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母にだってある、膝を抱えて泣く夜が

間接照明が心地よいホームドラマみたいに、笑顔を絶やさない家族なんて存在するんだろうか。

あったかいホームドラマには心の広い温厚なお母さんがいて、魔法みたいに家族をふわりと包み込む。どんなトラブルが起きたとしても。

もしそんな家族があるのなら、そのお母さんに会いたい。そして私はそのお母さんの前できちんと正座をして、こう言おう。

「お母さんのもとで、母親としての修行を積ませてください」と。

深々と頭を下げてそう言おう。

母親業を20数年しているというのに、母親として成長しない自分が情けない。職業人としては成長できるのに、どうして母親として成長できないのだろう。

子供の内面は、右肩上がりで日々グングン成長し続ける。

それに比べてなんだ、私のこのありさまは。

母親としての内面の成長率は、いくら甘く見積もっても、ここ10数年は横ばいだ。

家庭でトラブルが起きたとき、居心地のいい家を保つためには、母親の包容力と笑顔は大きな役割を果たす。

それは十分に自覚している。

家庭で起きる大体のことについては、母親の笑顔があれば、よい着地点が見つかる。

分かっている。分かってはいるが。悲しい哉、言うは易く行うは難し、なのだ。

子供が青年期へと成長するにつれ、小競り合いや衝突する場面が増える。

「子供の自我が芽生えた証拠やね」とか、
「心身ともに成長して発達する過程やね」とか。

それを余裕の笑顔で言えるのは、自分の子供が反抗期ではないときだ。

ママ友が反抗期の子供に手を煩わせているとき、私は、「成長の過程やね」と涼しい顔で言った。

しかしそれが自分の子供なら、話は別だ。涼しい顔なんかしていられない。母親としての成長率が低迷し続けているのだから、なおさらだ。

心の広い温厚なお母さんが、魔法みたいに降臨してくれないかしら。

そうすれば、子供とのちょっとした衝突も笑顔でサラッとかわせるのに。

子供といざこざがあっても、子供の前で涙は見せたくない。母親のくだらなすぎるプライドだ。

言い争いが終わりいたたまれなくなると、忘れ物を取りに行くふりをして車にむかう。1人運転席に座り、ハンドルに顔を埋める。ハンドルのあいだからこぼれ落ちる涙が止むのを待つ。

夜中に1人で泣くこともある。ベッドの上で膝を抱えて。情けない姿だ。

母親として成長しない自分が悔しくて、こみあげる嗚咽をグッと喉の奥に押し込む。パジャマの膝を濡らしながら。

膝を抱えて1人で泣く深夜。私には、そんなときに寄り添ってくれる曲がある。

“My Life is in Your Hands”。ゴスペル界では言わずと知れた有名曲。日本語でいうとすれば、“私の人生は神さまの御手の中に”だろうか。

全米音楽界で圧倒的な支持を得るカリスマゴスペルシンガー、カーク・フランクリンの名曲だ

(参考和訳抜粋)
心配しないで
何も怖がらなくていい
暗闇には喜びの朝がくる
トラブルはそう長くは続かない
(参考和訳抜粋)
私にはできる
私なら立ち上がれる
人生の道のりにどんな問題が起こっても
だって私の人生は神様の手の中にあるから


この曲と出逢ったのは8年前。聴いた瞬間に心を揺さぶられ、魅了された。

今まで数多くのゴスペルを歌ってきた。そのなかでもこの曲は特別だ。いつでも私の心の核に寄り添ってくれる。

その旋律に心を癒され、歌詞にパワーをもらう。嗚咽をもらすまいと耐えている背中を優しくさすってくれるような安心感。

今までこの曲に何度救われただろう。

何かトラブルが起きるたびに、私の心はこの曲を求めた。

複雑に絡み合ってしまった感情をときほぐすために、この曲を聴いた。何度も。

もって行き場のない感情に押しつぶされそうなとき、いつもそばにいてくれた曲。



母が膝を抱えて泣く夜。声を出すまいとこらえて泣く夜。

そんなときのBGMはいつだって“My Life is in Your Hands”だ。

包容力のある声に包まれ、どうか私を母親として成長させてくださいと願いつづける。

私にとっては、大切な祈りの歌。

大切な時間を使って最後まで読んでくれてありがとうございます。あなたの心に、ほんの少しでもなにかを残せたのであればいいな。 スキ、コメント、サポート、どれもとても励みになります。