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お前の口唇にキスした


平野啓一郎さんの訳で、オスカーワイルドの『サロメ』を読んだ。
本文のタイトルは、私が衝撃を受けたサロメのセリフである。

ワイルドの『サロメ』を読んだあと、聖書の洗礼者ヨハネ斬首のストーリーとの比較をしたくなったので、福音書を読み返した。
私が持ってるのは、岩波の塚本虎二さんのやつです。



 私が創世記や新約聖書やらを読んだのは三十を過ぎてからで、それまでソドムとゴモラは怪獣の名前かと思っていたのだが、ユダヤキリスト教圏の芸術を理解するのにこれらの教典はとても役にたった。

福音書は、イエスキリストがどんな発言をしたかが記載されているところが特に参考になる。

さて、福音書ではマルコ6章、マタイ十四章とルカ9章にヘロデ・アンテパス王と洗礼者ヨハネの話がある。

以下のよう内容。

       
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ヘロデ王は、むかし自分が首をはねたヨハネが蘇ったとして一人の預言者を牢につなぐ。
兄弟の妻ヘロデヤを娶ったのは間違いだとそのヨハネが助言する。
ヘロデヤは苦々しい思いでヨハネを黙らせたがっていた。

ヘロデ王の誕生日パーティーでヘロデヤの連れ子の若い王女が舞を披露し、ヘロデ王は褒美になんでも願いを叶えてやろうと言う。
王女は母ヘロデヤに何を求めれば良いか聞く。ヘロデヤは、ヨハネの首と答える。
王女は、お盆に載せたヨハネの首をくださいと言い、ヘロデ王は、客人の手前前言撤回するのが憚られたのでヨハネの首を斬首係に斬らせる。
弟子たちはヨハネの遺体を墓に納める。

        
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打って変わって、ワイルドの『サロメ』の方は、


ヘロデ王の妻の連れ子のサロメは若い女性。恋とセックス憧れているが、いまだ魅力を感じる相手に出会えていない。
近くにいるのは、彼女を性的な目でジロジロ見てくる義父や家来だけである。 
不満タラタラのサロメは退屈し彼らを弄ぼうとしている。

そんな時、ちょうど都合よく母と自分を侮辱し、義父のお気に入りの預言者ヨカナーンとかいう男が現れた。

ヨカナーンは律法から逸脱した母と自分を侮辱している。
サロメはヨカナーンに、色仕掛けや駆け引きを仕掛けるがヨカナーンはびくともしない。
サロメはヨカナーンを我がものにするため作戦変更する。

鼻の下を伸ばした義父もまとめてぎゃふんと言わせる為に、ヨカナーンの斬首を狙う。

結果は彼女の思惑通り。

しかし、ここからが福音書とワイルドの戯曲との大きな違いで、最後にサロメはヘロデ王の命令で家来たちに殺害される。
この場面は福音書にはなく、ワイルドの創作である。


福音書では母の操り人形のような名もない少女だったが、主役に抜擢されたワイルドの作品では、王の父権をものともしない態度で聖人斬首の首謀者にもなり自由に考え、行動する。


そんな『サロメ』だからか、今日では女権的とも女性嫌悪的とも解釈が分かれるらしい。


ラストのサロメ処刑部分が、女性嫌悪的だとも読まれる所以だろう。


一方で、サロメが自由奔放な解放された女性って解釈にもなりうるけど、ラストにサロメは処刑されるわけで、結局は女が死ぬ、近代文学さもありなん、なのである。


おしまい



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