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天皇制民主主義の女性差別は明治謹製皇室典範に淵源,民主制政治とは反対物の疑似古代儀式:皇位継承儀式,女性を尊重せず排除した安倍晋三政権の反動・封建的な前近代性

 ※-1 最近,武田秀章『維新期天皇祭祀の研究』法蔵館(文庫),2024年1月という書物(多分,専門書らしい中身の)最新刊を取りよせ読んだ

 a) だが,この本が,「神州日本」国を制作するために19世紀中に努力されてきた「疑似古代神道的な明治維新」に関する創作物語を,それも必死になって架空の神武天皇も呉越同舟させたうえで真剣に語りぬいているその口調には,率直に感想をいわせてもらうが,抱腹絶倒するほかなかった。

 神道的だったと受けとったらいいのか,まだまだ不詳に感じるところを強く残したまま,それでも純宗教「史」的な一種の恣意的な歴史解釈が,意図的にしこたま漬けこまれていたこの本であったが,初対面して読みはじめたところ「最初から呆れかえり」ながらも,それでも「我慢をしながら」なんとか通読することができた。

学術書とみなしたい本のなかであっても
天皇に対する敬語的な文言をちりばめる作風を発露させていた大学教員

研究者としては要注意の基本作法にならないかといった
「疑問提示」以前の常識次元のナゾナゾも浮上

 いわば,19世紀後半における日本が米欧の帝国主義的な圧力に抗するためには,そのような〈神聖ヤマト思想〉を古代史回想的に,しかも妄想的に構築せざるをえなかった時代的な制約など,いっさいものともしないで済んだのか,

 21世紀〔1996年初版の本であったが〕のいまどきにあっても,明治『維新期』前後における『天皇祭祀』を『研究』することで,近代日本の曙(アケボノ)が,けっしてほのかではなくて,より明晰にその輪郭が描かれたかのように,当時における「歴史の事実」の「一部」のなかから,半ばでっち上げにならざるをえない「〈歴史観〉の披瀝」は,

 「歴史学は科学ではなく文学(ロマン!)だ」

といわれもするそのユエンを,あらためて,その「新種形態のひとつ」して教示(下賜?)されたような気分になった。

 b) 2024年の1月14日に文庫本として発行・販売されたこの武田秀章『維新期天皇祭祀の研究』であるから,時期にみていまのところ,アマゾンの書評欄には投稿がまだ出ていない。そのうち誰かが寄せてくるものと思うが……。

 ただし,この武田の本は,法蔵館から文庫本として発売される以前の1996年に,大明堂(この出版社は地理学関連の専門書販売を得意とする出版社というイメージがある)から,ハードカバー版ですでに公刊されていた。本日のぞいてみたかぎり,この版にもアマゾンの書評は寄稿されていない表示になっていた。

 なお,法蔵館という出版社は,京都市にある老舗の仏教系出版社で,1602年に創業された仏教書肆・丁子屋の流れを汲んでいる,と説明されている。

 ところで,アマゾンが本を販売するネット画面のなかには,この武田秀章の本のすぐ下に並んで,内容的に近い本だということか,島薗 進『神聖天皇のゆくえ-近代日本社会の基軸-』筑摩書房,2019年4月が出ていた。ここの島薗の本は,出版以来すでに5年近くの時間が経過していたということで,書評が6点寄せられていた。

 c) 島薗のこの本に対するその書評をついでにみたところ,なんというか,武田『維新期天皇祭祀の研究』に対する読後感としても,かなりよく適合する感想文が書かれていた。今日の時点(2024年2月10日)で6点のレビューが投稿されているが,

 その冒頭から,武田のこの本向けにぴったりの論評があったゆえ,これを「代替用の文章」として参照しておいても,なんら支障なしと判断し,以下に転用・紹介してみる。1点ではなく2点まで,ついでに読んでみたい。

 ◆-1「岩石ジジイ 5つ星のうち 5.0 現代における天皇の意味を,『神聖天皇』というキーワードで解いてみよう」2021年5月16日寄稿。

 明治維新から太平洋戦争の敗戦までの間,天皇という存在は日本国の政治に強大な影響を及ぼしていた。とくに昭和の初めころから敗戦に至るまでの間では,日本国という国家は皇道・国体という理念に支えられて個人の命の価値がきわめて軽くあつかわわれるようになっていた。そして,そのことが国民全体に許容されるような状況に至っていた。なぜだろうか?
 
