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歴史薫る広陵町の寺・神社

奈良と言えば歴史あふれる町。もちろん広陵町にも歴史的に珍しいお寺や神社があります。

💡百済寺(くだらじ)三重塔(重要文化財)

『日本書紀』舒明天皇十一年(639)七月の条に「詔して曰く、今年大宮及大寺を作らむ。百済川の側を以て宮処と為す。是を以て、西の民は宮を造り、東の民は寺を作る。即ち書直県(ふみのあたいのあかた)を以て大匠(おおたくみ)と為す。」とある百済大寺伝承地です。

現在の三重塔は鎌倉時代に建立された考えられており、大織冠(たいしょくかん)と呼ばれる本堂は、談山神社の本殿を移築したもので毘沙門天像、菩薩立像をまつります。

また、弘法大師が掘られたと伝えられる梵字池が境内に残ります。
(広陵町HP「観光 寺院」から引用)

\ 百済寺見学申込みについて /

広陵町に所在する、百済寺三重塔の内部、百済寺本堂を見学希望される方は、申込書に必要事項をご記入の上、見学希望日の2週間前までに生涯学習文化財課へお申し込みください。
とのことです!
申込はこちら

\ 場所などの詳細 /

📍 奈良県北葛城郡広陵町百済1168
🅿️百済寺公園にあり(無料)

\ 動画で見る百済寺 /


💡大福寺

聖徳太子の建立と伝えられ、東大福寺、西大福寺が存在しました。天河弁財天社から勧請した弁財天の信仰と、中世大和土豪箸尾氏の帰依により、鎌倉、室町、戦国時代には隆盛を誇ったとみられます。江戸時代を通じても徳川歴代将軍の護持を受けて朱印状を多数拝受していますが、明治初年に東寺が廃され、現代はこの西寺だけが残ります。
(奈良県歴史文化資源データベースより引用)

\ 大福寺 十一面観音立像(県指定文化財)/

聖徳太子の建立と伝えられ、高野山金剛峰寺多門院の末寺で満島山を号します。江戸時代には、三十石が下付され、徳川家康から家茂までの歴代将軍の朱印状が残されています。六間四方の巨大な本堂に安置されている十一面観音立像は右手に錫杖を持ち、左手に水瓶をとる十一面観音立像で、左に難陀竜王(なんだりゅうおう)像、右に雨宝童子(うほうどうじ)像を侍立します。長谷寺の安置形式にならって造立された三尊像で、一具完存する数少ない遺品のひとつであるます。像内墨書から箸尾殿の立願により永禄三年(1560)に造立されたことがわかっています。良質の檜材を用いて彩色せず、木肌のままを生かして仕上げる宿院(しゅくいん)仏師のよる制作の特徴があらわれています。
(広陵町HP「観光 寺院」から引用)

広陵町HP「観光 寺院」から写真は引用

\ 所蔵の「瑞夢記(ずいむき)」が奈良県有形文化財に指定 /

大福寺が所蔵する「瑞夢記」1巻(室町時代)が、令和4年3月25日付けで、奈良県の有形文化財(書跡・典籍)に指定されました。
「瑞夢記」は、大福寺が所蔵する、鎌倉時代後期に編纂された大和国箸尾弁才天に関する霊験記であり、中世の多様な人々に関する説話集です。
中世大和を主題とする地域性豊かな説話集として稀有なものと評価され、地域史・社会史的にも文学史的にも高い価値を持つものとして、有形文化財に指定されました。
(広陵町HP「大福寺(広陵町大字的場)所蔵の「瑞夢記(ずいむき)」が奈良県有形文化財に指定されました。」から引用)

広陵町HP「大福寺(広陵町大字的場)所蔵の「瑞夢記(ずいむき)」が奈良県有形文化財に指定されました。」から写真は引用

\ 場所などの詳細 /

📍 奈良県北葛城郡広陵町的場80
🅿️一番近い駐車場
箸尾駅前有料駐車場(場所はこちら)

\ 動画で見る大福寺 /


💡正楽寺(しょうらくじ)

周囲を濠に囲まれた古寺という地域名に相応しい正楽寺の本堂は、四柱造り本瓦葦で、四方に緑をめぐらせてあり、俗に観音さんと呼ばれ親しまれています。
(『ふる里の史跡をたずねて』より引用)

