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Maestro Seiji Ozawa

 時は、ゆっくりと、或いは足早に通り過ぎてゆく。
マエストロは逝かれた。満足して旅立たれたのではないかと、私は想う。
そう思いたい。
 1960年代、才能豊かな指揮者として頭角を現したころ、日本のクラシック界はどの様に彼を冷遇したか、当時を知る人はもはや少ない。旧態依然とした感覚と体制のN響が、新進の指揮者をボイコットし全員欠席したオーケストラの空席を前に、独り佇む彼の姿を、私は鮮明に覚えている。更に、二度目の結婚相手が当時売れっ子のファッションモデル(現夫人)であったことから、H.カラヤンの真似だ、などと週刊誌に揶揄した記事を書かれたこともある。昔も今も日本人の嫉妬心による誹謗中傷は変わらない。これが日本人の習性なのかもしれない。
 今でこそ日本が誇る<世界の小澤>などと報道されるが、学生時代を除いて、若き日のマエストロを育てたのは日本ではない。私の個人的な考えでは指揮者としてはH.カラヤンもさることながら、R.バーンスタインの影響が最も大きかったのではないかと思う。オルケストラメンバーとのコムニケイションの取り方やスタイルは、R.バーンスタインの表情たっぷりな身体を使った、生き生きとした意思伝達など。そのR.バーンスタインが才能ある若者たちを育てることに非常に熱心であったことが幸した。そして、奇妙奇天烈な古い日本の風習に汚されることなく、小澤の音楽を心から愛する外国で、のびのびとその才能を発揮できたことは実に幸運であった。
 音楽に限らず、他の芸術分野でも、現在巨匠と言われる過去の人々の作品が、本国の日本では無視され、外国人によって初めてその真価を認められ、日本で再認識されるとは、いったいどうしたことであろうか?
 長いヨーロッパ滞在のおかげで、幸運にも私はマエストロの公演に接する機会が多かった。その音楽的感性の鋭さと音楽的知性の豊かさ、それらが調和して創造される彼の世界は、たいそう魅力的であった。イタリアの19世紀のリリシズムには納得できないところがあったが、S.プロコフィエフ、I.ストラヴィンスキーなどは私のお気に入りであった。
 1982~1983年ミラノスカラ座オペラリリカシーズンでの、J.ノーマンを迎えたH.ベルリオーズ<Damnation de Faust>のなんと感動的であったことか! 本当に素晴らしかった。<トスカ>で口笛を吹いた(イタリアではアメリカなどとは正反対で、口笛はブーイングを意味する)煩い天井桟敷の連中が、マエストロのH.ベルリオーズには熱狂した。
そして、なんといっても私の心をわし掴みにして離さないのは,2010年の
M.ロストロポーヴィチ(ヴィオロンチェッロ)との共演、R.シュトラウスの交響詩<Don Quixote>である。この演奏は、高齢のM.ロストロポ―ヴィッチと死に面したドン・キホーテの心情の入魂の描写が重なり、マエストロの絶妙な指揮が私をとんでもない感動に引き込んだ。私は嗚咽が抑えられない程興奮し、溢れる涙で演奏者の姿が見えなくなってしまった。
 マエストロの新しい旅立ちに、私はこの<Don Quixote>の録画を観ながら声をあげて泣いた。
マエストロ、本当にありがとうございました。
あちらに行かれて、益々素晴らしい演奏をなさることでしょう。彼方でまたマエストロの演奏に出会えますように、今から楽しみにしております。
Buon viaggio!
          M.Grazia T.



 
 


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