 宗教学者の島薗先生は「神聖天皇」というキーワードを置いて,そのことを説明し,さらに「神聖天皇」は現代の日本社会におけるひとつの価値観として生き残り,現政権はその思想を中核に日本国を “復活” させようとしていると述べている。

 私自身は,政教分離は人類史の智惠だし,文化・伝統を尊重することの大切さは,人間というものが1人で生きている存在ではないから明らかだ,と考えている。しかし,国家・社会は思想や信条が違った多様な価値観をもった人々が平和な日常のもとで共存することを第一義とするものでなければならないとも考えている。

 だから,人びとがそれに向けて制度等々を工夫をし続けるほかはなく,島薗先生のいわれる「神聖天皇」を頂くような国家にはなってほしくない,と思う。

 「神聖天皇」は祭・政・教一致であったが,現行憲法下にある現代において,天皇の存在どんな意味や価値をもっているのだろう(?)という問いが出てくることはいたって自然なことだろう。

 現行憲法では「天皇」は「象徴」なのであって「政」にはかかわらないが,おこなっている「祭」はただの文化行事なのだろうか? 沢山の国会議員が「教」(宗教)としての神道の理念のもとづいた神道政治連盟に属するという事実の底流には,「ゆくえ」不明になった「神聖天皇」のイデオロギーが流れているのではないだろうか?

 未来の日本をどう構想するのかについてのヒントが沢山詰まっている。(引用終わり)

【参考資料】-「神道政治連盟」(という用語)などについては2015年の資料だが,つぎの表をみたい。国土交通省の大臣は公明党議員の指定席なので,唯一,「 ● 」が入っている欄が基本的に異なっている。少し名称にわかりにくい面があるので,正確を期するために,こう補足しておきたい。

 神道政治連盟国会議員懇談会(下の表では神道議連)とは,神社本庁の関係団体である『神道政治連盟』(神政連)の理念に賛同する日本の国会議員により構成される議員連盟である。1970年5月11日に結成された。数名を除き全員が自由民主党に所属する。

政教分離しないとまずい日本の政治なのだが
いまだに統一教会との腐れ縁を隠す者が大勢残っている

 『しんぶん赤旗』は岸田文雄内閣が発足したころ,つぎの「表」のように関連する事情を分析,報道していた。なおさきに,一覧表のみ引用枠から出して提示しておく。

※1=「日本会議国会議員懇談会」
 ※2=「神道政治連盟国会議員懇談会」

加盟状況や役職は本紙入手の両議連の名簿や日本会議の機関誌から
名簿登載後の入退会などは反映していない

     ◆ 岸田内閣 大半が『靖国』派 改憲右翼議連に17人 ◆
  =『しんぶん赤旗』2021年10月13日,https://www.jcp.or.jp/akahata/aik21/2021-10-13/2021101301_02_0.html

 〔2021年10月〕4日発足した岸田新内閣のうち,岸田文雄首相ら自民党籍の閣僚計20人中17人が「靖国」派改憲・右翼団体と一体の二つの議員連盟のうちのいずれかに加盟してきたことが,本紙調査で明らかになりました。岸田内閣は,歴史修正主義にもとづく改憲・右翼政治推進の役割でも,「安倍・菅直系」です。

 閣僚らが加盟する「日本会議国会議員懇談会」と「神道政治連盟(神政連)国会議員懇談会」は,それぞれ改憲右翼団体の「日本会議」,「神道政治連盟」と一体の議連。両団体とも,日本の過去の侵略戦争を「自存自衛」「アジア解放」の “正義の戦争” として肯定・美化してきた靖国神社と同じ立場から,「憲法改正」や,天皇・首相の靖国公式参拝を求めるなど,戦前への回帰を志向。ジェンダー平等や選択的夫婦別姓制度の導入には断固反対の立場です。

 岸田首相も両議連に加盟し,同党総裁選でも同党の改憲4項目を実現すると表明。日本外国特派員協会での記者会見(2021年9月13日)では,靖国神社参拝について,「国のため尊い命をささげた方々に尊崇の念を示すことが政治家にとって大切な姿勢だ」と発言。同24日の討論会でも「時期,状況を考えたうえで,参拝を考えたい」と表明しています。

