安倍晋三の悪政は永遠に不滅なり
安倍晋三は日本を壊すために悪政をつかさどり,しかも権力を利用する悪業も数多く犯しつづけ,おまけに悪弊となった政治作法もたくさん遺した。この「世襲3代目の政治屋」,ただの大甘ボンボンだった晋三の「罪と罰」は,どこまでも無限大に広がっていた。
その厳然たる事実をとらえて「アベセーダーズ」などと,混ぜっ返したつもりか,政治家としての安倍晋三の大罪に対して「罪一等を減じる」かのような筋違いの擁護論を,煙幕として焚く愚かな識者もいた。
われわれは大いに叫び,非難しよう。いまに日本が「衰退途上国」に転落させられたのは,99%は間違いなく「安倍晋三のせいだ」と。この事実を確実に認識したうえで,21世紀の日本がもうこれ以上は落ち目にならないための努力をし,そのための予防策を講じなければならない。
つぎの画像資料は本日,2023年12月12日の『毎日新聞』朝刊1面の切り抜きである。下部の一部分は切り捨ててある。
※-1「衰退途上国」完成のための造成工事をしてきた安倍晋三の為政はダメだらけであった
安倍晋三は,この国の2010年代において現象した「第3周回目」の「失われた10年」を回避するための政策に対して,アベノポリティックスとアベノミクスと俗称された,それも初めから失敗を約束されていた政治・経済政策を,当時の日銀総裁黒田東彦と組みになって推進(?)させた。
その結果がどうなったか?
この「美しい」はずの日本・国は,かつては「じゃぱん・あず・なんばーわん」とまで,世界中から称賛されたこともあったが,その記憶は,いまとなっては,完全に滅失させたごとき21世紀日本政治史のなかに刻んだのが,いいかえれば,その「最大の汚名」を引きうけるべき「世襲3代目の政治屋」が,ほかでもない安倍晋三であった。
現状の日本,上っ面では「訪日する外国人観光客が大いに回復・増大し,再びインバウンド景気が盛んな」国になっていたものの,その実質は産業経済・企業経営の根柢においては,制度疲労的な沈滞および衰退ぶりがいちじるしい。
世界企業ランキング(順位・時価総資産額)でみた日本企業は最新の評価では,あのトヨタでさえ上位50番までにその会社名が出なくなった。大昔であればその上位には日本企業がぞろぞろ(うようよ?)並んでいたものが,いまではなんともスゴい凋落ぶりである。
2010年代,それも2012年12月26日に発足した安倍晋三の第2次政権以降,この国の「政治と経済」は凋落というよりは “転落してきた” と形容したらよいくらい,落ち目一途であった。
そのように形容するほかなかったなかで,あのアベノポリティックスとアベノミクスといったデタラメ一辺倒の,つまり,安倍晋三と自民党(プラス創価学会公明党の野合)政権が為政してきた「内政と外交」であったから,
この日本という国を滅亡の経路に誘導してきた,つまりその拙劣な「政治手腕(?)」しか発揮できなかった安倍晋三は,2022年7月8日,不幸にも銃殺される運命を迎えていた。
だが,この不幸な事件から視野を広げて日本という国の現状をあらためてみまわすとき,安倍晋三の死が介在していなければ,いまごろはもっとひどくなるだけの国家に向けて突進中になっていた,という判断も十分に説得性を感じさせる。
この国は「衰退途上国」になったと,自嘲的に呼ばせるほかなくなった安倍晋三の悪政は,これが徹底的に批判されて当然も当然であった。いわば,この国を逆落としにしてしまい,ボロ切れのようにまで貶めてきたのが,安倍晋三という「世襲3代目の政治屋」が実際に発揮しえたその政治手腕の程度であった。
ところが,いまとなってもなお,安倍晋三の為政を批判する者たちに向けて「アベノセーダーズ」だと,たいそうムキになって反論する「評論家」もいる。しかしながら,安倍晋三のせいで(おかげ)でこの日本という国がわずかでもよりよくなっていれば,上向きになりつつあったのであれば,あえて安倍晋三を批判・非難するまでもなかった。
