駄菓子屋さんは、本当に懐かしいのか?

近所に見つけた駄菓子屋さんで、小さな子どもが「懐かしいねぇ」と呟いたのをぼくは確かに聞いたのだ。

懐かしむ時代なんてないはずの小さな子どもにさえ「懐かしいねぇ」と言わせてしまう。そんなノスタルジーな雰囲気が駄菓子屋には流れている。

むしろ最近見かける駄菓子屋は、あえてレトロな装飾で懐かしさを演出し、昭和のアイドルのブロマイドを飾り、歌謡曲を流したりしている。

少し大きなスーパーマーケットのお菓子売り場には、駄菓子コーナーというものが常設されており、むしろ駄菓子という存在自体は決してプレミアムなものではなく、ひとつのお菓子カテゴリーとして現代社会に溶け込んでいるとも感じる。

「駄菓子=懐かしい」というイメージは決して壊さぬよう守りつつ、需要に対して供給を切らさぬよう駄菓子は生産をし続けているということだ。

これだけ普通に駄菓子がどこでも買えると、もはや何に対して懐かしんでいるのかがわからなくなってくる。

むしろよく考えたら、30そこそこの世代が本当に懐かしいと思えるのはファミコンとかゲームボーイとかそういう類であって、駄菓子屋に売ってるようなおもちゃ類を本当に懐かしむ世代ではないはずだ。

つまり我々は、懐かしいというイメージを駄菓子屋さんという場に求めて勝手にマーケットを生み出し、タイムスリップしたかのような疑似体験をすることでお菓子と一緒に懐かしさを買っているというわけだ。

そんな市場のマーケティング戦略が垣間見えながらも、ぼくは今日も息子と駄菓子屋に走る。「懐かしいねぇ」と言いながら。


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