 主要閣僚では,萩生田光一経済産業相が日本会議国会議員懇談会の政策審議副会長を,岸田氏は副幹事長を務めています。また,初入閣の末松信介文科相と古川禎久法相は,副幹事長と幹事をそれぞれ務めています。

『しんぶん赤旗』2021年10月13日

 ここで,島薗 進の本に対するアマゾン書評にもどり,その2点目を以下に紹介したい。

  ◆-2「日暮 5つ星のうち 5.0 天皇制の行方やいかに?」2019年5月2日

 「天皇は神聖にして侵すべからず」とは,大日本帝国憲法の条文である。しかし,単に「大日本帝国憲法」の「神聖」天皇の「天皇」かと思った人は本書を読んではいけない。本書は,さらに広く長い射程をもっている。天皇をめぐる人の心や行動に起こった相克の物語だ。つまり,日本人の精神史の話なのである。

 歴史を紐解くに,江戸時代以前は,天皇は,「万世一系」と連綿と語られてきたわけでもなかったし,「神聖」というわけでもなかった。それは明治以降に作られた物語なのである。そんなことを本書を読むと,あらためて気付かさせてくれる。

 そこには,多くの人名がある。儒学者,国学者,軍人,社会主義者,昭和のファシスト,宗教家,マスコミ,そして大衆。人間の行為が歴史を作るということがわかる。天皇制もまたしかり。

 天皇の名の下に多くの人命が失われ,終戦を迎える。はたして,戦後になり「神聖」天皇は否定され「象徴」天皇に変わったのだろうか。その答えは,本書を読めば自ずと浮き上がって来るのだろうかなと思う。(引用終わり)

 d) 以上のごとき島薗 進の本に寄せられた読書の感想は,ひるがえってというまでもなく,武田秀章が39歳になった1996年に公刊していたこの本『維新期天皇祭祀の研究』初版1996年12月を,痛撃する中身を提供していた。

 仮に島薗と武田に議論をさせたら,多分,武田はぐうの音もでないほどやりこめられるはずである。だが同時に,武田側は島薗の批判を「蛙の面に水(小▼)」の要領で,平然と無視できることもできるはずである。

 その「はず」対「はず」の議論が,もしも公開討論会の場を設けて島薗と武田にやらせてところで,おそらくその議論は噛みあわない。というのは,武田の本のなかには「明治謹製」の天皇・天皇制を,学究の立場からこの本を書いている「はず」でありながら,ただひたすらに「天皇・天皇制の系譜を神聖視」することにしか「第1の関心」がなかったからである。

 学究同士が同じ題材を研究し,著作をものにしているにもかかわらず,両名に議論させたら「はたして議論が成立するのか」といった,見当違いにも聞こえる疑問が最初から湧き上がってこざるをえない。しかも,その不通状態を起因させる要素が,島薗 進側にではなく武田秀章側にもっぱら潜んでいるとしか断定せざるをえないのだから,話はややこしくなるのではなく,しごく単純につまり鮮明に整理できる「はず」になっている。

 e) なお,武田秀章は1957年生まれの現在67歳,日本の歴史学者・宗教学者で,専門を神道および皇室祭祀とし,近代日本政教関係史を研究,博士号をもち,現在,國學院大學神道文化学部教授である。

 『国家神道学科』と改称したほうが似合っているそうな國學院大學のこの神道文化学科の教員としては,神道信者でもある立場に立つほかない宗教信条も告白したがごとき,いいいかえれば「学問の立場」としては,誰がみても脱輪(脱法)状態の陥穽にすっかりはまりこんだ議論しかしようがない。

 すなわち,科学としての学問の立場だとしたら,まことに悲惨な発言を過剰積載させた本が武田の『維新期天皇祭祀の研究』初版1996年であった。この本のなかには,天皇・天皇制に対する敬語・継承にかぎっては,特別あつかいの要領で,しかもその表現法については寸毫の疑心すらもたずに論述がなされていた。

 このたびの2024年の法蔵館「文庫」と1996年の大明堂「ハードカバー版」ともに,内容としては変わりないゆえ,その間28年近くの時間が経過したなかで,著者自身が「あとがき」でこう語っていた。