「アベノセーダーズ」の一群がいることが確かであるとしたら,その反対側にはおそらく「アベハ正しいのだーズ」の他群もいることなる。だが,あえてこういう布陣を認めることにしたら,この種の発言をしてみたほうの立場としては,「アホノセーダーズ」の考えはより堅固に維持しようする気分にもなりそうだから,いってみれば語るに落ちた「ダサい話法」になりがちである。
安倍晋三の政治はともかく「悪業に満ちあふれていた」。政治家としては落第生などと評するよりも,もっと資質が悪かった。なんといっても,お話にもならない「世襲3代目の政治屋」のボンボンが,一国の為政にたずさわてきたのだから,この国がよくなるわけなど,初めからなにもみつけられなかった。安倍晋三は自信の悪癖的な政治(?)手法ならば,それはもうたっぷりもちあわせていた。
ところが,2022年7月8日,安倍晋三は不幸にも山上徹也という統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の「宗教2世」の銃口に狙われ,命を落とした。安倍がそうして落命した事件の発生は,安倍の為政の粗雑・乱暴ぶりを最終場面において集約的に表現する出来事であった。
安倍晋三が仮に山上徹也に銃殺されなかったら(真犯人は別にいるという憶測ないし推理も捨てきれないが),今日の段階になっての話,より明確にいえそうなこととしては,つぎの※-2のように日本共産党書記長が発言したような,最近においてつづく「混乱した日本の政治社会」情勢そのものは,生まれていなかったかもしれない。
アベノセーダーズ「論」の発想は,トンデモの部類から一歩も出ていない。「アベハ正しいノダーズ」の立場になれたつもりで,脳天気以前の発想であっても抱ける者たちは,自分たちも安倍晋三の悪政・悪業・悪癖をしっかりとテイネイに共有しうる感性の持ち主であるに違いあるまい。
※-2「企業の政治献金は『賄賂』ラジオ番組 小池書記局長全面禁止訴え」『しんぶん赤旗』2023年12月9日,https://www.jcp.or.jp/akahata/aik23/2023-12-09/2023120902_02_0.html から
本ブログ筆者はこの日本共産党書記長の意見とは別個に,日本は賄賂の少ない国だという従前の観方に疑問をもっていた。どういうことかといえば,小池 晃が共産党の立場から前段のように指摘した「日本の政治におけるカネ」の問題は,賄賂(贈収賄)が制度的には実質半ば許される「政治の風土」が浸透(確立)しており,実質「日本の政治社会はワイロ慣習が基本に組みこまれている」としかみようがなかった。
もちろん,自民党以外の政党では,政治資金に関した運営方法じたいが別途「党の単位」でそれぞれあるとはいえ,日本の政治のなかでは政権党として長く支配力を維持してきた自民党の財務(政治資金)問題は,「世襲3代目の政治屋」が多い事実(内閣改造時に4割もの閣僚が世襲という時まであった)とともに,この国における政治そのものの疾病としていつまで経っても治癒できない「不正の温床」でありつづけてきた。そのかぎり,このままではどこまでいっても「政治3流国家」でありつづけるほかない。
前段で指摘してみたように,現在まさに「衰退途上国」になっていたこの国の実体が,安倍晋三の第2次政権以降,いよいよ本格的にその様相をみせてきた事実は,「アベノセーダーズ」に属する連中がどうのこうのというがいうまいが,もはや軌道修正が不可能な「この国の属性」になっていた。