境内の近くには旧古寺の公民館があります。

旧古寺の公民館

\ 十一面観音立像(県指定文化財) /

古寺集落の北にある正楽寺観音堂に安置される本尊で2mを越えます。右手に錫杖、左手に水瓶をとる形式の長谷寺式十一面観音立像であります。檜の寄木造りで体幹部を正面二材、背面四材から造る構造は、当時の大像制作の木寄せを示されています。

平成7年度解体修理中に発見された墨書銘から僧永覚の縁者の祈願により造立されたことが分かりました。

肩幅が広く、腕をゆったりと構えた姿は均整がとれ、表情はおだやかであります。単調な肉どりや浅く刻んだ衣の表現などから、平安時代末期(十二世紀後半)の制作と考えられます。これは町内では最古のものではないかといわれています。この時期の南都における保守的な作風を示し、その大きさからも注目される像であります。

平成6年3月に奈良県指定文化財となりました。
(町HP「観光 寺院」より引用)

広陵町HP「観光 寺院」から写真は引用

\ 場所などの詳細 /

📍 奈良県北葛城郡広陵町古寺510
🅿️なし

\ 動画で見る正楽寺 /


💡新家長福寺

⚫︎別院と呼ばれたお寺
新家の長福寺を別院と呼んでおり、もともと字古御堂(ふるみどう)にあったと言われています。そこから移転されました。徳川家康から八町四面の寺の領地をもらいお寺を建てたと言われており、その時、手植えの檜があったとされています(『広陵町の民話』より引用)

⚫︎ 桜御坊と呼ばれているお寺。
昔から境内に桜が多く「桜御坊」と呼ばれています。
昭和44年に檀家の方々の手によってたくさ、の八重桜が植えられました。(広陵町HPより引用)

3月下旬から枝垂桜が咲き、4月中旬からさまざまな八重桜が境内を彩ります。八重桜が咲く頃にお寺のご好意で一般の方に境内を開放されています。

⚫︎境内を彩る牡牛
4月中旬に八重桜の他に、境内にはさまざまな牡丹が色鮮やかに咲きます。

⚫︎境内を紫に染める藤の花
こちらも4月中旬に咲き誇り見頃となります。
ベンチもあるので一休みしながら、藤の花を眺めるのも最高にエモいのではないでしょうか。

\ 場所などの詳細 /

📍 奈良県北葛城郡広陵町三吉357
(広陵町立図書館付近です)
🅿️なし

\ 動画で見る新家長福寺 /


💡讃岐(さぬき)神社

延喜式神名帳に記された神社と考えられ、現在は大物忌命・倉稲魂命・猿田彦命・大国魂命を祭るが、『日本三大実録』元慶七年(883)の散吉大建神・散吉伊能城神に従五位下を授ける記事は当社に関する可能性が大きいです。『神名帳考証』には讃岐国と関係が深い祭神である景行天皇の皇子五十香足彦命を祭ると記されています。
広陵町HP(観光 神社) 」引用)

\ 竹取物語と讃岐神社 /

竹取物語の舞台が讃岐神社周辺であるとされています。かぐや姫に求婚する五人の貴公子の名は壬申の乱(672)で活躍した実在の人物であり、かぐや姫の館に求婚のために通った記事から、竹取物語の舞台は大和国広瀬郡散吉郷(現広陵町三吉)であるとされています。讃岐の一族が大和朝廷に仕えるため、竹の豊富なこの地に移りすみ、竹取物語が生まれたと考えられる。