 何分本書は,およそ四半世紀も以前の著作である。「論文(寿命)5年」といわれるこの世界で,賞味期限をはるかに過ぎた本書の復刊に,いまさらどんな意味があるのか,われながら疑念を抱かざるをえなかった」(462頁)。

武田『維新期天皇祭祀の研究』法蔵館版「あとがき」

 f) 宗教系の出自(建学由来)を有する大学のとくに「神学部・宗教学部」の教員たちを実際にとりかこむ職場の環境は,ある意味で「政教分離」などといった原則とは完全に無縁の別世界に生きていくことを強制するところもある。

 國學院大學には神道文化学部神道文化学科があるが,現在において「神道」と「文化」を並べて結合させた学科においては過去,こういう出来事(事件)があった。なお,この神道文化学科は以前は「神道学科」という名称をかかげていた。

 補注)先日,2024年2月6日に記述した,つぎの記述に登場した埼玉県日高市にある高麗神社宮司・高麗文康(高麗家第60代)も1990年に國學院大學文学部神道学科を卒業し,2007年1月20日,高麗神社宮司に就いていた。

 ⇒ https://editor.note.com/notes/nb361bd281189/edit/

ところで,武田秀章『維新期天皇祭祀の研究』の初版が大明堂から1996年12月に刊行される以前,いまからだと40年もの昔になるが,国学院大学文学部神道学科になかで起きていた「学問に対する宗教的な抑圧問題」と捕捉してよかった事件が発生していた。

 その事件の概要はつぎの新聞切り抜きで説明に代えておくが,ここに登場した人物,当時の三橋 健助教授が「学問・研究的,思想・言論的に」,それも不当ないりは不法ともみなせる程度にまで屈服させられていたのが,その事件の核心であった。

島川雅史寄稿

 g) この記事の執筆者島川雅史は,その後もつづけて雑誌『世界』1985年9月に「『靖国』進行と学問」という題目の寄稿をしていた。この寄稿のなかで島川は,前段の三橋 健をめぐり國學院大學を舞台して発生していた学問抑圧に相当する事件を,こうまとめて表現していた。

 今回の問題は,この背景のなかで起こった神社本庁による国学院大に対する新たな「粛学運動」である。戦後も40年を過ぎて,神社界は国学院大を私物化しよとする時代錯誤をいつまでつづけるのであろうか(22頁・下段)。

『世界』1985年9月

本日の能書き的な叙述は以上のようにだいぶ長くなったが,次段からは5年ほど以前(2019年1月23日)に一度公開してあった記述を復活させる段取りになる。


 ※-2 天皇制民主主義の女性差別は明治謹製「皇室典範」に淵源,民主制政治とは反対物の「疑似古代儀式:皇位継承儀式」,「女性を尊重せず排除する」安倍晋三政権の反動・封建的な前近代性

 まずは安倍晋三の第2次政権も終期に近づいたころにおける話題から書きはじめる。

 以下は,元号やら天皇位やら,なにやら古代の遺物が舞台の正面でうごめきながら,安倍晋三「極右・反動・エセ保守政権」の半封建遺制的な本性がまるみえ,という具合・様相になっていた「2019年1月」段階での話題となる。

 1)「〈耕論〉元号使っていますか? 内田 樹さん,坪井秀人さん,楠 正憲さん」『朝日新聞』2019年1月22日朝刊11面「オピニオン〈耕論〉」

 元号の切り替えまであと約3カ月。天皇主権から国民主権になった現憲法下で2度目の改元です。グローバル化で西暦の影響力が増す時代。元号の「使い方」,考えてみました。

 補注)国民主権のもとで「天皇主権のなごり」どころか「天皇個人そのものの〈象徴:符牒〉でもある元号」がそのまま使用されている点が,21世紀の日本国「民主主義」に固有の難点を意味している。

 この程度の基礎知識は “政治学のいろは” を勉強しだすと同時に,ただちに理解できるはずの前提問題である。ところが,日本における憲法学者たちはその事実を明確に語らないか,あるいは語れないでいる。これは摩訶不思議な学問状況とみなすべき状況である。

 a)「西暦と併用,文化的豊かさ」内田 樹さん(思想家)

 元号とは「時間の区切り方」のひとつです。いま日本では西暦と元号の両方が使われていますが,ふだん私が使うのは圧倒的に西暦です。先の戦争が終わって何年たったのか。昭和と平成に区切られた元号で考えていては,計算が困難です。