大原 浩という人物が「『アベノセイダーズ』の罪と罰-安倍元首相暗殺が暗示する戦前昭和- 『問答無用』は民主主義の最大の敵だ」『現代ビジネス』2022年7月15日,https://gendai.media/articles/-/97500 という一文を記述していたが,この日本「国」の民主主義にとって「最大の敵:害悪そのもの」が安倍晋三であった「2010年代の史実」がみえない議論を披露していた。
大原 宏はまた,「『問答無用』は民主主義の最大の敵だ」などとカッコのいい〈せりふ〉までもちだしていた。だが,これもまた,安倍晋三が「日本の民主主義の最大の敵だ」ったという史実を,完全に無視しようとする盲説・暴論を意味していた。
要は,逆立ちした反論風の批判を得意になって強調していた。戦前・戦中の日本政治に関連づけた議論の仕方にも露呈させてい「前段のごとき寄稿」は,識者の執筆方法としては構想倒れの失策であった。
安倍晋三が暗殺されたからといって,この粗悪品だった政治屋のボンボンが聖人になれたわけはない。ましてや,安倍晋三への批判を跳ね返す理屈のつもりだったのか,あえて問答無用などという文句をもちだしては,これをわざわざ「安倍晋三を擁護するために使う」となれば,日本語とこの文法に関した理解力じたいに問題あったとまで心配したくもなる。
安倍晋三政権のとき「忖度」ということばがたいそうはやり,大いに使いまわせられる単語になっていた。もっとも,このことばの悪い意味の方途で重宝されることになったが,ともかく,安倍晋三のおかげで忖度という単語は,庶民のあいだでも日常的に口に出る用語となり,親しまれるようになった。
安倍晋三の第2次政権以降はとくに,民主主義を根幹から粉砕してきた。この国の「政治と経済」を同時に破壊してきたのである。
この厳然たる事実を真正面からみすえて観れば,「安倍晋三暗殺」という事件そのものと「安倍晋三の悪政の所業」とを,あたかもまるごと相殺でもできるかのようにあつかったり,あるいは先験的に思いこめたつもりなのか,恣意的に「安倍晋三に好意を寄せて」「論点を設定」させた「議論の方向」は,当初から誤論の道筋にしか誘導されえない。
※-3 山口二郎(法政大学教授)の安倍晋三「感」
山口二郎が『X』(『ツイート』)で,こう発言していた。キーワードは「# 安倍晋三 # 不正・事件・犯罪」(⇒なお,以下の住所をクリックすれば現物が展開される)
--それにしては,安倍晋三の第2次政権以降,すでに自民党の支配が12年間もつづいた。そのせいで,日本の政治社会はすっかり汚濁まみれ,よくいわれた文句でいえば「いまだけ,カネだけ,自分だけ」の国会議員たちが,国会を根城にとぐろを巻いてはろくでもない政治をやってきただけであった。
しかも,安倍晋三に関してこそ,もっとも典型的に表現されてきた日本の政治の腐敗・堕落ぶりを嫌悪・批判する人びとの存在を,『アベノセーダ(ーズ)』などと必死になってけなしたところで,この国の「政」がよくなる見通しはつかない。
なかでも格別きびしく指弾しなければならなかった「世襲3代目の政治屋安倍晋三」は,自分が「美しい国へ」と変えたかったはずのこの日本を,どれほど破壊しまくってきたか,驚くほどにひどかった。
その事実史そのものが「アベノセーダーズ」とでも呼称すべき一群を,間違いなく誕生させた真因(逆作用)でもあったのだから,「安倍晋三のせいにしてはいけない」みたいな語感を有するこの「アベノセーダーズ」という用語は,本末転倒のいいぐさであった。
安倍晋三政権時,野党に対して「野党は批判などしないで対案を示せ!」と,自民党側が,それもとくに立憲民主党にイチャモンをつけていたが,批判する作業は野党にとって《基本中の基本》の政治的な基本任務である。
それでは,自民党が野党であった時期,この政党は前段におけるようないいぶんと同じに,政権党側に対する基本的な対抗姿勢として,「批判などしないで対案を示していた」のか?
