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板櫃川

 5月5日は端午の節句。菖蒲の節句。子供の日。鯉のぼりや兜、鍾馗様、金太郎ら五月人形を飾って、子供の成長を祝う日。男の子のお祝い。菖蒲が尚武につながるからという話もあるが、起源はよくはしらない。
 鍾馗様は中国の道教の神様のひとり。疱瘡除けや学業成就のご利益があるらしい。金太郎は、いわゆる”マサカリかついだき~んたろう~♬”である。源頼光が家来、四天王の1人、坂田金時のことである。

 我が家の近所の板櫃川に毎年、鯉のぼりが飾られる。対岸から対岸にいくつも渡されたロープに取り付けられた鯉たちを見るのは毎年の楽しみである。壮観な景色だ。小倉高校の横にある。今年も飾られた。
 板櫃川といえば、奈良時代、大きな戦があった場所だ。藤原広嗣が朝廷に反乱を起こし、朝廷軍と戦った激戦地である。川の中流あたりに荒生田神社という広嗣の霊を鎮める神社があり、唐津の鏡山にある鏡神社でも広嗣の霊を祀っている。
 そもそもこの戦は藤原光明子を聖武天皇の后にしようとする藤原氏に対し、長屋王が反対。藤原氏が長屋王を攻撃し殺したところからはじまる。長屋王は祟り、藤原の主な権力者4人は皆天然痘で死亡、政権は橘諸兄、吉備真備、玄昉らによる政権にうつる。これを不服とした藤原の子孫で大宰少弐の藤原広嗣が大宰府の兵と隼人の兵を集め朝廷に橘諸兄らを排除するよう軍を動かす。対する朝廷は大野東人を主将とした大軍で対抗した。
 隼人の兵は朝廷軍にもおり、互いに情報を伝えあった。他の兵には言葉がわからなかったので、(今でも鹿児島弁はむつかしい)広嗣は隼人が裏切ることに気づかなかったため敗れたという説もある。
 結局逃げた広嗣は長崎五島列島の値嘉島で捕まり打ち首になる。
 その広嗣と鯉のぼりの関連性はない。ただ板櫃川で思い出しただけである。
 田舎の方に行けば、ここより多く、鯉のぼりを同じように飾っているらしい。かなり壮観であるらしい。熊本と大分の県境にある杖立温泉が有名である。見にいったことはない。機会があれば見に行ってみたいと思っている。

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