 ある事件が日本で起きたとき,世界でなにが起きていたのかをしるにも元号は不向き。だから僕にとって西暦は大事な道具です。ただ,元号は不便だから西暦だけあればよいという意見にはくみしません。むしろ複数の時間軸をもっていることは,文化的に豊かなことなのではないかと考えます。

 補注)内田 樹はここで,元号の問題を政治の問題ではなく,文化の問題に引き寄せて(あるいは押しやって)議論したいらしいが,政治と文化の双方の問題に関連するとともにその相互間の均衡が具体的に,どのような状態をもちつつ内的に成立しあっているかという問題性はわきに置いたまま,

 このように「元号が単に文化の問題」だいった具合に当該の問題を意識していればいいみたいな意見は,異様に感じるほかない珍説であった。「時間の支配」をめぐる重大な問題が元号にはしこまれている。

 まさに政治の問題である。これを黙過したままであるかのように発言し,元号は文化だといって論点の重点をあえて移動させようとする意向は,少なからず奇怪なる独自の見解になっていた。

〔記事に戻る→〕 世界では,さまざまな国々がさまざまなかたち時間の区切りを活用しています。英国には王朝に即してエリザベス様式やビクトリア様式という時代区分があり,それぞれの時代に独特の文化や精神があると考えられています。米国では10年(decade〈ディケイド〉)を基準に,50年代ファッションとか60年代ポップスと使っています。

 補注)ここにもちだされている「エリザベス様式」「ビクトリア様式」という時代区分,10年(decade〈ディケイド〉)基準である「50年代ファッション」とか「60年代ポップス」とか,日本というかアジア(中国中心)における関心事であるはずの「元号の問題史」に突きつける論法は,無理を強いる説法になっていた。

 元号というものは,「時間を支配する立場」を立つ者が,その「支配の力(権力・権威)」を誇示し,浸透させるための「時間の単位の区切り」であるゆえ,英米のそうした時間の区切り方をもちだす論法は,なんらかの出前的な論法にならざるをえない。それでは,肝心のお店のなかでの議論が脱線しかねない。

 その基本性格を有する元号は前段の様式やファッション,ポップスと同格・同類に並べて論じるのは,議論の共通基盤を忘れた思考にしかなりえない。内田 樹ほどの知識人がなぜ,この程度に粗雑「以前」の議論を突如はじめたのか不可解に感じた。内田に対するこれまでの評価を根本より変更する必要まで感じさせた。

〔記事に戻る→〕 日本には元号があり,明治45〔1902〕年生まれだった僕の父は「私は明治人だ」といいつづけました。わずか半年あとに生まれれば大正生まれになっていたはずなのに,明治を自身のアイデンティティーの支えにした。人間は特定の時代に自分を帰属させることで安心感をうるのかもしれません。ある元号を口にすると,その時代イメージをありありと思い浮かべられる。そういう元号は明治以外にもあり,一種の文化資産といえます。

 補注)ここでも内田 樹は「元号=文化」といったふうな,上部構造的な視点にのみこだわった議論(には必ずしもつながりにくい発想のそれ)にこだわっている。

 議論の前提そのものに関する問題意識が希薄なのか,それとも父の口癖「私は明治人だ」(本当はズレた時代感)を当然視する感性で発言しているのか。

 元号が以前からの文化資産だという場合,その歴史的な意味あいは普遍的な概念としてまで自信をもって語りうるのか。きわめて極限的な時代の意味しかもちえない「明治の精神」的な発言ではないのか? 

〔記事に戻る→〕 平成も明確な時代イメージをもつ元号として記憶されるでしょう。それは,落ち目の時代として,です。日本の国運が頂点から低落へと一変した時代が,平成でした。

 平成が始まった1989年には,日本は米国を超え世界一の経済大国になるという夢がありました。しかしそのわずか30年後のいま,主要先進国の座から滑り落ちようとしている。短期間に驚くほど大きく国力が下がったのです。

 補注)平成の時代が「陽が沈んでいく日本」を区切れる時期だとはいえても,一定限度においては確かにそのとおりであるのだが,これから〔次代の象徴天皇の時代になって〕も,日本がさらに落ちこんでいく展望しかなしえないでいる。