ここまでいったら,いうまでもない事実に関する話題として,自民党は「なにをバカなことをいっていたか」とあしらわれるのがオチ。要は「天に唾する」のが,その発言であった。
【参考記事『X』から】-小沢一郎の発言-
※-4 古賀茂明「安倍氏の罪を忘れてはいけない 古賀茂明 政官財の罪と罰」『AERA dot.』2022/03/15/ 07:00,https://dot.asahi.com/articles/-/41655
ロシアによるウクライナ侵略に対して,世界中で非難の声が上がっている。日本でも,人びとの関心は高く,報道で大きく扱われているのは自然なことだが,この時期,私には他にもふたつ気になることがある。
ひとつはもちろん3・11。
そしてもうひとつは,元財務省近畿財務局職員赤木俊夫さんのことだ。
森友学園事件で,安倍晋三元総理の夫人昭恵氏の関与を示す決裁文書などを改ざんする歴史的犯罪がおこなわれた。赤木さんは,上司に涙ながらに抗議したが,結局,犯罪への加担を強要された。
すべての始まりは,「私や妻が関係したということになれば……間違いなく総理大臣も国会議員も辞める」という安倍氏の国会答弁だった。その後,赤木さんは,告発文書を残してみずから命を絶った。
今〔2022〕年3月7日は,赤木さんの4回目の命日だった。ご遺族の雅子夫人に当日昼過ぎに電話すると,ちょうど墓参を終えたところ。「お天気でよかったですね」というと,「はい,良かったです!」という返事。いつものとおりとても明るい声だ。
「世の中ウクライナ一色ですね」と尋ねてみると,「本当に酷いですよね! 悲しいです!」 命日だから俊夫さんのこと以外考えられないのではと思っていたので少し意外だったが,雅子さんのウクライナの人々への優しい気持ちに触れてとても嬉しく感じた。
その一方で,私は,どれくらいの人が赤木さんのことを思い返しているだろうかと考えて,翌朝赤木さんの命日のニュースを検索したが,見当たらない。雅子さんに聞くと,取材は断ったとのこと。私の心配は杞憂だったようだ。ただ,それでも私の心にはいいようのないもやもやが残る。
その最大の原因は,この犯罪の最大の責任者である安倍氏が,このところ,やたらと存在感を誇示するような言動を繰り返していることだ。彼は,「森友事件」や「桜を見る会」などで追いつめられ,最後はコロナ対策に失敗したうえに体調を崩して政権を投げ出した。
※-1にかかげてあった「安倍政権の動き」および「安倍政権約8年間の罪と罰」は,安倍の政権がいかにくだらなくも下品であって,政治家としての志だとか理想・理念とはまったく無縁の,つまり単なる「世襲3代目の政治屋」であった事実だけは,ひしひしと伝わってくる
ところが最近は,そんなことはまるでなかったかのように,岸田総理にあれこれ注文を付けて嫌がらせをしている〔2022年3月時点の話であったので,安倍晋三がまだ健在〕。
安倍氏は,ロシアによる2014年のクリミア併合に対する欧米の厳しい経済制裁にくわらず,ひたすらプーチンに媚びて,巨額のカネを貢いだ。
「ウラジーミル。君と僕は,同じ未来をみている」「ゴールまで,……2人の力で,駆けて,駆け,駆け抜けようではありませんか」という安倍氏の有名な言葉がどれほど空虚なものであったか。
結局プーチンに騙されて,北方領土返還交渉は1ミリも進まなかった。
そして,今,安倍氏は,「ロシアによるウクライナへの侵攻は,……断じて許すわけにはいきません」とツイートし,自分がプーチンを増長させた張本人であるという事実を消し去ろうとしている。
しかも,この危機に乗じて,敵基地攻撃能力では事足らず,ついに非核三原則見直し,米国との核共有の議論まで始めた。国民を核戦争という破滅の淵に向かわせようというのだ。
しかし,そんな安倍氏を正面から批判する大手メディアはない。
安倍氏は都合の悪いことはなんでも忘れてしまうようだが,私たちは,赤木俊夫さんのこととともに,安倍元総理の罪も決して忘れてはいけない。
(以上で引用終わり,『週刊朝日』2022年3月25日号より)
さて,前段の記述には,「アベノセーダーズ」をやり玉に挙げたかったような人士の意見を聞いてみていたが,この古賀茂明もそのアベノセーダーズの単なる1人ということになるのか?
