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健康マインド(僕らの吟遊詩人❗)「小室等」① 雨が空から降れば

1943年(昭和18年)東京 葛飾産まれ。
この男は風貌が(吟遊詩人)です。
フォークグループ(六文銭)のリーダーで、1975年には(フォーライフ・レコード)の初代社長になりますので、実務にも長けた方なんでしょうね。
1971年に発表したキングレコード時代のソロ(雨が空から降れば)がヒット❗
当時の劇作家達との交流から産まれた作品です。

松岡正剛の編集企画で、六文銭挽歌集に詞を書き下ろしたのが、別役実「ヒゲのはえたスパイ」、唐十郎「ひなまつりの歌」、清岡卓行「思い出してはいけない」、富岡多恵子「思い出さないで」、吉増剛造「今夜・きみ」、滝口雅子「若もの」、大岡信「わたしは月にいかないだろう」、佐藤信「まっかなよるの道行」、高橋睦郎「三途川ブルース」、入沢康夫「恋の扉」というラインナップだったという。

「ひなまつりのうた」は、早稲田小劇場から委嘱された唐十郎の「少女仮面」の劇中歌に採用されたそうだ。早稲田を家の事情で中退しながら文学的演劇的に早稲田界隈を闊歩していた松岡正剛の引き合わせで、小室等は演劇界の唐十郎、別役実、黒テントの佐藤信と出会った。唐十郎の稽古場を訪ねて「ジョン・シルバー」を唄った演劇的な出会いのエピソード、別役邸では、暗黒舞踏の土方巽と酒を酌み交わした思い出など、読んでいて、その時代の破天荒さとその顔ぶれに心が躍る。

(ヒデヨシ映画日記)より抜粋させていただきました。
そして、このエピソードもありました。

1980年代に小室等がローマに行ったとき、「雨が空から降れば」を歌ったら現地でウケて、イタリア語に訳すことになったそうだ。しかし、「思い出は地面にしみこむ」が訳せなかった。「思い出は地面にしみこまない」と言われ、この表現がきわめて日本的だということに気づいたそうだ。「しょうがない雨の日はしょうがない」というところだけイタリア語でみんなで歌ったという。

雨が空から降れば 思い出は地面にしみこむ 
雨がシトシト降れば 思い出はシトシトにじむ
黒いコーモリ傘をさして 街を歩けば
あの街は雨のなか
この街も雨のなか
電信柱もポストもフルサトも雨のなか
しょうがない
雨の日はしょうがない
公演のベンチでひとり
おサカナをつれば
おサカナもまた雨のなか
しょうがない 雨の日はしょうがない

この雰囲気が伝わるだろうか❓
何故人の解説を引用したかと言うと、当時私は上京して演劇青年をしていていましたが、(別役実)の芝居とは距離を置いていたのでちゃんと話ができない気がしたからです。

続く

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