大人と親と無償の愛と偶然

最近自分の中で1つ生まれてから疑問だったことの答えが出た。それは「大人とは何か」という事だ。それはきっと「誰かの為の行動で幸せを感じ、誰かに自分の人生を使える人」なのだと思う。

幼少期から人に恵まれてきた自信はある、それは親も同じで、したい事を好きな様にさせて貰っていた。何かを制限された事は記憶にない。というのも考えすぎな子供であったが為か、お世辞にも金銭的に余裕があるとは思えなかった親に気を遣って物をねだったりする事が少なかったのも1つの要因ではある。

子供ながらに「何でお父さんお母さんは自分にここまでしてくれるんだろう」という疑問があった、親って何?大人って何?という事。分からないから弟なんかに与える事を試してみたりもしたけど、子供の俺は一抹の後悔を抱いたりしていた、「あーー自分で食べればよかった」みたいな。まぁ子供が子供に与えられる具体的な物やお金なんて今と比べれば小さな物だけど。

そうして生きていく中で自分より下の後輩やいとこも増え、自分も歳を重ねた。そして今の友達、彼女に出会ってつくづく思うのは「この人達が笑ってたら嬉しい、幸せだ」という事。多分皆に教わった。自分の大好きで大切な人が幸せでいてくれる事がすごく嬉しい事だと感じる、今。これはきっと無償の愛だ。
そうか、こういう気持ちだったのか、と。歳を重ねて出会いと別れがあって、幸せだと思える今に自分自身のことではなく恋人や友達、家族の事だけを重ねてる自分は、きっと人の為に生きることが幸せだと本心で思っているのだろうな、それをこの歳になってようやく教わった。
出会いと別れを繰り返し、人を傷つけて傷つけられて、考えて悩んで、その先で出会った人達を幸せにしたい、幸せを願いたいと思う気持ちこそ大人という事なんだろうな。これは俺の答え。別に当てはまらないから子供、というわけではないし、自分で見えない大人の部分もきっとある、少なくとも俺は皆にそれを見る。

そういった中でもう一つ思う事が。
じゃあそんな出会いが来るとは限らない。もしかしたらそんな人間にはなれない、人に愛を注げない、愛をもらうに値する人間ではない、と思う人がいると思う。
ただ、人の出会いというのは偶然でしかない。というか人生は偶然の産物だ。全部偶然、あれもこれも偶然。自分の彼女との話を少しすると、その出会いも偶然に溢れた物だった。
その時の気まぐれで話しかけ、偶然同じ物を好きで、偶然会うタイミングができて、偶然お互いの境遇も重なるところがあった、本当にそんな感じ。どれか一つがずれてたら今は変わっていたのかもしれない。でも、あった、そんな偶然が。

先の話を考えても、見えない範囲のことを考えても、偶然というものがある以上自分の力が及ぶ所ではない事も多々ある、と言いたい。でもこれは決してネガティブな意味じゃない。自分にとって良い偶然が舞い込んできた時に、それをモノに出来る人間でありたい、逆に言えば良くない偶然がきてしまった時に負けない人間でいたい。それを必然と思えるかはきっと自分次第なんだろう。

きっとそれは目に見える範囲の人を愛して、大事にして、誠実でいることが1番近い。後ろめたい事や人に顔向けできないことがあると、どうしてもその偶然を不意にしたり見過ごしてしまったりするのだと思う。その後ろめたいことなんかを消す事だけじゃなく、戦って向き合うことは本当に美しいし、気高い。

何が言いたいのかよく分から無くなったけど、俺は貴方を愛しているし、大好きだから。色々と苦しんでる貴方にも、考えてしまう貴方にも、今幸せな貴方にも、色んな偶然はきっと訪れると信じてるだからその日が来るまで自分の出来る限りを生きてみようぜ、俺もそうするから。
何かが変わる瞬間は一瞬だから、その一瞬の為に、過去と向き合って今の自分が出来る最善を尽くす。俺が生きてきて出た一つの結論、人間の理想はきっとそんな感じ。
誰にでも真摯でいたいし、自分の精一杯を持って貴方と生きていきたい、俺と出会った奴は出来る限りで必ず幸せにするからな、と言いたい。

ps.ちなみに彼女と俺は会ったところも遠いし、接点も何もなかったのに、何故か親族が直線距離100m無いところに住んでいる。彼女の実家と俺の親族の家がめちゃくちゃ近い、こんな偶然もあるよ。意味わからんけど。

世の中にはこんな人もいます。

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