つぎの引用は,安倍晋三が第1次政権の首相を務めていた時期(2006年9月26-2007年9月26日)の出来事であったが,2006年12月における国会の質疑応答のなかで,日本共産党・国会議員で,学生時代は京都大学工学部原子核工学で学んだ吉井英勝との質疑応答として,こういうやりとりが交わわれていた。
安倍晋三は2013年9月,2020東京オリンピックを招致するためのIOC総会の舞台において,東電福島第1原発事故現場は “アンダーコントロール” だと大ウソをついた。
補注)なおここで,なんどでもいっておくが,「嘘つきは安倍晋三の始まり」であった。
処理水という名の汚染水が最近,太平洋沿岸に放出(排出)されだしたが,大本の事故現場はいまだに,いっさい「廃炉工程」に進めないどころか,その汚染水そのものを止められないままである。
2011年3月11日午後2時46分,東日本大震災が発生し,これに伴って東日本の各地に押し寄せてきた大津波のために,東電福島第1原発事故が起きてしまったわけであり,これは21世紀の記録に留められるべき重大な原発災害となっていた。
吉井英勝は2015年6月,『国家の警告無視で福島原発事故』東洋書館を公刊していたが,一方の安倍晋三は「3・11」に深くかかわっていた自身の責任などどこ吹く風でありつづけただけでなく,無責任にも東京で五輪を開催するためであれば,平然と嘘をついていた。さすがに嘘つきが売り物の「世襲3代目の政治屋」であった。
ところで,吉井英勝もアベノセーダーズの1人なのか? しかし,バカなことをいうものではない。東電福島第1原発事故の一因に安倍晋三の内政が無関係だったとはいえず,大ありであった。安倍の立場はその意味でも無責任のきわみであって,自国民の原発事故被災者の立場を完全にないがしろにしていた。
原子力村の有力な構成員であった安倍晋三が,原発事故と深い関係がなかったわけがない。首相の立場として本来的に重大な責任があった。この事実を批判したら,アベノセーダーズなどとろくでもない修辞を充てていいかえす神経は,相当に病んでいるとしか思えない。
つぎの※-4における解説記事は,その「安倍晋三の基本的な感性」の延長線上にある話題をもちだし,批判していた。汚染水問題に関した議論となっていた。
「アベノセーダーズ」の正論が通らず,このような,東電福島第1原発事故の「その後」(そろそろあと3ヵ月で13年近くにもなる)が,依然,安倍晋三的な無責任状態となって存続しつづけている。いってみれば,これがまさしく「衰退途上国」が「衰退途上国」であるゆえんの,ひとつの分かりやすい発現であった。
※-5 濱田武士・北海学園大学経済学部教授 「福島を犠牲にする 処理水海洋放出のごまかし 本当の責任はどこにあるか」『毎日新聞』2023年12月6日,https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20231205/pol/00m/010/007000c?utm_source=article&utm_medium=email&utm_campaign=mailpol&utm_content=20231210
東京電力福島第1原発事故の処理水海洋放出をめぐり,政府は最後まで福島の漁業者に「決めさせる」構図を作り,責任を転嫁した。北海学園大学教授の濱田武士さんはこういいます。
本来の責任をあいまいにするやり方が続いているのではないか。濱田さんと考えました。
【聞き手・須藤 孝。以下で記者は◇印,濱田武士は◆印〕】
★ いつも最後は漁業者 ★
◇ 海や河川が関係する開発をめぐっては最後に漁業者に判断を迫る構図があると指摘されています。
◆ 漁業権があるので漁業者の理解がえられないと開発ができないのはそのとおりです。けれども最後に漁業者の了解をえたから,というかたちで決められてしまうことが繰り返されてきました。
これは海洋放出に限りません。福島も含めて原発立地の時も,火力発電所の立地のさいもそうです。
◇ 実際には漁業者だけの問題である場合はまれです。
◆ 原発が典型的ですが,事故が起きた時の被害者は漁業者だけではありません。なのに漁業者にばかり判断の責任を負わせるやり方が続いています。
◇ 政府は風評被害対策には力を入れています。
◆ ストーリーが問題です。科学的に安全なのだから,買わないという消費者の行動を抑えればよいという前提です。
すりかえがあります。責任が消費者にあるかのようないい方は,そもそもの事故の責任をあいまいにします。
どうしても安全神話の話と重なります。仮に海洋放出が安全だったとしても,原発政策を推し進めてきた責任はどうなるのか。安全ならばいいのか,ということです。
★ 関係者を限定できるから ★
