amazarashi 青森 

一部セトリネタバレあり。読むのなら気にしない人か、既に参加済みの人のみで頼みます。


7割日記で3割曲紹介、聴いてたら思い出したので少し。

自分には好きな人がいた。入学してからずっと仲が良くて、交友関係が広い方ではない(失礼か)その人の中でもかなり仲がいい友人になれていたと思う。
何でその人が好きだったかって、それは俺をずっと救い続けていてくれた人だったから。留学して打ちのめされた時、友達が急逝した時、コロナ禍で塞ぎ込んでしまった時、本当に努力が報われるのか不安でたまらなかった時、いつも1番近くにいて、素直で優しい言葉で自分を救ってくれていた人だったから。その人の声を聞くと落ち着くし、雰囲気も、全てが堪らなく好きだった。みんなが口を揃えていう良い人だとか美女だとかそんな人ではなかったけど自分にはその人しか見えなかった。

その人を友達としてではなく恋人として好きだと確信したのはその人の事を好きな人が現れた時だった。失いたくない、他の誰かのものになるなんて、そう思うと居ても立っても居られなくなって、ちゃんと気づいて、告白した。返事はOKだった。

ただ、付き合った途端自分も相手も変わってしまった、どんどん深みにハマる自分とは裏腹にどこか冷静になってしまい、すれ違いが多くなって結局別れてしまった。本当にどん底にいた気がする、あんなに好きだったのに失ってしまって、この先何もできないんじゃないかと考え込んだ。

けどいろんな友達が助けてくれて新しい世界を見れて、価値観も少し変わって立ち直れた半年後、その人とまた友達として話せて、そこでamazarashiを青森に見に行こうと2人で約束をした。amazarashiというバンドはその人に勧められて知った。「穴を掘っている」という曲を教えてくれて衝撃を受けたのは今でも忘れられない。そこから好きになって、友達が急逝した時は「エンディングテーマ」や「雨男」を聴いていたし、その人と共に自分の生活に寄り添っていったバンドだと思っている。

ここまでが前提。

そしていざ青森に行った。久しぶりにまともにその人と話す機会だったんだけど、まぁ噛み合わない事この上ない。相手も自分も言葉が乗らない、うまく返せない、人生であれほどギクシャクという言葉が似合う空気を感じた事はない、もう感じたくもない。
その時、自分はこの人ともう根本的に合わなくなってしまったんだなと痛感して本当に悲しくなった。1番の理解者だったと思っていた、好きだったし、これからも一緒にいたいと思っていた。友達として話せたなんて言ったけど、真っ赤な嘘だ。まだ大好きだったんだ。それでも本当に何もうまく行く事はなかった。ライブ前も、後も。

そんな憂鬱な気持ちの中始まったライブは圧巻だった。中でも自分が衝撃的だったのはこのノートのタイトルにもある、「数え歌」という曲だ。
この曲ははっきり言ってノーマーク、シングルのカップリングの曲で、数曲ある名前しか知らない曲の一つだった。でもライブで聴いて歌詞があまりにその時の自分と重なってしまった。数字に準えて進むこの曲は、情景とか理想の自分とか、本当はこうだったのにとか、そんな事を徐々に「大切だった誰か」に重ねて歌うのだ。

''一つ 二つ 離れたくなかった人 足し算したり 引き算したり
三つ 四つ 愛してくれた人 足し引きゼロで眠りたい
五つ 六つ 信じきれなかった人 悔やんでみたり 開き直ってみたり
七つ 八つ とめどない思い出 全部持っては行けない 明日には''

歌詞を抜粋するとキリがないが、特にこのラストのサビはその時の自分をこれ以上ないほど残酷に表していた。
離れたくなかった、愛してくれた、でも信じきれなかった、とめどない思い出をくれた、それは本当に全部隣にいる彼女こそくれたものだった。ただ、それらをもう持っては行けないし戻らないものだと痛感して聴いたこの曲は、自分の奥深くに突き刺さったのが明確にわかった。

結局その青森遠征はあろうことか2人で来たのにも関わらず、次の日はお互い暗黙の別行動になったし、帰りもほとんど会話を交わさず、その後も3ヶ月以上何も話す事はなかった。稀に見る旅行の大失敗。笑っちまうし事実笑われた。

詳細を知る人からは「お前は悪くない」だとか「あいつはお前のことをどうでもよく思ってる」とか言われたけど、半分は共感だ。俺自身がそんな事は1番わかってる。もう変わってしまったと思うし、俺は側から見たら蔑ろにされた側の人間なんだろうなって。でもその人が作ってくれた思い出とか優しさに縋ってしまう自分を捨てきれなかった。忘れたくない事だし消すに消せない事。そんなもん誰だってあるだろうが、この人とは幸せになれないし幸せにしようとはしてくれないだろうって思っても時間の長さとか美化された思い出とか、側から見たらカスみたいな事でも自分を捨てきれないってわけだ。

今は楽しくやっている、でもその人と話さなくなって気にしなくなっていくにつれて楽しくなった。そう認められてしまう自分が嫌だ。何故なら話したらまた好きになるかもしれないってわかっているから。
「数え歌」を聴く度にそういう自分が出てきて、考え事を重ねている気がする。

はっきり言って何が言いたいかわからなくなったが、数え歌というのは感動的だとか一言で表せるものではない。自分の心に深い傷をつける、いい意味でも悪い意味でも。ただ自分をいつでも見つめ直す為のきっかけをくれる大事な曲。

興味があれば是非。聴けば今の自分が捨てられないものとか忘れられない事を思い出させてくれる。それが良い事なのか悪い事なのかわからないけど凄く良いものだとは思うから。そして単純に自分が大事にしている曲だから聴いてみてほしい、というそれだけ。

そして最後に。こんな一連の流れでどん底にいた俺を救ってくれたのは、これを見ているかもしれないフォロワーさんだった。曲を勧めてくれたり、声を掛けてくれたり会って話す機会をくれたり、ライブの機会をくれたり、本当に沢山助けられた。この曲をただの戒めとか悲しさだけじゃなくて好きになれたのは本当にそういう人たちのおかげだな、と。
もし見てたら改めて、どうもありがとうございました。貴方のおかげで楽しい事が沢山増えたしそれを感じられるようになったんだ。

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