 つまり「平成の時代」でもって,歴史の時期をひとまず区切ることができたとしても,この場合は,「平成ということば:元号」という枠組=区切りを,あえて一方的にもちこんだうえでくくってみた「該当する時期の範囲」に意味が与えられていた。

 だから,元号で仕切ったつもりの特定の期間であっても,それは,「歴史の時間(ともかく西暦)」全体の流れのなかにあっては,ひとまず無限定的であるほかない,その期間の「流れのなかでの一区分」でしかありえない,しかも〈任意になる一定の時間の範囲〉に過ぎないものだ,といって聞き流しておくもできる。

 もっと簡単にいえば「そうもいえる」し「いえない」といった程度の「日本側における歴史の刻み」でしかありえない元号。議論の内容そのものにおいて “世界史的な普遍性” に通じうる実体が,確実にあるのかとあえて問えば,そのあたりの確信は日本側においてだけ勝手にできる,といいはっているに過ぎない。

〔記事に戻る→〕 世の中が変わったことを集団的に合意するための伝統的な装置。それが時間の区切りなのでしょう。日本にだけあるのではない,味のある文化的なしかけだと思います。人間には,世界共通の時間ではなく,民族や集団に固有の刻み目が入った時間の中で生きたい,という欲望があるのではないでしょうか。たとえば西暦も,キリスト教という一宗教の世界観が投影された時間の区切りです。

 補注)内田 樹は早速このように「世界中の時間の区切り」を話題にもちだし,さらに「世界共通の時間ではなく,民族や集団に固有の刻み目が入った時間」ももちだしては,「民族・集団ごとの時間に対する欲望」の介在を指摘する。

 だが,西暦と元号の関連性に関する意見は,内田だけの話し方ではなかったけれども,あえて両者を同等・同質的に並べる議論の仕方となっている。この議論の方法に関する好き嫌いはさておくほかないが,西暦側がこれまで絶対的に強い普遍性を獲得してきた状態を,なんとはなしにでも,少しは遠くに置いておきたいかのような欲求が正直に表現されていたといえなくはない。

〔記事に戻る→〕 元号と西暦の併用は確かに複雑で面倒です。しかし,世の中はとかく面倒なものです。それぞれの社会集団にそれぞれの時間の区切り方がある。だから,いくつもの異なる物語がある世界でそれらをなんとか編み上げて,それなりに使い勝手のよい社会をつくっていく以外に方法がない。話はハナから複雑なのです。(聞き手 編集委員・塩倉裕)(引用終わり)

 内田 樹はこうして,「面倒なもの」があっても「元号と西暦の併用」もいいではないかと結論している。元号が時間の表記を面倒にしている事実はよく理解し,事前に認めたうえで,そういっている。

 だが,これはかなり苦しい理屈である。ともかく,元号については「それなりに使い勝手のよい社会をつくっていく以外に方法がない」と主張しているようだが,この程度の説明では説得力は生まれない。

 すなわち,内田 樹の意見は,単なる感想的な発言の吐露に終始していた。逆に考えてみようではないか。「そのように面倒なもの:元号」は使わないでいいのではないか,実生活において使用しなくとも,なんら不便は生じていないゆえ……。こう指摘されたら,これに対して相手を説きふせるだけの “合理的な論旨” を用意したうえで,確実に反論できるのか。

 天皇・天皇制の問題がからむとこのように内田 樹だけの態度にかぎらず,なぜか,知識人の立論として展示する論旨が “穴だらけの構成になる” 。それでも,この種の提唱はしばしば話題になっていた。

 天皇制度を政治思想的に否定しえない知識人の立場であるかぎり,そうならざるをえない。庶民のなかになんとはなしにでも浸透している天皇尊崇という政治意識を,そのまま是認する議論しか展開できていない。知識人としての迫力が足りない。なにかに対してモジモジした語り口に終わっている。

 知識人の基本的な使命・役割はなんであったかを,あらためてここで内田に問うても詮ないことである。もとより知識人としての〈特定の限界〉を有していたゆえ,その点をつついてみたところで,なにか新味のある論点が出てくるはずもない。

 天皇・天皇制の現実を目前にすると,知識人であってもだいたいが足をすくませるほかないとしたら,本格的な議論以前の地平を彷徨するばかりであって,本質に迫る討議は期待できない。