↓↓もっと詳しく知りたい方↓↓
広陵町HP(「かぐや姫のふるさと」奈良県広陵町みどころガイド 【竹取物語・馬見古墳群・公園・くつした・イチゴ 他】) 」

\ 過去には讃岐神社で「讃岐マルシェ」開催 /

2022.11/26にマルシェが開催されました。
たくさんの出店者や子ども会のブース
広陵町の靴下販売ブースなど盛り上がりました。

↓↓🎥動画はこちら↓↓

#エモい町 広陵町 on Instagram: "・ ✴︎————————✴︎ #エモい町 広陵町Special46 ✴︎————————✴︎ ・ ・ 【11/26】讃岐マルシェ ・ 日本最古の物語である竹取物語。 その舞台となった場所ってご存知ですか? そう。 奈良県広陵町なんです。 そんな町に竹取物語と関係の深い神社、讃岐マルシェがあります。 ・ 本日のイベントの舞台はこの讃岐神社。 ・ @katsuragi_insta さん主催で、讃岐マルシェを開催されました。 ・ たくさんの方の出店に僕も心が躍る躍る!また、広陵くつした博物館からも出張出店! ・ 多くの方が来られ、笑顔になる素敵なマルシェ。 これを機に、竹取の町、広陵町を推していきたいですね! ・ ▪︎…………………………………………………▪︎ location / 奈良県 広陵町 讃岐神社 camera / Canon kiss9i. smartphone(iPhone11) edit / Lightroom.canva.VLLO ▪︎…………………………………………………▪︎ ・ ・ ・ ▪︎…………………………………………………▪︎ 撮影ご協力の方、大募集 ①被写体になってもらえる。 ②お店の料理を撮ってもいい。 ③エモい場所知ってる! など、撮影のお誘いや依頼はdmまで💌 ※費用:全て無料(あくまでも趣味のため) ▪︎……………………………………………………▪︎ ・ ・ ・ ▪︎……………………………………………………▪︎ ⚫︎動画もYouTubeで公開中 #エモい町 広陵町で検索! ・ ⚫︎TikTokはこちら www.tiktok.com/@kawa2314 ▪︎……………………………………………………▪︎ ・ ・ ・ ・ #bestphoto_japan #photography #photo_shorttrip #unknownjapan #japanphoto #nara #nara_photography nat_archive #nara_landscape_heritage ・ ・ ・ ・ #エモい町広陵町 #奈良県 #広陵町 #馬見丘陵公園 #竹取公園 #エモい #田舎の風景 #讃岐神社 #讃岐神社でマルシェ #讃岐マルシェ #マルシェ #神社" 48 likes, 0 comments - emoimachi_koryoNovember 26, 2022 on www.instagram.com

\ 場所などの詳細 /

📍 奈良県北葛城郡広陵町三吉328
🅿️あり

\ 動画で見る讃岐神社 /


💡櫛玉比女命(くしたまひめのみこと)神社

延喜式神名帳に記された神社で祭神は櫛玉比女命を祭ります。
神殿は前方後円墳の後円部に築かれ、周濠の痕跡が明瞭に残り、埴輪の破片が出土されます。
明治時代以前には弁財天とも呼ばれていました。
地名ともなっている弁財天は弘安七年(1284)に吉野郡天川村の天川弁財天を勧請した縁起を今に引きます。
(広陵町HP「観光 神社」引用)

\ 戸閉(とたて)祭 /

晩秋の11月2日・11月3日に行われる「戸閉祭」は各村の地車が引かれ、古式豊かで勇壮な宮入が行われます。

🎥2023.11.02(宮入り)

🎥2022.11.03(宮入り)

🎥2022.11.04(宮出し)

\ 場所などの詳細 /

📍 奈良県北葛城郡広陵町弁財天399
🅿️なし  

\ 動画で見る櫛玉比女命神社 /


💡小北稲荷(こぎたいなり)神社

小北稲荷神社は、奈良県広陵町の中心にあり、その創祀は古く1,300年前35代舒明(じょめい)天皇の時代といわれています。
その後、たびたび兵火にかかりましたが、江戸時代には大和郡山の柳沢家の保護をうけ造営をみたのが今日の神殿です。

これはその当時、大和郡山藩主の家臣であった曽根家の内室が、当社に祈請して霊夢を感じて子どもが誕生しました。この子が柳沢里恭(りきゅう)という人で、彼は藩主の安泰と自家の繁盛を祈願して、御供えとして米一石二斗を当社に奉納しました。その後も柳沢家からは米、石灯、鳥居などの奉納があり、柳沢家は一藩をあげて当社を崇敬されました。

このように当社には、柳沢家との交流や大阪の堺、和歌山の橋本など広く県外から崇敬されていたことを示した書物が多く保管されています。
この小北稲荷神社の「小北」とは、江戸時代に造営された時に、以前建てられた場所より「少し北」へ寄ったため付けられたようです。

