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伊藤野枝 『伊藤野枝セレクション』 を読んだ




私は以前、こんな文を投稿した。


虚構でも現実でも、近代に自由を求めた女は殺された、という主旨のことを一部書いた。

フェミニストで社会主義活動家だったローザ・ルクセンブルグを何となくイメージし書いたのだが、日本にもいた。 

伊藤野枝がその1人だ。

伊藤野枝
1895年福岡県生まれ。婦人運動家、アナキスト。上野高等女学校卒業後、辻潤と結婚。1905年より『青鞜』の事実上の責任者となり、女性解放運動に参加。大杉栄と出会ったことを受け、アナキスト活動に傾注。エマゴールドマンの著作の翻訳なども手がける。1923年9月の関東大震災に際し、大杉栄、甥の橘宗一とともに虐殺された。享年28。

*1 

野枝は、フェミニストでアナキストだった。

強制的に結婚させられた夫がいたが、他の男性と恋愛関係になって駆け落ちもした。

今は姦通罪こそ廃止されたが、自分の貞操を、愛してない夫や世間様に渡すことなく、自分で支配して生きる女の人は、バッシングを受けやすい。
 

民法では今も違法だよとか、利害関係者でもないのに知識で人を殴る奴、つまんねえ。


野枝は、自分のヴァギナを自分の責任で管理したいと考えていたのである。


野枝は自由に恋してセックスして、たくさん子供も産んだが、「母親」「妻」の、因襲と偏見に満ちた役割、立場主義が自分にも内面化されているのに気づいてハッとしたり。


そんな高い倫理を貫いた女の人が書いた評論の、印象的だったところを取り上げたい。


🔸女性の「経済的独立」は夢想


婦人が就職をしてもらう報酬の最初の標準は、女1人の全生活を支持し得ると言うのではありませんでした。やはり女は、男の保護の下に生活すべきものと言う原則のもとに、ただその十分な保護を与える余裕のなくなった男の経済状態に鑑みて、それを補う程度を標準としたものでした。そして、仕事の不慣れ、能率の低いことなどが、その報酬の標準の低いことの表明の理由になっていたのでした。しかし、この能率が上がらないということは、今はほとんど虚偽に等しいもだと言っても差し支えありません。

*1    p243-244




大部分の職業夫人が、いかにその独立を辞めたがっているのかという事は、明らかな事実なのです。彼女たちはその労苦をできるだけ早く切り上げたいと思っていますから、職業的利害に対して全く無頓着でいます。どんな過酷な雇主に対してでも、その持つ不平は、「もうじき辞めるのだから」ということで諦めます。で、彼女たちの働く条件は、雇主の方から改めるまでは、いつまでたっても良くなりません。雇主にとってこれほど良い事はありません。そこでできる限り、この得な女を雇うことになります。

*1    p245


この「得な女」が私自身のことのようだった。

日本はずっと不景気で労働人口も減ってゆく。共働き家庭は増えた。

でも女性管理職は少ない。

私はそもそも管理職になるのを希望しなかった。


何故なら定時ダッシュしないと育児と家事がまわらないからだよおぉぉ〜〜! 


と月に吠えたのはいつだったか。
野枝の書く”奴隷根性”に人間らしさを侵食されたころが、かつて自分にもあった。


現在私は、既存のシステムが機能しなくなった世でフェミニズムは出口戦略だと明るい今を感じている。


そして性に関係なく、家事、育児、介護の現場で働く人々の収入はこれからも上がっていくと信じている。
ダメなら米騒動起こしてやる。

権利は譲歩から、自屈からは生まれない。譲歩は主張を卑しめる。正しい権利を主張する限度を設ける必要がどうしてある?

生きる権利!それのみがすべての人間に一様に与えられた唯一無二の正しい権利だ。そして他人の生きる権利を犯す事は、何よりも許しがたい人間の最大の罪悪である。

*1    333p


不滅の野枝の言葉に、私がフェミニズムを学び始めたのは失望ではなく喜びからだったのを、思い出した。



おしまい


参考文献
*1  伊藤野枝 『伊藤野枝セレクション』
編者 栗原康  2023年 平凡社












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