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僕らにできることは部分集合を見つけること

昨日の記事を投稿してからも答えのない問題を考え続ける。

問いとは、「100%分かり合うことができないことを前提として、価値観の異なる他者とどのように付き合っていくのか」である。

100%分かり合うことができないとは、例えば10%程度など部分的には理解してもらえる余地があると捉えている。

難しく考えないで、例えば、どのような人を恋人にしたいのかについて考えてみよう。

過去に恋人がいたことは以前の記事でも書いた。

でも別れてしまったのは、なんやかんやあったのだけれども、結局大切にしていることが重なり合わなかったから。

それだけだ。

ちょっと脱線するが、僕は誰かと一緒に旅行に行くのが苦手だ。
修学旅行や社員旅行など決められた工程をめぐるような旅行は最悪。
だって自分が食べたいものや見たいものを自由にできないから。

いやいや、そんなことはないよ。

と、おっしゃられるかもしれませんが、そのグループでの旅先で集団の圧力と言いましょうか、皆と同じものを食べようぜ、皆と同じ写真を撮ろうぜ的な暗黙の圧力が耐え難い。

だって僕はそんなB級グルメよりも「はなまるうどん」が食べたいし、モスバーガーが食べたい気分の時もある。
何で旅先でそのご当地のものを食べないといけないんや。

別にええやん、自分の食べたいものは自分で決めて。

こんなことを旅行中に主張すると一気に和やかな雰囲気が台無しになるから言わないけど心の奥では「嫌だな嫌だな~」と稲川淳二ばりにつぶやいている。

だから旅行はひとりがいい。

誰にも気兼ねなく好きな時間に好きなものを食べられるし気分が乗らなければ一日中ホテルで読書したって構わないから。

過去に付き合っていた彼女は旅行好きな女性だったので、上記のようなひねくれた僕の言動が理解できなかったのだろう。


どのような人と付き合えばいいのか。
答えはまだ出ていないが、方向性としては結局、僕のことを理解して頂ける人でないと長期的な関係性を築くことは難しいから「自分に合う」人を見つけるしかない。

えっ、相手に合わせて自分を変えないの?

というご意見もあるかもしれない。

それも大事だけど、でもそれによって疲れるなら一人でいた方が楽では?と思う。一緒にいて自分が幸せになれるなら良いけれど、たとえ美人だとしても自分が気疲れするような相手と一緒なら幸福感を感じにくいような気がする。

最初の問いに戻ろう。

100%分かり合うことができないことを前提として、価値観の異なる他者とどのように付き合っていくのか。

あくまで現時点での僕個人の見解であるが、それは部分集合を見つけることでしかない。

表面的な付き合いにならざるを得ないとしても自分と異なる他者とは、それでもお互いが共感できる部分を対話によって探り、部分集合を積み上げるほかないのではないか。

至極当たり前のことを書いてしまって恐縮だが、僕はこのことを社会人になって学んで少しばかり生きやすくなったような気がする。

今現在は恋人よりも次の仕事探しとパワハラ問題への法的対応に追われているが誰であろうと、たとえ10%以下であろうと部分集合は存在すると信じて今日も素敵な人に声をかける。

今日も皆様にとって、良い一日でありますように。
一番大切なことは何かな。

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