 内田が「天皇主義者」を宣言するのは,あくまで当人の自由である。だが,それは知識人に与えられた基本命題からの逃避・脱落を意味し,いうなれば戦闘放棄である。戦わずして白旗を揚げたも同然である。天皇・天皇制を議論するためのあらゆる可能性を,みずから封印・排除したのである。「負けている」のである。

 いいかえれば,内田 樹はもしかすると,「どこかの誰か」を意識した〈構え〉をとったともみなせる。そして,この〈構え〉じたいがそもそも知識人に関した話なのだから,限定された「特定の分野」に関するものであっても,必然的に「思考停止」を意味するほかない。それも「学問の思想が左だ・右だ,前だ・後ろだ」といった次元の話題とは別の場所にある,もっと《初歩の論点》に関した話題である。

 ◇ 人物紹介 ◇ 「うちだ・たつる」は1950年生まれ。神戸女学院大学名誉教授(フランス現代思想)。2017年には「天皇主義者」宣言で話題に。

 2)「天皇制・戦争,スルーするな」坪井秀人さん(国際日本文化研究センター教授)『朝日新聞』2019年1月22日朝刊11面「オピニオン〈耕論〉」の続き

 私の専門の近代日本文学の世界では,明治・大正・昭和と元号で時代を区切って考える人がいまだに多いです。しかし私は,元号を極力使わないようにしています。パスポートなど避けられない公的な文書をのぞき,元号で記入する形式の文書でも元号に二重線を引き,西暦で書きます。

 元号を使うのをやめようと思ったのは,「平成」が発表された瞬間です。自分が選んだわけでもない言葉が上から勝手に降りてきたと感じました。「昭和」は生まれた時から存在していたので適当に使っていましたが,平成を使わない選択はみずからできました。

 「平成」というのがまた,いかにも薄っぺらく陳腐な言葉で,昭和末期の世相をみて白々しく思っていた私はこれをみて力が抜けてしまったのを覚えています。昭和天皇の病状が連日,ことこま細かに報道されるなか,1人の人間の身体が国民生活にここまで大きな影響を与えるものかと驚きました。

 当時は自分の周辺でも,天皇制や元号の是非,昭和天皇の戦争責任の議論が割合に活発でした。しかし結局,昭和天皇は戦争責任について多くを語らず亡くなり,天皇制が昭和で終わることもなく,徒労感を覚えていました。

 補注)昭和天皇の戦争責任問題は政治学・憲法学にとって,これからも大きな話題・論題でありつづけていくに違いない。大日本帝国の敗北にもかかわらず,その最高責任者がそのまま居座りつづけたゆえ,これを問題として座視するほうがおかしい。

 とくに知識人の立場から〔前項 1) に登場した〕内田 樹のように「天皇主義者」を宣言したぶんには,天皇・天皇制問題にかぎってはみずからが「三猿の領域」を,部分的にであっても,聖域として設けたことになる。その「天皇主義者」の立場から天皇・天皇制の問題を議論するといったところで,おのずと自縄自縛にならざるをえない必然性は回避できない。

〔記事に戻る→〕 自分が使う時間をみずから決められないのは,時間に関する主権がないということです。それは,国民主権といいながら,天皇を押し戴(いただ)いた国のかたちと密接に結びついています。

 西暦も自分たちで選んだ時間ではないですが,近代を研究していると,明治以降の天皇制や元号は,政府が国民国家をつくるために天皇を利用して作り上げた恣意的なシステムだと感じます。それに縛られたくはありません。

 補注)「一世一元」制は,明治維新以後,いまさらのように古代史からの元号制のなかから選んで決めた「時間を支配する天皇」のために据えられた,政治的な「時間の観念」であった。

 しかし,大日本帝国が滅亡したあとも昭和天皇がそのまま敗戦をはさんで生き伸び,ついでに「昭和の時期」も漫然と経過していった。「平成の時期」が到来したとき,初めて日本の人びとはいまさらのように「元号の意味」を自覚的に勉強せざるをえなくなった。

 平成の天皇となった明仁は,ほぼ30年間にわたる「象徴天皇としての〈治世〉」を,父親が残した『負の遺産:戦争責任関連』の行跡を訪ねてまわり,そこの人びと〔とその子孫〕を慰撫し,「ともに寄り添うための旅」を延々と続けてきた。

