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後悔


人生は後悔だらけ。みんなそういうものだと考えていた。

先日、アルバイト先の人たちと話していたときに、戻れるならどの時点に戻りたいか、今まで生きてきて後悔はあるか、といった話になった。

1人は高校に後悔があるといい、もう1人は今までの生きてきたことに満足、後悔はないと言い切った。当たり前のように、誰しも後悔はあり、やり直したい気持ちが少なからずあるものだと考えていた私にとって、それは衝撃的だった。

小学生からやり直して、陸上ではなく、サッカーをしていきたいとそのときは考えた。
みな一度は考えたり、聞かれたりする質問であろうが、私はいまだにはっきりとした回答がない。一生、答えられないような気がする。

この話になると、怖くなる。

今までの自分を否定したい気持ち、今までの自分をゼロにしたくない気持ち、それによって今のつながりがどうなるのかという想像、新たな人生を想像したときの期待が渦を巻く。

自分が他の何かになれたのか、今までの選択の連続が正しかったのか、もしくは正しいと胸を張って言えるのか、途端に自信がなくなっていく。


毎回、深く考えることから逃げて、なあなあの答えをだしてしまう。


真剣に考えるような問題ではないのかもしれない。
今、書きながらだと、そんなことが起こるわけではないのだから、上にあげた気持ちが出るわけがないと、頭では理解できる。
しかし、それも何か違う気がする。


自分の選択に後悔があるすぎて、辛くなる。満足することなんてない。妥協することはいくらでもできる。妥協することが後悔になるのではないのか。

自分でどうしようもできないことは、後悔と言わないのか。しかし、どうしようもできないことは本当にどうしようもできないことなのか。もっと、何か変えられたのではないか。堂々巡りの思考回路。


何かを想像したときに、怖くなるようなこと、堂々巡りの考えになることをひとりで考えるのが好きなのかもしれない。

何か抜け道はないのか。以前に考えたこととは違った考え方をしていたら、何か見つけられるかもという期待。

考えを巡らせながら、じっくり自分の言葉にできないような感覚を確かめていきたい。

そんなことを考えながら、
丁寧に、着実に、胸を張って、何かに取り組んでいきたい。


それでは。

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