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戦場ヶ原の由来/語源:日光の観光地・戦場ヶ原は、「戦(いくさ)があったから戦場ヶ原」はホントか?(地図や歴史の視点で言葉遊びをしてみる) 


こちらの投稿は、「大人散策辞典 ”wiki stroll” ~tomoaki blog~」の "Original の記事" を基本同じ内容で、記載している記事になります。Original の記事では、より多くの写真も含め記載しておりますので、併せてご参照頂けますと幸いです。


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【はじめに:戦場ヶ原で戦はあったのか?】

本日は、日光にある「戦場ヶ原」の名前の由来から、この地域の歴史に付き、勝手な妄想と考察を加えさせて頂きたいと思います。

「戦場ヶ原」っていう名前、昔この地で何がしかの戦があり、この場所が合戦の地になったので、「戦場ヶ原」と名付けられたと勝手に思っていました。しかし、思い当たる様な戦は、私の日本史の知識の中にはなく、ずーっと誰と誰の戦なのか、気になっていたいました…。

ところが、数年前に実際に現地に訪れ、その場所を見てみると、ここで戦をするのは難しいと思った次第です(本ブログ別記事で、日光二社一寺中禅寺湖戦場ヶ原周辺のハイキング/クルージングを紹介しています)。理由は簡単で、一見広く平坦な場所の為、戦をするには適した場所に思えますが、ここは湿地帯。実際に兵士が、人間の足で駆け回るには、ちょと無理があり、もしここで戦うなら、この地に足を踏み入れたら最後、踏み込んだ側の負け戦だろうと思ってしました…。そんな中、数年前に訪問した日光の観光情報の記事を、本ブログの中で記載するにあたり、面白い話を見つけたので、皆様に紹介すると同時に、勝手な妄想と考察を加えさせて頂こうと思った次第です

戦場ヶ原の様子

【戦場ヶ原で戦ったのは、神々?】

早速、Wikipedia の力を借り、戦場ヶ原を調べてみますと、以下の様にあります。

戦場ヶ原(せんじょうがはら)は、栃木県日光市の日光国立公園内にある高層湿原である。標高は約1,390mから1,400mであり、広さは400haに及ぶ。戦場ヶ原という地名は、山の神がこの湿原を舞台に争いを繰り広げたという伝説に由来している。 (略) 「戦場ヶ原神戦譚」には、地名の由来となった伝説が記されている。すなわちこの湿原は、当時下野国(現在の栃木県)の二荒神(二荒山(男体山))と上野国(ほぼ現在の群馬県)の赤城神(赤城山)がそれぞれ大蛇(男体山)と大ムカデ(赤城山)に化けて戦った戦場であるというもの。なお、争いの原因は中禅寺湖を巡る領地争いで、この伝説で勝ったのは二荒神(男体山)であったとされる。 (略)”、

(https://ja.wikipedia.org/wiki/戦場ヶ原)

なるほど、神々の戦いだった様です・・・。神々の戦いの地と言う事であれば、湿地帯は関係ないので、納得するしかないと思った次第ですが・・・

戦場ヶ原の様子とMap

戦場ヶ原の様子②
戦場ヶ原の様子③

【峠の向こう、老神温泉にも似たような伝説がある!】

ところで、中禅寺湖から西の白根山を挟んだ、更に西側に、老神温泉と言う温泉街がある事、ご存じでしょうか? 本ブログの別記事で、観光情報として紹介しましたが、同じような伝説が、この温泉街・老神温泉にも残っているのです。こちらも、Wikipedia の力を借り、調べてみますと、以下の様にあります。

”(略) 開湯伝説によれば、赤城山の神である大蛇と、日光の二荒山(男体山)の神である大ムカデが争った際、赤城山の神がこの地に出来た温泉で傷を癒して二荒山の神を追い払ったとされる。この時、神を追い払ったという事で「追神」温泉と命名され、後に転じて「老神」温泉となった (略)。”

https://ja.wikipedia.org/wiki/老神温泉

蛇とムカデが入れ替わっていますので、峠を越えると、ムカデが蛇になったのか否か定かではありませんが、両方の地で、同じような話がある事、非常に興味深い話だと思いました。

老神温泉近くにある、吹割の滝と散策案内図
老神温泉(お世話になった仙郷)のMap

老神温泉近くにある吹割の滝①
老神温泉近くにある吹割の滝②
吹割の滝周辺の散策案内図


【神々の戦いでなく、本当に戦があったのか?】

この2つの伝説に対し、考察を加えるのであれば、神々の戦の伝説に過ぎないと思っていた事象が、『実際に「群馬県側の沼田・渋川あたりを治めていた一族」と「栃木県側の日光・宇都宮辺りを治めていた一族」の間で、本当に戦があったのでないか』と思った次第です。

勝手な妄想をするのであれば、「群馬県側の一族が、何がしかの目的を持って、栃木県側に侵攻し、それを栃木県側の一族が、間にある戦場ヶ原付近で迎え撃つ。地の利がある(どういった地形か知っている)栃木県側の一族は、知らずに攻め入ってきて、(戦場ヶ原の)湿地帯に足を取られた群馬県側の軍勢に攻撃し、追い払う事に成功。この勢いに乗って、栃木県側の一族は、峠を越えて群馬県側に攻め入るが、地の利を失った栃木県側の一族は、老神温泉の地で、逆に返り討ちにあって、撤退した」、と言う妄想です。

老神温泉近くの吹割の滝付近の様子(はんにゃ岩)
老神温泉近くの吹割の滝付近の様子(遊歩道から見える片品川・吹割の滝)

また、「ムカデ」と「大蛇」が、それぞれの地で入れ替わっているのは、地元びいきの発想で、自軍を大蛇、敵をムカデと言ったに過ぎないとも思った次第です。大蛇とムカデを比べたら、大蛇の方が、神っぽくて、イメージ良いと思いますし・・・。

二荒山神社の様子
二荒山神社の様子

【最後に】

こんな勝手な妄想による考察を加えさせて頂きましたが、皆様はどう思われましたでしょうか? かなりの峠を挟む形ですが、隣り合う地域で同じ伝説が語り継がれている事、本当に興味深いですし、伝説として語り継いでいくという行為が、日本らしい事象だとも思いました

尚別記事で、日光付近の大人散策情報として、以下の記事も記載しておりますので、併せてご参照頂けますと幸いです。

皆様のお住いの地域にも、伝説があるかもしれません。その地域の歴史を少しでもさかのぼってみる事で、お住まいの地域を少しでも理解し、一層の愛着も沸いてくるかもしれませんので、ちょっとだけ周囲を見回し、その地域の歴史をたどってみてはいかがでしょうか? 新しい発見もあるかもしれませんし!


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