服屋、はじめたいです

私は近い将来、服屋をはじめたいと思っている。ここで言う服屋というのは、実店舗を持ち、そこで小売を行う業態のことを指す。ただ現時点ではその内容について決まっていることはあまり多くなく、商材の仕入れや資金集めについても何か動きがあるわけでもない。このブログはその前段階として、私自身が服屋というものについての考えを整理することと、多少の宣伝になることを期待してはじめた。興味を持っていただけた方にはお付き合いいただけるとありがたいと思う。

初回となる今回のブログでは、その実店舗をなぜ私は開業・営業したいのかということについて書いてみたいと思う。

さて、現代における衣類を販売する方法として実店舗を持つということが必須ではないということは、ほとんどの人にとって当たり前の認識であろう。知名度があり、集客を確保することができるのであれば、ポップアップやネットショップなどを使用することで、継続的なコストが発生するという実店舗のデメリットを回避しながらビジネスを行うことができる。

ではそれが分かっていながら、なぜ私はわざわざ必要ではないはずの実店舗での服屋の営業を夢見ているのか。                  

そのことには、私自身が空間へのフェティシズムを持っていることであったり、SNSを用いた拡散を不得意にしていたりなどの理由がサブ的に挙げらるが、最も大きな理由は、飽きに耐えられないという性質をもっていることにある。このことが、今回のブログの主題とどう関係するのかを、これから順を追って説明していく。

固定化する人間

人間の生活というのはしばしば固定化する。毎日似たような行動、場所、時間配分で日々を送りがちである。それは生活にかかる労力を効率的に下げるためには当然のことで、やったことがないことばかりの環境で過ごし続けるというのは、それはそれは大変なことだからである。新しい職に就いたばかりの頃の状況が延々と続くことを思い浮かべてみると、はっきりと理解できる。

また日々の情報の収集方法についても、生活の固定化と似たようなことが起こるように思う。特にインターネット、中でもSNSを使った情報との関わり方は、それに似ている。

SNSにおける情報の取得方法というのは、ユーザー自身がフォローしているアカウント群から発信されるものを受け取るというのが基本形になると思う。そして一般的な用法においてそのアカウント群は、増やすことこそすれど限界があり、丸々取り替えるようなことは滅多にないだろう。そうなるとユーザーは、画面を開く度に同じ対象からの情報を日々受け取り続けるということになる。書いてみると当然のことなのだが、このことは自分の知らない対象からの情報を得づらくなるということも同時に意味している。それに、手軽であるが故に、情報を得るためのメインの手段にもなりやすい。

つまり現代においては、情報の内容についても、収集の方法についても共に、個人の中での固定化が起こりがちなのではないかと思う。

なぜ実店舗か

ここで実店舗での営業を行いたい理由に戻るのだが、それは一言で言うと、上記したような生活、および情報の固定化に抗いたいということになる。この理由には広い知見を得ようとする能動性を失ってしまうことへの問題意識がもちろん含まれているのだが、もう1つ私自身のより個人的な性質が影響している。それは上述したように、固定化してしまうことで自分が感じる、「飽きた」という気持ちに耐えられないということである。(個人的な性質と書いたが、実際にそれは私だけが持つものという訳では全くなく、無自覚的であろうと自覚的であろうと、同じことを感じている人はたくさんいると予想している。)

そしてそのような考えを体現するもの。ことファッションにおいてそれは、実店舗に存在しやすいのではないかと私は思っている。

ではなぜ実店舗を営業することが固定化へ抗うことになるのか。リアルな場である実店舗とは対照的であるインターネットという場の性質と、その性質から逃れることの意味を私なりに記述した後に、説明する。

リンクの限界

日々情報を消費するうえで、楽であることを優先するのか、もしくは飽きというものを解消することを優先するのかの選択基準には、かなり個人差があり、かつそれぞれの個人の中でも常に揺れ動いているものだろう。そして私の場合には、特に娯楽に限って言えば、飽きてしまったものを享受し続けることはとても辛い。したがって何かに飽きてしまったら、次に興味を持てる新しいものを見つけなければならない。

