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いつもと違う区画に立ってみたら    ~特許翻訳者が、映像字幕翻訳ワークショップを受けてみて~


 

「翻訳の仕事をしている」と言うと、本屋さんにドーンと平積みされているような書籍を翻訳している人、と思われることがある。

「どんな本を訳したん?本のタイトル教えて!本屋さんに行ったら見てみるわ。」と言われたこともある。

翻訳者 = 文芸翻訳家、の図式が世の中に浸透しているのだろう。

翻訳業界は、①文芸翻訳、②映像翻訳、③実務翻訳の3つに分けられる。『翻訳』という同じ名前の畑でも、それぞれの区画で求められるスキルや知識は同じではない。

今回は、③実務翻訳の区画を耕し続けたワタシが、②映像翻訳の区画に立ってみて感じたことをシェアしたい。特許翻訳者が、映像字幕翻訳ワークショップを受けてみた話。



本題に入る前に、まずは、翻訳畑の3つの区画を紹介しよう。



区画①:文芸翻訳

出版物の翻訳。この分野の翻訳を手がける人は、翻訳者ではなく、“翻訳家”と呼ばれる。非常に狭き門。高い英語力はもちろん、読者を引き込むセンス抜群の日本語表現力が必須。作家として活躍できるくらいの、ストーリーテリング能力が求められる。

区画②:映像翻訳

映画、テレビ番組、ニュース、配信用映像コンテンツ、ディスク用映像作品などの翻訳。字幕翻訳と吹き替え翻訳がある。リスニング力を含む高い英語力のほか、多彩な表現ができる日本語力が重視される。外国の文化や時代背景、スラングの知識に明るいことが望ましい。

区画③:実務翻訳

産業界で必要なビジネス文書の翻訳。最も需要が多く、翻訳業界のおよそ9割のマーケットを占める。具体的には、法律、契約書、特許、経済・金融、医学・薬学、IT、論文、学術書、などの翻訳。それぞれのジャンルの専門性が高いため、英語と日本語の翻訳スキルのほか、特定ジャンルの知識が必須。

こんな風に、『翻訳』と一括りにされるだだっ広い畑には、3つの区画がある。

特許翻訳を生業とするワタシは、区画③:実務翻訳の畑を耕している。

特許翻訳の英語は、“テクニカルライティング手法”をベースにしている。日本文が意図する内容を、「3C = 正確 (Correct)、明確 (Clear)、簡潔(Concise)な英語で表現する」こと。

できるだけ平易な単語を使って、伝えるべき情報を、誤解や余韻を生じさせないように、シンプルに伝える。

特許翻訳では、カラフルな表現は不要。できるだけシンプルな構文 --- 例えばSVO構文 --- を使って書く。読み手をミスリードしないように論理を展開する。

そんなスタンスで、特許翻訳を続けて15年。ワクワクとこぼれ落ちそうな好奇心を胸に、映像字幕翻訳ワークショップの日を迎えた。映像翻訳の世界に足を踏み入れるのは初めてだ。



さて、ここからが本題。

字幕は映画ではおなじみだが、映像翻訳の世界を見るチャンスは多くはない。

まずは、映像翻訳(英語 → 日本語)の主なルールについての講義を受けた。講師は、映画字幕の第一線で活躍されている、字幕翻訳者の松岡葉子さん。

ルール1:字幕の文字数は、【セリフ1秒につき4文字】

字幕翻訳で、非常に重要なポイント。人が1秒間に字幕を読み切れる文字数は約4文字のようだ(ワタシは初めて知った)。

訳文が長いと、映像と字幕のタイミングがずれる。つまり、映像が先に進んでしまい、字幕が追いつかない。それを避けるため、【セリフ1秒につき4文字】は厳格なルール。

ルール2:字幕が横書きの場合、【1行の文字数は12~13文字まで、1画面につき最大2行まで】

ルール3:字幕が2行にわたる場合、【意味の切れ目で改行】

ルール4:日本語字幕では、【句読点を使用しない】

講義を聴きながら、「あー、なるほど、言われてみれば、そうやわ。」「うんうん、確かに。字幕に句読点ないわぁ。今まで全然気づかんかったけど。」と、心の中でつぶやく。


次に、字幕をつけてみようワークショップ。

題材は1980年代のアメリカ映画。先生が全体のあらすじを説明し、参加者全員が映画の一部分(約10分)を鑑賞。長さおよそ1分間のシーンに、参加者が自分で字幕をつけるワークショップだ。