また、当社には昔、柳沢生但馬守が剣術の練習をした所だと伝えられている千本橿や百済村の領主が病気のときにお祈りすると助けてやろうというお告げがあり、空を掴んでみると白狐の尾で、これが小北稲荷神社のつかいであったという話が残されています。
(「ふる里の史跡をたずねて」から引用)

\ 場所などの詳細 /

📍 奈良県北葛城郡広陵町中56
🅿️あり(無料)

駐車場

\ 動画で見る小北稲荷神社 /

💡八坂(やさか)神社

環濠集落としても名高い奈良県広陵町の古寺地区にある「八坂神社」。当社は「正楽寺(しょうらくじ)」と隣り合わせに建っており、椋の古木が生い茂る境内は、広々として子どもたちの良い遊び場にもなっています。
(境内には、滑り台やブランコがあります。)

本殿は、春日造り銅板葦で、御神霊として「素戔男命(すさのおのみこと)※天照大神の御弟」が祭られています。
拝殿は、入母屋造り本瓦葦で大きく立派なものです。

多くの絵馬が納められている絵馬殿(旧拝殿を南方に移したもの)や石燈籠狛犬(いしとうろうこまいぬ)などの石造物も多く、村人の信仰の厚さを物語っています。
(『ふる里の史跡をたずねて』より引用)

\ 八坂神社 ケヤキの巨樹 (町指定天然記念物)/

八坂神社の境内にはケヤキの巨樹が生育しています。主幹は、地上2.5mで二岐し、地上1.3mの幹まわりは4.3m、(直径1.4m)、樹高は約25m、枝張は計測可能な南北方向で21.7mあり、樹勢は旺盛であります。このケヤキの巨樹は平成8年3月に町の指定天然記念物になっています。

この他に境内にはムクノキの巨樹が数本見られます。盆地にあって有用樹種であるため、このような巨樹が残ることは珍しいことです。
(町HP「観光 神社」より引用)

\ 場所などの詳細 /

📍 奈良県北葛城郡広陵町古寺343
🅿️なし

\ 動画で見る八坂神社 /


💡山王(さんのう)神社

奈良県広陵町の南郷区にある神社。
昔はここで夏祭りなどの行事があったが今はされていません。

⚫︎絵馬がたくさん

新年には本殿の扉が開かれており、中で役員の方々からお神酒やお菓子がもらえます。
中の絵馬は自分が生まれた時に描かれたものも飾ってあります。

\ 石造浮彫伝弥勒菩薩坐像(せきぞううきぼりでんみろくぼさつざぞう) /

境内にある奈良県指定文化財の藤原後期の石仏。頭上に宝冠をつけ、左肩から条帛(じょうはく)を懸けて、腹前で法界定印を結ぶ姿が板状の安山岩に薄肉彫りされている。像全体に風化がみられるが、左肩上方に永治2年(1141年)の刻銘が認められ、優しい伏目の表情や穏和で柔らかみのある肉どりなど、よく時代の特色をあらわしている。平安時代の数少ない石仏のうちでも県内最古の存銘石仏として貴重であり、昭和54年3月に奈良県文化財の指定を受けた。
(境内の看板から引用)

お正月には扉が開きます
中には石造浮彫伝弥勒菩薩坐像

⚫︎1月にはとんど

毎年1月の上旬〜中旬にとんどを開催されます。とんどには地域の役員さんや自警団、地域の方々などたくさんの方が見に来られます。

⚫︎ 亀が大量に!

境内の横には小さな池があり亀がめちゃくちゃいます。また、この池では毎年南郷自警団による出初式も行われています。

⚫︎ 遊具も実はある

公園としての機能もあり境内には、ブランコがあります。久々に見ると乗ってみたくなりますね。遊具はブランコしかありません。

⚫︎本殿横の小さな祠

新年にはいつもお賽銭を入れに来るのですがどのようなご利益のあるものかは調べても出てきませんでした。
昔から子どもたちの中で言われていたのは「拝むと美人になれる」と言ったものです。

