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うちの子高1に数学を教える

うちの子高1は、小学校の途中で海外にいたこともあり、数学の成績が伸び悩んでいます。学年で下から数えた方が早い。ただプログラミングは得意なので、数学が苦手、ということでも無さそう。

成績が振るわないと学校生活の楽しさに影響しそうだったので、今年1月から毎週日曜日に個人レッスンをしています。本人も別に嫌ではない模様。

久しぶりに数1テキストを見て新鮮な気持ちと共に、一般的に「何かを体系的に教えること」について、色々気づくことがありましたので、以下書いてみます。

1 法則を発見する楽しさと「暗記もの」

日常の中にこんなに美しい法則があったなんて、と発見し脳汁が大量生成するのが数学ですが、たまに「ただ暗記するだけの問題」が混在しています。
"超覚えにくい公式を覚えているか問題"とか、「ルート2が無理数であることを証明せよ」などの"解法を覚えているか問題"など。
こうした数学の"修行的要素"が、初学者レベルでのドロップアウトを増やしていないだろうか…と思います。

2 説明の言語化

全体的に言葉による説明が少ない気がする。数式見ればわかるよね、というそっけない解説が多く、説明方法の言語化にリソースが割かれていない印象です。なのでうちの子への個人レッスンの大部分は、数学の概念の言語化です。

3 数学の厳密性と、文章題の文脈と常識

「150円のりんごと100円のみかんを合わせて20個を買い、1000円のかごに入れて・・・」という問題を読み、うちの子が「かごはりんご・みかん1個当たり一つなの?」と質問、「さすがに、かごに2万円は使わないでしょう」とのやり取り。
文章題は、現実に数字という抽象的な道具を当てはめる、という思考を試すものですが、問題の中に"文脈とか常識"による判断が混ざっていると、そちらに脳のCPUを取られてしまいがち。ここは何を問うのか交通整理しておく方が、初学者向けには良いかも。

4 用語の訳

数学の用語も多くは海外の翻訳ですが、例えば「平方根」は直訳なので、言葉から何を意味するのか類推が難しいです。また因数分解せよと言われて「因数」の言葉の意味がわからない→何をすればいいかわからない、という生徒も多いのでは。
会計の用語も大部分が直訳なのと似ています。自国語で海外の抽象概念を学べるかどうかが国力にとって重要なので、訳語をどうするかは意外に重要だなと思います。


さて最近、三角関数は社会に役に立つのかという議論がありました。英語なども同じですが、数学や英語それ自体の学問的重要性は疑いがないと思いますので、実はこの問題、何を教えるかではなく「教育における"教え方の体系化"の巧拙」が問われていると感じます。

つまり、「重要な学問を実社会との関連性を一定示しつつ、無意味な作業や暗記と思わせないように教える方法を、社会のノウハウとしてどう蓄積するか」という課題設定の話なのではないか、と思うのです。


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