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超動画供養 法話1日目

ただ今を持ちまして無事、応募いただいた動画の供養は終了いたしました
これを区切りとして、新たな動画制作に励んで頂ければと思っています。
ご長座まことにおつかれさまでございました。

前回の動画供養から6年も経ったあたり諸行無常とはかくの如しかと、さすがに驚きを禁じ得ませんが、今回はこの諸行無常ということについてお話をしたいと思います。

ネットなどでよく見る勘違いに無常の字を「情けが無い」と書くやつがありまして、時の流れは残酷であるという使い方をしているのを見かけますが
微妙に正解のような気もするので、ツイッターなどで無常警察
「フォロワー外から失礼します、その無常の使い方は間違っていますよ」
みたいなクソリプを飛ばすこともはばかられます。

法要中に追悼したビリーへリントン氏も初の超会議の時に、まさにこの場所でお見かけしており、死というモノは逃れられない事でありますが、あまりに早く、そう急がんでもええのに…と思うことは日々のニュースの中で誰しも思うことがあるかと思います。

確かに、無常という言葉は「常では無い」と書き、これは「ずっと変わらないモノはこの世の中には存在しない」という意味でして、一分一秒一フレーム一刹那という極小の時間の単位で刻々と移り変わり、一瞬たりとも同じ瞬間はなく、見た目に変わらないと思っていても、着実に直前の瞬間の結果を引いて変化しているものであります。

一日という単位では実感できなくとも、一月、三ヶ月、ワンクールと、アニメで言えば覇権・覇権・俺の嫁というコメが画面を覆い尽くして話題になった作品も、次のクールに移ればかつ消えかつ結びて久しく話題の止まりたる試し無しというモノで春アニメ・夏アニメ・秋アニメ・冬アニメと
4クールが過ぎればあっという間に一年が経っているワケでございます。

無常迅速といって、ものごとが変化していく速度は凄まじく、それが故に別れや死など、好ましくないものと捉えがちですが、一方で無常で無ければこの世の中は成り立たないものでもあります。

無常とは変化でありますから、無常でなければいつまでも上の世代が居座ることになって交代が起こらない、無常で無ければ最悪の状況であった時にずっとそれが続いてしまい良い方向に変わることもない、アニメの新作が作られず、ずっとキテレツ大百科が延々と流れ続けるなど、目も当てられない事態になってしまいます。

我々は本質的に変化というものを苦と捉えますが、仏教ではこれを邪見と言って間違ったものの見方であるとしております。自分に取って良いことも悪いことも常に原因と条件、因と縁によってめまぐるしく変化していきます。

今回の動画は伸びなかったかもしれない、でも次の動画は、その次の動画が伸びるかもしれない、こういった無常の理を頭の片隅につねに置いて、そのためのベストを尽くしていくのが無常とのつきあい方でもあるワケです。

コンテンツ業界なんてのは水物ですから、自信をもってこれが絶対売れる!なんて断言は出来ないワケで、結局「最後まで完成」させてそれを世に問うていくしかないんですな。

ニコニコ動画も一時期は飛ぶ鳥を落とす勢いで、昔はこの勢いが落ちるときが来るのだろうかと思ったものですが、振り返って見れば凋落の勢いは止まらずプレミア大量解約あたりが最高潮でしたが、中学生の時にボカロが好きで自称ニコ厨だった檀家さんとこの娘さんなんて、大学生になって最近は「格好悪いし見るならユーチューブ」などと、もう黒歴史扱いですよ。

本当に諸行無常というものは容赦がない物だと感心しましたが、逆に最近の細々した発表や体制の変化を見ていると「そろそろまた盛り返してくるのかな?」という期待もうっすらではありますが見えてくるものがあります。

我々は否が応でもこの無常の波と付き合っていくしか無いわけですし、命の終わるそのときまで生き続けなければならんのですから、常に試行錯誤し慢心せず想像力や好奇心といった心の働きを停滞させず、軽やかに無常の波を乗り切っていきたいものだと思う次第でございます。

超テクノ法要×向源ステージ@ニコニコ超会議 TS三時間過ぎ 2018[DAY1]


以下は煙草代でも奢ってやるわという方への御礼でして有料記事部分となっております。ニコ生でよく聞かれる精進カレーのレシピとなっております。

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