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答えのないものにこそ魅力があり浪漫がある。

仕事や趣味など様々なものにおいて、その取組む方法や手段というものは無限に存在する。
そして、その答えは時代によって変化していく。

職場では上司や先輩から学んだことを真摯に受け止め、それを後輩へと伝えていくことになるのだが、その中で自分なりの考えを上書きして伝えていくことは非常に大切である。

そもそも上司から教わった内容に違和感があれば、その内容を下にそのまま伝えても、聞く側にとってはなんの深みも感じない。
いろんな対話の中で意見がぶつかり、自分なりの軸を作っていくということはとても大切なことである。

しかし限られた時間の中で、その教えについて詳しく説明などしてもらえない。
論理的な説明は飲みの場でゆっくり聞ければ良い方である。
そもそも、その上司の考えの中に深い意味などないのかもしれないが。

話は変わるが
僕は幼い頃から釣りが好きで、今までいろんな魚を釣ってきた。
釣りは本当に多種多様であり、目的の魚が変わるだけで道具もガラッと変わってしまう。

そんな僕が今、1番熱中している釣りはシーバス(スズキ)である。
そしてその釣り方は、ルアー(疑似餌)だ。

釣り人は1匹の魚を釣り上げるために、様々な準備と試行錯誤を繰り返す。

・潮位偏差(潮の満ち引き)
・魚がどんなものを餌にしているか
・ルアーの選択
・水温など・・・

はっきり言ってキリがないのだが、ベテランになればなるほどより細かな変化に気づくことが多い。

しかし釣りにもある程度のメソッドはある。
ロジック的なやつだ。

わかりやすい例で言えば”流れ”である。
エラで呼吸する魚にとって、流れは非常に重要なのである。
ポンプを使用した水槽と、そうでない水槽の魚をみればわかる通り、魚の活発性がまったく違う。

流れの効く時間帯に、より流れが効く場所、そして餌となる魚がいるかなど、最低でもこの辺はチェックをする。

しかしながら、全てが完璧な状況であっても、当然釣れない時もあるのだ。
昨日は同じ状況で釣れていたのに、今日はまったく釣れない、なんてことはザラである。

そんな中でふと考える。

見えない水中の中に何十投、何百投とルアーを投げ続けるのだが
「そもそも、そこに魚はいるのか?」
「魚はいても、反応していないだけなのか?」
「あとはテクニックの問題なのか?」

答えはいつも、あるようでない。

なぜなら、”釣果 = 結果” であり、それ以外の全ては憶測にすぎないからである。
そしてその結果が、次の結果を生むとも限らない。
しかし多くの結果が、小さなヒントに繋がっていく。

そして何よりも、釣り人は生き物を相手にしているということが大きい。
人間関係に答えがないのと同じで、結局釣りにも答えはないのだ。

”答えのないものを求める”


儚すぎて付いていけない、魅力を感じない、きっとそう思う人もいるだろう。
しかし、一生をかけて1匹の魚を釣るという話ではない。

紅白歌合戦のように、”釣り人””魚”との勝負であり、その勝ち負けをただ繰り返しているにすぎないのである。

僕はそこに魅力浪漫を感じた。

ルアーフィッシングだと尚更で、テクニックで釣り上げたという感覚が大きく、更に喜びも大きく感じた。

シーバスは80センチを超えるとランカーサイズと呼ばれ、一つの山を超える事となる。ドヤ顔のラインであるw
ちなみに僕が過去に釣り上げた最長は96センチであるが、自分でも引いてしまう程に大きかったため、その時はドヤ顔をする余裕はなかった。

釣りは本当に様々な状況が重なって、突然チャンスが回ってくる。
しかし、それはあくまでチャンスである。

答えのないものではあるが
その先で出会う1匹の魚の価値はとても大きい。

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