僕が青年海外協力隊を志望した理由

 最近派遣前訓練の入所日が近づいてきたということもあり、知り合いから

「そもそも何で青年海外協力隊に行くの?」


と聞かれることが多くなってきたのでこのタイミングで書き残しておこうと思います。

正直な話は本当に仲の良い友だちにしか話しておらず、これを聞かれると本音を言わないで基本的にはぐらかしていました。最近はぐらかすのがしんどいと感じていたし、どこかに吐き出してしまいたいとも思っていたので、派遣日程が決まっていないどころか派遣前訓練も始まっていない中途半端な時期ですが僕が青年海外協力隊を志望した理由を残しておこうと思います。

まず前提として…

社会人になってから協力隊応募に踏み切った理由はこんな感じです。


ですが、そもそも
「協力隊に行きたい!」
と思ったきっかけは10年前の高校一年生にまで遡ります。

まとまらない文章になるかもしれませんが、自分の中の大切な部分です。






いきなり重い話になりますが、


10年前、高校1年生の時クラスメイトを亡くしました。

その子とは特別仲が良かったわけではないのですが、3年間クラス替えのないクラスで当たり前にその子も一緒に卒業して…という未来を想像していたので同い年の友だちが亡くなったということを受け入れられませんでした。

突然の出来事で16歳の僕には事実が全く受け入れられず、何日もまともに眠れなかったのを覚えています。


眠れない数日間


「なぜあの子は死なないといけなかったのか?」
「なぜあの子は死んでしまったのか?」
「どうにか助けられなかったのか?」

ということがずっと頭から離れませんでした。
今考えても、とても辛い期間でした。何をしていてもしんどかったです。






それから数日経って、頭の中で「なぜ?」が渦巻くと同時にどういうわけか分からないですが

「生きている自分は人生を最後まで全うしてやろう。」

という思いがこみ上げてきました。

「あの子の分まで思いっきり生きないと。」

みたいな思いが芽生えました。
自分勝手な奴に聞こえるかも知れませんが…。
多分、自分自身の「生きること」をイメージしないと辛さでおかしくなりそうだったんだと思います。


期間にすれば多分、数日間のことですが、その考えが思い浮かぶまでの体感がすごく長くて、これからの人生に希望がもてない辛い期間でした。その数日の間にも色々ありましたし…。



ほんの少し落ち着いてきたある日、


「『自分の人生を全うする』ってどんなことだろう?」


と考え始めました。
その頃から教員になりたかったので、
教員になって夢を叶えるというのもひとつあったのですが、心のどこかで

「一度きりの人生その目標だけで良いのか?」

と考えてしまう自分もいました。
「教員」という目標は家族が教員をしていることもあり、小さい頃から漠然ともっている夢でした。
「それが人生の目標で良いのか?」
と思ってしまったんですよね。
人生の中でひとつ目標があるのに何か贅沢な話ですよね…。


そんなことを考えながら、友だちを亡くした辛さから家に籠もっていたときテレビからある映像が飛び込んできました。



それこそが青年海外協力隊の方の映像でした。
(「こんなところに日本人」千原せいじさんがアフリカに住む日本人を訪ねるという企画でした。)

世界の村で発見こんなところに日本人


その映像を見た僕は


「これだ!!!!!!」



と感じ、目の前が急に明るくなったことを今でも鮮明に覚えています。
布団から起き上がり、テレビにかじりついて見ていました。


自分が何に心を動かされたかというと、


まず自分と年がそこまで変わらない協力隊員(22、23歳?)がどう考えても大変なアフリカの環境の中で、本当にキラキラとした姿で活動されていたこと。

またテレビに映る現地の人たちが本当に陽気で人に優しく、見返りなんか求めず、ただただ人に親切に接していたこと。
特に画面越しでも子どもたちの純粋さが輝いて見えたこと。


16歳なりに人生のどん底にいた自分には映像に映る人々が本当に輝いて見えました。映像の裏側はどうか分からないですが、あれが本当の姿であることを今でも信じたいです。

それと同時に


「1回きりの人生、自分もこんな風に生きてみたい。」


という思いが芽生えたのも確かです。



そこからのことはあまりよく覚えていないのですが、その映像が自分の生きる活力になったことは間違いないです。

その頃から

「いつか青年海外協力隊にチャレンジしてみたい。」


という思いがあり、今に至ります。






正直、教員採用試験にギリギリで合格し、コロナ禍に突入して必死で教員として毎日を過ごしていた1年目、2年目の時は

「現実を見てこのまま働こう…」

と青年海外協力隊を諦めかけた時期もありました。

でも、あの時の衝動がずっと胸にあり、いつもどこかで

「人生は一度きり」

と言われている気がして協力隊を諦めきれませんでした。

しかも2年ほど働き、教員として3年以上勤務すると休職の権利を得られると聞いて、いてもたってもいられなくなりました。



その結果ようやく現在、10年越しに
青年海外協力隊2024年度1次隊に合格することができました。


あまり派遣国の話はしてこなかったのですが、実は出願時点では
「アフリカは過酷」
というイメージがあり、
生半可な覚悟ではいけないだろうという考えがありました。

そのため、派遣希望国にアフリカの国を書くつもりはありませんでした。
でも、10年前映像で見た国が忘れられず、

「あの国なら…」

と思い、派遣希望国の第一志望にその国の名前を書き、あとの第2、第3希望にはアフリカ以外の地域の国を書いて提出しました。
アフリカに行くならあの国以外は嫌だし、
派遣中にどんなことが起きようと、あの国だったら自分の中で納得できると思ったからです。



するとご縁があってか、10年前映像で見た第一志望の国に派遣されることになりました。


その国はセネガル共和国です。



僕にとってこんな嬉しいことはないです。
10年前ひどく落ち込んでいた自分に生きる目標を与えてくれた国へ派遣されるんですから…。

ここまで書いてみると国際協力なんて言葉が全然出てこないですがこれが本音です。
でも、この国のためなら多少辛くてもきっと頑張れると思います。


まだ派遣されてもいないですが、
青年海外協力隊に合格し、
派遣予定国がセネガルになっただけでも、
10年間諦めなくて本当に良かった。




きっかけの1つであるせいじさんからの返信
(映像に映っていた隊員さんにもいつかお礼を言いたい…)










派遣前のこんなタイミングでこんな記事を書くのはどうかとも思いましたが、今日書こうと思った理由は、今日が友だちの命日だったからです。




また、僕にとってこの記事は清算です。
この記事の内容は消さずに一生残しておこうと思います。


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