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霧の宴   ミラノ Ⅲ                  クレリア夫人

  フィレンツェに滞在する機会があると、マリアムは時間が許す限りウッフィツィ ギャラリーに足を運ぶのが習慣になっていた。その日の気分によって集中して観る部屋が決まるのであったが、それでも必ず時間をかけて観るのは、何時もS.ボッティチェッリの部屋であった。
そこには、十五世紀に遡るプラトンアカデミアのヒューマニスト達の、古代ギリシャ思想を踏まえた生命の躍動に満ちた新鮮な息吹が渦巻いているのである。マリアムはそれを肌に直接感ずるのであった。
だが、デ メディチの加護の下に結成されたプラトンアカデミアのヒューマニズムの思想を踏まえたあの大作を、現代人はどのように受け止めることが出来るのであろうか、とマリアムは疑問に思う。
 ともあれ、マリアムはクレリア夫人の申し出に異議を申し立てる理由もなく、むしろ喜んでお供することにした。

 デ メディチ家の歴史に多大な興味を持つマリアムにとっては<博士たちの礼拝>は、歴史上意味深く重要な作品なのであるが、クレリア夫人には関心がないようであった。あまり大きくないタヴォラに描かれている十五世紀に生きたデ メディチの人物群像の中で、或る説によると、唯一剣を手にし不敵な表情で左側に立つ十七歳のロレンツォ デ メディチが、1466年にルカ ピッティを首謀者に担ぎ上げたデ メディチへの陰謀を未然に防いだ事件を隠喩している、と言われるこの絵は、その後イル マニフィコになってゆく彼の巧妙にして大胆な政治手腕を駆使し、フィレンツェを当時のヨーロッパに於ける、政治経済の屈指の強国として助長させていったことを考える時、非常に興味深い作品なのである。
 しかし、心優しいクレリア夫人には、血なまぐさい陰謀だとかマキャヴェッリ的な政治手腕などは程遠く、ルネッサンスが芸術史上に残した遺産のみに興味があるようであった。
「フイリッポ リッピの女性像もとても美しいと思いますが、ボッティチェッリにはヴェロッキやリッピの影響下にあった頃から、彼特有の軽やかな流れる優しい線が揺れ動いていて、私はその優雅さがとても好きなのです。
リッピの女性像には、あどけなさが漂っているようですが、S.ボッティチェッリの女性たちには、美しさゆえの気品が加わっていると思いませんか?」
 夏の盛りというのにも拘らず、珍しく館内には人影が疎らであった。
クレリア夫人とマリアムは、アフロディーテの大作のまえの椅子に座った。
柔らかな光の部屋の中で、夫人は隣に座るマリアムの存在を忘れたかのように、うっとりと微かな笑みをうかべて<春の寓意>を眺めていたが、誰に語りかけているともなく
「ボッティチェッリは、このシモネッタという方にアフロディーテの永遠の美を託したのでしょうか、、、、美がすべてを支配する世界を、彼は描き留めたかったのでしょうか、、、。フィレンツェの春の女神シモネッタ カタ―ネオ ヴェスプッチという方が、このようにたおやかで高雅な雰囲気を漂わせているということは、ボッティチェッリにとって永遠の女性美のシムボルなのかも知れませんねえ」と呟いた。
「私の様に、自分の意のままに生きたことのない者にとって、この方の生き方は愛ゆえの美しさとか、美しさゆえの狂おしい愛の行動であったように思われ、胸が痛くなるような感動を覚えます。冬の雲を追い払っているメルクーリオとして描かれているジュリア―ノ デ メディチへの愛は、美しいお二人が地上を離れた遥かなところで愛のみに生きていたように思われます。
私は、ロンドンのナショナルギャラリーで<ヴィナス と マルス>も観ましたが、あの中のお二人は本当に美しい。あのシモネッタのヴィナスの、微睡むジュリア―ノのマルスに注がれる眼差しの高雅な優しさは、たとえようもない美しさです」