翻訳作業時間は30分。各自に英語の台本が配られる。翻訳すべきシーンの英語の映像を何度も見ながら、英語の台本を片手に訳していく。

英語のセリフがどんなに長くても、【セリフ1秒につき4文字】の制限内で表現しなければならない。映画全体のイメージを頭に描き、こうでもない、ああでもないと、訳していく。映像翻訳初体験のワタシは、この文字数制限にだいぶ苦しんだ。

作業時間の30分が過ぎ、参加者全員の翻訳を回収。数人の翻訳が、字幕として題材の映画に載せられる。それをみんなで鑑賞した。

同じ映画の同じシーンだが、字幕は、翻訳した人によってさまざま。字幕が違うだけで、こんなにも映画の印象が変わるのかと驚いた。

セリフの言葉尻の訳し方が違うだけで、登場人物たちの親密度合が少し変わるように感じられた。

【セリフ1秒につき4文字】におさまるように、英語のセリフのどの部分を生かし、どの部分を削るのか。そのチョイスも翻訳した人によって違う。字幕の見せ方 ---1行にするか2行に分けるか--- にも翻訳した人のこだわりが見られる。

その後、模範翻訳として、先生が訳した字幕を紹介してくれた。やはり、言葉の処理の仕方がプロだ。プロのすご技に感服、としか言いようがなかった。


最後に、映像翻訳者になりたい人に向けて、先生がいくつかのポイントを伝授。

ポイント1:翻訳作業前に、題材の映画を繰り返し鑑賞して、登場人物のキャラクターを分析すること

登場人物を特徴づける要素(性格、年齢、職業、出身、人種など)をつかみ、字幕翻訳がキャラクターのイメージを裏切らないようにする。

例えば、自分のことをオレというのか、ボクというのか、私というのか。語尾の口調をどう訳すか。この2点が違うだけでも、登場人物に対して抱く観客の印象は変わる。

ポイント2:翻訳作業前に、登場人物同士の関係性、親密度、心理状態を把握すること

関係性や親密度、心理状態に応じた表現を、セリフに反映させる必要があるからだ。

ポイント3:映像の舞台となる国の文化的背景、時代背景、風習、宗教、人種に関する知識を深めること

背景情報を汲みとり、セリフの微妙なニュアンスを訳すためには、必須の知識。これらの知識がないと、映画の作り手の想いに寄り添ったストーリーを展開できない。

ポイント4:イディオムやスラングを学び続けること

言語、特に話し言葉は生き物である。ストーリーは話し言葉で展開されるので、ドンピシャな字幕をつけるためには、イディオムやスラングに関するアンテナを常に立てておく。


特許翻訳者が、映像字幕翻訳ワークショップを受けてみて、何を感じたか。

シンプルに言うと、区画②:映像翻訳と、区画③:実務翻訳とは全く違う。同じ翻訳畑を耕しているとは思えないほど、大きく異なる。

映像翻訳では、文化的背景や登場人物の心情などをふまえ、細かいニュアンスを、シーンに寄り添った日本語で表現しなければならない。それも、【セリフ1秒につき4文字】という厳格なルールの下で。

そのために必要なのは、豊かな日本語表現のひきだし。映像翻訳は、言葉を訳すというよりは、『言葉を紡ぎ出す』技である、とワタシは感じた。

映画の世界観を損なわないように、その本質にもっともふさわしい日本語を模索していく。映像翻訳は、高いクリエイティビティが要求される奥の深い職人技だ。

読ませる翻訳ではなく、見せる翻訳。

映像翻訳は、見せる翻訳だ。そう思った。

同じ翻訳畑で、いつもと違う区画に立ってみたら、目の前に広がっていたのは全く違う景色。違う景色に出逢えたよろこびと、映像翻訳者へのリスペクトが止まらない。

 

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み・カミーノ

まあまあ長い翻訳歴をもつアラフィフ特許翻訳者。3人の子を持つフルタイムワーママ。ライフワーク、仕事、日々のこと。伝えたい想いを伝えたいときに綴ります。noteの街をフラリとお散歩して、新しい出逢いや発見をするのが楽しみ。亀田製菓さんの'柿の種'(特にワサビ味)中毒。

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