⚫︎実は新しいトイレが完備

数年前にできたトイレで比較的に新しいです。
ただ、実際これがトイレということを知らない方も多い印象ですね。

⚫︎隠れ桜スポット

広陵町内いたるところに桜が咲く春。場合によってはどこも人でいっぱいです。そんな方必見。南郷地区にある山王神社の桜は最高にエモい写真が撮影できます。

\ 場所などの詳細 /

📍奈良県北葛城郡広陵町南郷1225
🅿️なし

\ 動画で見る山王神社


💡熊野三柱神社

南郷庄ノ垣内東部に、水の神様として親しまれている熊野神社、多度神社があります。
境内は、約450坪あり、一部は児童公園となっています。
当社は、昭和56年に氏子の人々により、拝殿、鳥居、絵馬堂が立派に改築されました。

⚫︎拝殿
古い三十六歌仙の内の十八歌仙の絵馬が大切に保存されていますが、もう一つの十八歌仙は紛失されたようです。

⚫︎本殿
拝殿の奥には、熊野神社と多度神社の本殿が隣接して祭ってあり、本殿は、多度神社の方が少し小さいですが、共に春日造り、銅板葦で本部朱塗り、一部彩色を施してあります。

⚫︎多度神社
三重県桑名市の多度神社の分身であると伝えられています。この神様は、雨乞いの神と古くから村人たちにより伝承されており、村人の口伝えによれば、旱魃(かんばつ)に雨乞い祈願することにより、竜が飛び雲を刺激し大雨になると言われています。
(「ふる里の史跡をたずねて」より引用)

\ 場所などの詳細 /

📍 奈良県北葛城郡広陵町南郷1007
🅿️なし

\ 動画で見る熊野三柱神社 /


💡八嶋(やじま)神社

笠地区の西北のすみにあり、昔は四方を堀に囲まれていた新木山(にきやま)古墳、巣山(すやま)古墳の培塚の様に思われる八嶋神社は、椋(むく)の大木が生い茂ります。

この神社には、「大国主命(おおくにぬしのみこと)」が祭られ、本殿は春日造銅板葺(かすがづくりどうはんぶき)であり、拝殿は瓦葺平屋です。

八嶋という名の由来は、昔この村は八戸しかなく、八軒屋と言われ、その一軒一軒の氏神として八ヶ所に山の神と呼ばれるものがありました。その八社を一ヶ所に寄せ集めて出来たので、八嶋神社という名がついたとのことです。
(『ふる里の史跡をたずねて』より引用)

\ 場所などの詳細 /

📍 奈良県北葛城郡広陵町笠53

\ 動画で見る八嶋神社 /

💡箸尾南戎神社

奈良県広陵町の箸尾(北校区)の南という地域にある神社で、近くには、だんじりで有名な櫛玉比女命神社があります。

小さな神社で調べて出てきた情報が、「商売繁盛」「家内安全」を願う神社で、毎年1月(2024年から1月の第2日曜日)に、「えびす祭り」が行われます。
祭りでは、福引やぜんざいの振る舞いが行われ、地域の交流の場となっています。

\ 場所などの詳細 /

📍 奈良県北葛城郡広陵町南218
🅿️なし

\ 動画で見る箸尾南戎神社 /


💡八幡(はちまん)神社

八幡神社は奈良県広陵町の北校区(箸尾)の中(なか)という地域の南方に位置しています。石の鳥居をくぐるとすぐ右に、石造手洗手鉢があります。これは、天保4年(1833年)に、松井治郎兵衛が奉献したものです。

境内の広さは、6畝8坪で、古きを象徴するかのように大きな椋の木があります。狛犬一対は、弘化4年(1847年)に氏子が奉献したものです。

拝殿には、八幡宮の額が掲げられており、絵馬も大切に保存されています。
社殿は、春日造りで王神(応神)天皇を祭り、栄えた時代を推測できる石灯籠があります。向かって右は、貞享5年(1693年)、向かって左は、元禄6年(1688年)に建てられたものです。
明治以前の年代を推測し得る傍証と明治初期の改築工事の図面が残されており、これによると農業の神として村人の信仰が厚く7月7日の夏祭りには、農作業を休み村人全部が昼籠(ひるごも)りを行い、昼食を境内で食べて、秋の豊作を祈念したといわれています。もちろん現在は行われていません。
(『ふる里の史跡をたずねて』よる引用)

\ 場所などの詳細  /

📍 奈良県北葛城郡広陵町中210
🅿️なし

\ 動画で見る八幡神社 /

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