しかしそんなとき、SNSや検索エンジンを使用してみると、これらのツールがあまり有効でないことが分かる。なぜならそれらのツールでの情報を得る仕組みが、「リンク」に縛られがちだからである。

インターネットはリンク性が強いものである。構造上、ユーザーはすでに知っていることをベースにして情報を得ていくことになっているだろう。検索ワードを打ち込むにしても、自身の検索履歴から何かをオススメされることに関しても、やはり前提としてそのユーザーの持っている知識に強く依存することになる。このことは、インターネットが自分の好みに対する知見を深めることに向いているが、そこから外れているものにたどり着く機会を生み出しにくいということを意味している。

リンク外へのアクセス**

ではインターネットではない方法。すなわちリアルな物質世界において、我々が情報を受け取る仕組みというのはどうなっているだろうか。それを考えてみると、通常、現実世界に転がっている情報というのは、ワードリンクによって現前するわけではないということに思い至る。

むしろあらゆる情報はすでにそこに存在しており、人は偶然によってそれらに出会わされるものなのだと思う。そしてそのような出会いは、インターネットのように、何かからのリンクを辿って巡り会うこととは根本的に異なり、外部からもたらされるものなのではないだろうか。そうなると当然、それによって得られる情報は、極端な新規性を持っている可能性があることが考えられる。

すなわち自分にとって新しい情報というのは、当たり前であるが、常に自分の認識の外部にあるのである。これを私なりに言い換えると、他者性と偶然性の中にあるということになる。そしてそこにアクセスすることが、それまで自分の感じていた「飽き」の気持ちを解消してくれると共に、次のステップへの入り口を用意してくれるのだ。

まさに私はこのような体験を求めているし、だからこそ私と似たようなことを感じている人に対して、同じ体験が生まれうる場を提供したいと考えている。

では実際にそれらの他者性と偶然性の中へアクセスするには、どんな方法があるだろうか。

それはごく単純な話で、「他者=自分ではない対象」、「偶然性=自分のコントロールが及ばない場所、物」と考えれば、実際に外へ出かけたり、他人に会うといった行動をすれば良いということが分かる。

ここまで書くと、私が実店舗というものにどのような可能性を感じているかが、おおよそ分かってもらえるだろう。

実店舗で起こること

一般に開放した営業システムを採っている実店舗には、ランダムに人が出入りする。そうするとそこには、言葉、視覚イメージ、金銭、仕草などあらゆるもののやりとりが生まれるだろう。偶然によって引き起こされるそれらには、常に新しい知見を得られる可能性がある。

また店内に並べられた衣服たちというのは、他人によってそこに存在させられている。さらにそれは来店者にとっては強い偶然性と共に、物理的に最短距離でたどり着くことができる対象としてそこにある。このことは、高い新規性を含む出会いを生み出す可能性があるといえるだろう。

そして営業される期間が長いほどに、特定のクラスタではない来店者同士のやりとりの回数も増えであろう。これはポップアップのような短期間のものでは生み出しにくい効果だと思う。

このように、実店舗というものが持つ性質を記述してみると、私が言う固定化に抗うために必要な条件を多く含んでいることが分かる。

インターネットのリンクによって情報を増やしたり、深めたりしていく前の、前提として一つ目に知っておくしかない情報。その一つ目との出会いはいつだって刺激的である。画面の外や他人というのはそれを与えてくれる。

そのことを有り有りと感じられる場所を生み出せることを願いながら、今日も私はバーコードをスキャンするのである。

#ファッション #服屋 #実店舗 #コラム

近い将来、服屋をオープンすることに向けて活動中です。サポートしてもらえましたら、そちらは開業資金とさせていただきます。