9

月明かりに照らされ、立ったまま死んでいる電信柱の傍にはダイオウイカがヌメヌメとした体を恥ずかしげもなくさらけ出していた。
私は桃の味のする歯磨き粉を上書きするために外に出てタバコを吸っていた。部屋では吸わないようにしている。ハイライトはせっかく磨いた歯を汚す代わりに私を少しだけ幸せにしてくれた。
ジリジリと指に火が近づいてきて、後2吸いになったところで白く濁った巨体を発見した。
私は短くなったハイライトの火を地面で消してゆっくりと近づいた。
ダイオウイカはぴくりとも動かなかった。
このダイオウイカはオスなのだろうか。オスにしてはカラダが随分と柔らかそうであるしメスにしてはかわいげが無い。だが私はすぐにこのダイオウイカがメスだということが分かった。イカ臭いからだ。メスのダイオウイカはジョオウイカと呼んだ方が正しいだろう。さらにいうとこのジョオウイカが2歳、人間の年齢でいうと15、6歳なのだとしたら(ダイオウイカと人間の年齢の感覚はそのくらいだと思う)ヒメイカと呼ばれるべきであるし、海の底ではこのヒメイカと是非つがいになりたいと多くのオウジイカが10本の足を器用に使ってアピールしていたかもしれない。暗くて重い海の底には、輝かしい未来が待っていたというのに、どうしてこのヒメイカが今こうして私の目の前に倒れているのだろう。
私は理由を尋ねてみたかったがイカは食べるものであり、一緒にお話しをして仲良くなったり、ましてや男女の仲になったりする相手では決してない。だから観察をすることにした。風が冷たく吹き、赤くひび割れた手は帰らしてくれと嘆いたがこうなっては仕方がない。
あまり近付くのも怖いので、2、3メートル離れた距離からぼーっと見ているといくつかの事が分かってきた。
このヒメイカは恐らくもう死んでいるということ。
足が9本しかないこと。
そして人を食ったこと。
私は昔から観察が下手くそであった。観察とは見て考えることだ。対象の変化や背景や地位や人格や癖など色々な事が分かれば分かるほど観察上手ということになるだろう。私は目がいいので見ることは得意だったが、考えるということがてんで駄目だった。なにも考えずにただ見ておけばいい仕事があったら是非就職したいなと思っている。
例えば間違えて陸に上がり、JRを乗り継いで足立区の端っこで力尽きてしまった大きなイカをただ見ているだけの仕事があったらどんなに良いだろう。
だがこれは仕事ではない。もちろん賃金も発生しないし誰の役に立っている訳でもない。ただそこにヒメイカがいたから見ているのだ。ボーリングの玉ほどもある大きな眼球は人間のそれとはだいぶ違っている。暗い海の世界で色々見なくてはいけないのだから進化しているのは当たり前だ。中には深海にいるんだから見えようが見えまいが一緒だとヤケクソになり目が退化したアホもいるが目が見えなかったら絶対損だ。ああいい声だなと思いナンパした魚がブサイクなアンコウかもしれないし。
自分の姿だって見れないから寝癖も治せない。でも、もし今いる地上から朝や昼や電気や光が消えて真っ暗な夜の世界になったとしたら。ブサイクなアンコウが本当にブサイクなのか美人なのかも分からなくて済むし、寝癖があったって誰にもバレない。それはちょっと魅力的に思う。それでもやっぱり好きな人のおっぱいは見たいし寝癖も治したいし鼻毛も抜きたいのだ。
ヒメイカは観察している私を観察していたが、しばらくすると片方の目がズルルと落ちてしまった。ボーリング玉の様なその眼球は全く転がらず、1つのピンも倒すことなく硬いコンクリートの上に落ちついた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?