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「寺田寅彦随筆集 (第五巻)」を読んで

寺田寅彦随筆集は全巻で五巻となり、この本が五巻目となります。目次には、「疑問と空想」、「天災と国防」、「詩と官能」、「災難雑考」、「俳句の精神」などについて書かれています。

「災難雑考」に次のように書いてます。
「たとえばある工学者がある構造物を設計したのがその設計に若干の欠陥があってそれが倒壊し、そのために人がおおぜい死傷したとする。そうした場合に、その設計者が引責辞職してしまうかないし切腹して死んでしまえば、それで責をふさいだというのはどうもうそではないかと思われる」

「その設計の詳細をいちばんよく知っているはずの設計者自身が主任になって倒壊の原因と経緯を徹底的に調べ上げて、その失敗を踏み台にして徹底的に安全なものを造り上げるのが、むしろほんと責めを負うゆえんでなかろうかという気がするのである」

この文章を読んで、私はすごく感銘を受けました。このような優れた見解、判断力、そしてルネッサンス的な、人を中心とした見方ができる優秀な人が、日本の権力の中心にいたなら、今の景気低迷、経済の低迷など起きず、文化的にももっと発展したと思う。
日本の歴史を紐解けば、なぜか優れた人ほど異常時に蚊帳の外に置かれ、ミスジャッジや、泥沼化された状態になってしまうことが多い。

先の寺田寅彦の構造物の欠陥、設計者の責任についての見解でも、寺田寅彦は、起きてしまった事故、災害の再発防止をを最重要課題と捉え、その原因を徹底的に追求し、二度と発生させないことが大切で、それが設計者の責任だと書いてます。しかし、多くの場合、制度の保持、利得関係などのため、人に責任を押しつて、情緒的に解決してしまう。そして類似の事故、災害が10年後、20年後に発生し、人的、設備・機械的、作業方法的、組織的な根本的な原因究明がされないことが多い。

「天災は忘れた頃にやってくる」という警句は、寺田寅彦氏が言った言葉として有名ですが、天災への備え、予防策等はそれぞれ異なり、その結果が異なる被害の影響度、重篤度となります。

学生時代、西洋のルネッサンス的な人を研究する機会があり、日本の中でもそうい人がいないか調べ、寺田寅彦氏を探し、何気なく購入した随筆集ですが、その中身は幅広く、深く、論理的に明快で、またときに琴線に響くように芸術的に描写されて、とても優れた随筆集です。身近に置いて、常に知的刺激を受けたい本です。

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