 <アフロディーテの誕生>を含めたこの三部作は、ア二ョーロ ポリッツィアーノが、サンタ クローチェ広場で1475年に催されたジョストラに優勝したジュリア―ノ デ メディチと、その祭りの<美の女王>を務めたシモネッタ カタ―ネオ ヴェスプッチを詠ったポエム<ジュリア―ノ デ メディチの馬上槍競技>に基づいて制作された、と通常言われているが、特に現在ロンドンのナショナルギャラリーにある<ヴィナス と マルス>にその趣がより濃く見受けられる。悪戯好きなサティロス達に囲まれてしどけなく仮眠をとるマルスは槍競技に優勝した後のジュリア―ノ、そして微睡むマルスを微かな笑みを浮かべて見つめる美しいヴィナスは<美の女王>シモネッタ カタ―ネオ ヴェスプッチ。
しかし、<春の寓意>は、A.ポリッツィアーノが、1469年二月の馬上槍競技に十九歳で優勝した、ジュリア―ノの兄ロレンツォ デ メディチに捧げたポエムに基づいて制作されたと思われる幟に象徴されていた意が色濃い。
その幟はS.ボッティチェッリの考案であったと伝えられているが、枯れた幹に乾いた月桂樹の葉が描かれ、その上のモット<Le temps revient=時は巡り来たる>に真珠の刺繍が施されていた、と伝えられている。
 一市民でありながら<Pater Patrie=祖国の父>と呼ばれた祖父コジモ デ  メディチの死に続く、父ピエロ デ メディチ(痛風病みピエロ)の病状に一期一憂する当時のフィレンツェの不安定な運命を暗い冬に例え、その後に巡り来る春は、若々しいロレンツォの新しい時代の到来を象徴しているのである。
 新しい世代のロレンツォの<Le temps revient=時は巡り来る>をトスカーナに巡り来る春(永遠の青春)とすると、そのシムボルのフィレンツェの春を司るアフロディーテに、美しいシモネッタをS.ボッティチェッリは描いたと言いわれている。
<春の寓意>はしかし、シモネッタに象徴された美の底には、フィレンツェにあらゆる意味を含む<春>をもたらすデ メディチの二人の兄弟のプラトンアカデミアの精神を、S.ボッティチェッリは永遠に留めておきたかった意が潜んでいるのではないか?
そして、そのフィレンツェの<春>とは、S.ボッティチェッリその人にとっても、デ メディチの若い兄弟と共に謳歌した、尽きることのない生きる喜びの束の間の、人生のひとこまであった筈だ。
 公爵夫人はしかし、マリアムの脳裡に行き来する思索を知る由もなく、
ジュリア―ノ デ メディチへのひたむきな愛に生きたシモネッタ カタ―ネオ ヴェスプッチの優しく高雅な姿に視線を留めて、長い間無言でその場を離れようとはしなかった。
「美しさ故に求め合った愛なのですもの、たとえモラルに反していたとしても許されてよろしいのでは、、、、、、貴女もこのお二方の様に、人を愛されたことがおあり?」
「奥様、現代の様に煩雑な人間社会の中では、残念ながら美しさ故の愛に充たされる幸せを、人は失ってしまったのではないでしょうか?
<サティロスは死んでしまった、サティロスもニンフ達も、この三十年こんなにも恐ろしい冬はなかった、お前が目にしているのは山羊の足跡、だが此処に留まることにしよう、彼らの墓に、、、>」
「ナイアスのお墓に全ては葬られてしまった、と貴女はおっしゃるの?」と夫人は寂しげに呟きながら、バラの香りをまき散らす西風ゼフィロスとクローリが運ぶ貝に乗って、たった今岸辺に着いた地中海の泡から生まれたばかりの、少し眠そうなアフロディーテに、その端正な顔を向けた。
             つづく


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