◇ 海洋放出を選択した理由は関係者を限定できるからだと指摘されています。
◆ 政府の「トリチウム水タスクフォース」(2013年12月設置)と「多核種除去設備等処理水の取り扱いに関する小委員会」(2016年9月設置)のとりまとめをみると,海洋放出がもっとも影響が小さく,風評被害の範囲を福島県近辺の漁業や観光業に限定できるとしています。
つまり,「反対するのはあなたたちだけだ,あなたたちさえOKすればできるのだ」というかたちを作れるから海洋放出だったのです。
ぎりぎりまで,「約束したから関係者の理解なくしてはやりません」といいつづけ,最後に「一定の理解をえた」といって突破するのです。
私はこれは漁業者への責任転嫁だと思います。
★ 漁業者を苦しめる ★
◇ この構図は漁業者に大変な苦しみを与えます。
◆ 反対している漁業者が最後に苦しくなって容認するストーリーがあります。漁業者は,国からは受け入れないと国益に協力しないのかと脅されます。
一方で受け入れると環境団体などから屈服したと批判されます。どの選択をしても双方から圧力がかかり,つらい思いをします。
漁業者がいつも矢面に立たされ,内部でも分断が起きるのです。
◇ なぜ福島に東京電力の原発があるかと言えば,もともと,事故が起きた時に被害者を限定するためです。
◆ それでいつまで続けられるかということです。開発と犠牲の問題は地域に落としていくとよくみえてきます。
お金が配られて,いい道路ができた,施設ができて良かったという部分があることは否定しません。
しかし失われたものをみずに同じことを続けていいのでしょうか。
◇ 海洋放出もまったく同じです。
◆ 経済的強者と弱者が取引をして,リスクは弱者に負わせる。
リスクが現実になった時にみなでカバーするのではなくまた同じ弱者におしつける。
いつまで経っても弱いところにリスクを押しつけつづけるということです。
なぜ海洋放出の理由に廃炉プロセスがもち出されるのか。なぜ,廃炉が進まないのが福島の漁業者の反対のためであるかのようなストーリーが作られるのか。福島の漁業者への威嚇です。
廃炉に力を入れるべき政府と東電の責任があいまいにされています。
◇ 腐敗した構造です。
◆ 日本は発展の仕方が雑です。文句をいうやつは金をやって黙らせろというやり方です。
以前よりは随分,ていねいになりましたが構造は変わっていません。
東電が悪い,岸田(文雄首相)さんが悪い,政治家が悪いなど,「一部の悪者」のせいにするのはよくありません。この構造がみえなくなるからです。
全体として考えることが大切です。(引用終わり)
この最後には,「アベノセーダーズ」の発言にも通じるような説明が出ていたが,「一部の悪者」ではなく「最終の全体の責任者」である一国の最高指導者が,そもそも「為政者としての責任をとらない」どころか,東電福島第1原発事故を起こさせる要因を提供してきた「事実の経過」に少しでも思い至るならば,
この最後の対話のなかで,また指摘されていた「全体として考えることが大切」だという意味は,まっとうに理解できるはずである。その全体(国家・政府・東電など=原子力村)の責任であったゆえ,このそもそも当事者たちに向けてその「責任の追及」がきびしくなされるべきであった。
にもかかわらず,安倍晋三が第1次政権にあって,「原発問題」に対して示していた無知蒙昧なりの基本姿勢には,その第1義の責任すら認めようとしない無責任さ,デタラメがあった。この指摘は,原発問題に関した「当然の認識」として,きちんと抑えられておきべき要点であった。
デタラメ三昧ばかりであった「アベノセーダ〔ーズ〕⇒〈安倍晋三政権〉」の遺した「負の政権運営」は,その顛末として,この日本を「とても醜い〈衰退途上国〉」にまで引きずりおとしてきた。
安倍晋三の所業がアベノセーダーズから告発されるのは,当然であった。安倍晋三の悪政・悪業・悪弊を批判するための出発点に据えられるべき飛躍台となるのが,そのアベノセーダ(ーズ)という標語であった。この認識は,この記述であれば「問題意識の前提」に置かれるべき基本的な観方であった。
安倍晋三に対して褒める『雑著』(ゾッキ本)はいくらでも公刊されているから,安倍晋三をそれでもヨイショした人は,そうした本をたくさん買って読んで満足していればよろしい。しかしその程度の安倍晋三・認識に浸っているうちにも,この日本国はどんどん悪性化していく?
安倍晋三程度を徹底的に批判・分析し,よく理解・認知しておかないで,今後における日本をよくすることはできない。この程度の安倍晋三的な問題をめぐる理解は,以前より十分に分かりきっていた。
------------------------------
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?