嬉しいし嬉しそうにしてる姿を見るのはこちらも嬉しいのだからwinwinなんですよ。自分を率することができない人や身近に批判批評する人がいなければ出来の悪いコンテンツは自然と淘汰されるのでほおっておけばよろしいというのが自分の考えです。

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