おせっかいと親切の間で
ひとには親切にしたいと思っている。困っているひとがいたら手を差し伸べたいと本気で思っている。
しかし、いざそんな場面に出くわした時、私は思うように立ち回れない。
私はおせっかいなひとがキライである。キライを通り越して憎しみさえ抱くこともある。
なので自分もおせっかいな人間にはなりたくないという気持ちが強くある。
とはいえ、憎しみをにわかに抱いたとしても私はその人に対して怒りをあらわにすることも出来ない。
なぜならその人は親切のつもりで介入してしてきているのであろうことが分かるからだ。
では親切とおせっかいの違いは何なのか。両者の境界線はどこなのか。
これは介入された側の判断によって決まるのだと思われる。
つまり、介入された側が本心からありがたいと思えば「親切」で、鬱陶しいと感じたら「おせっかい」なのだ。
この壁にぶち当たり、私は身動きが取れなくなる。
以前、外国の空港のチェックインカウンターに並んでいたときのこと。
私の前に若い女の子の二人連れが手続きをしていたのだが、どうも荷物が重量オーバーのようであった。
カウンターのスタッフは、
「荷物が過重量なので、ここで荷物を減らすか、向こうのカウンターで超過分の料金を支払ってきて」
と言っていた。
が、後で並んでいた私には全部理解出来たが、肝心の彼女たちはチンプンカンプンのようであった。
二人で顔を見合わせたり、またスタッフの方を見たりして、なかなか事態が前進しない。
後で私はウズウズしながら事の成り行きを見守り、待っていた。
ここで自分が一言助け舟を出せば、すぐに解決するであろう。
分かっているのに、私はそれが出来なかった。
おせっかいだと思われるのはイヤだという気持ちが勝ってしまったのである。
おせっかいだと思われるぐらいなら、不親切なひとだと思われる方がいいと判断してしまったのだ。
ひとに親切にしたい気持ちはあるのに。これでは本末転倒ではないか。
難しいなあ。
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