 政治的には父:天皇は「負」しか残せなかった実績を,息子:天皇がその「負」を必死になって穴埋めし,少しでも解消させるための長旅をつづけてきた。

 その間における日本の政治・経済は,昭和天皇の敗戦後が高度経済成長期をたどってきたものの,ちょうどバブル経済が弾けた時期にはじまった平成天皇の時代は,後半にもなると人口まで減少しだす始末となっていた。いまやこの国は「あらゆる側面」において衰退・弱化の社会過程を確実に進むほかない実情にある。

〔記事に戻る→〕 私は元号反対の運動をしているわけではありません。あくまで生き方のスタイルや思想信条の問題です。他の人が元号を使うかどうかはどうでもいいし,死んでも元号を使わないということではありません。元号を理由に書類を書きなおさせられることの方が,よほどばかばかしいです。

 30年前と違い,今回は天皇制をめぐる議論がほぼありません。天皇の言動が左翼からさえも支持され,大きなシステムへの批判が見事に封じられています。皇室からは今回,生前退位や大嘗祭の費用など新しい問題提起がありました。しかし日本社会の側は,それにも反応できず,なし崩しで物事を進めています。天皇制や元号の問題なんてもうどうでもいい,とスルーされているのです。

 元号を使うことは本来,天皇制や戦争とのかかわりといった歴史性をもつ行為です。しかしその歴史の地層が忘れられ,失われていく。平成の2文字が別の2文字に変換されるだけ。何事もないかのように新しい元号に慣れていく風景はみたくありません。(聞き手・高重治香)(引用終わり)

 坪井秀人のこの議論は,元号に関する「本来の意味」が遠ざけられている現状を批判している。現政権は「戦後レジームからの脱却」を大声で唱えてきた割りには,実はその戻っていきたい地平に待ち構えている「天皇制や戦争とのかかわり」や,その「歴史性をもつ行為」「歴史の地層」をまともに意識できていない。

 明治の時代があの安倍晋三の網膜にはバラ色に写っていたらしいが,この非現実的な明治「時代観」は,大日本帝国時代の崩落現象によって完璧にまで否定されていた。それでも「坂の上の雲」が21世紀のいまにあっても,われわれの空の上を流れているかのように空想できるこの首相の頭のなかは,完全に,いわゆるお花畑そのものであった。

 アベノミクスがウソとまやかしに充満していた経済政策だとすれば,「美しい国へ」と念仏を唱えた安倍晋三の政治(アベノポリティクス)は,在日米軍基地という鎖のつながれたこの国の現状のなかでは白日夢である。冗談にもならない「子ども宰相」の絵空事であった。

 ◇ 人物紹介 ◇ 「つぼい・ひでと」は1959年生まれ,文学と戦争や時代とのかかわりを研究。昨〔2018〕年「僕が元号を使わない理由」という文章を発表。

 3)「過剰な重視,使う人減らす」楠 正憲さん(国際大学 GLOCOM 客員研究員)『朝日新聞』2019年1月22日朝刊11面「オピニオン〈耕論〉」の続々

 元号がいいか,西暦がいいか。そのとき注目されるのは「利便性」でしょう。役所で申請をするとき西暦がないと不便だとの声はよく聞きます。逆に年配の方々には元号の方がなじみやすい,といった事情もあるでしょう。

 元号や西暦といった社会的な道具について考えるとき,便利であることは確かに「望ましい」ことですが,「必須」ではありません。留意すべきは「便利でないこと」ではなく「使えない人がいること」でしょう。ユニバーサル(普遍的)かどうかです。いま自治体で西暦表記が広がっている一因も,外国人が使えないことへの配慮です。

 補注)本ブログは先日,運転免許証が「西暦を主記する年月日の表記」に変更されている事実に言及したことがあるが,このあたりの事実は十分配慮に入っていない議論に聞こえる。その関係でいうと,次段の議論は準備不足。インタビュー記事をとりまとめた記者のほうも同じ。

〔記事に戻る→〕 たとえば今回,政府は免許証の有効期限で西暦表記も併記する決定をしました。しかし米国で働く私の友人は「生年月日を西暦にしてほしい」といいます。米国では日本の免許証がIDカードとして使える場面があるのですが,元号だといつ生まれたのかを米国人が理解できず,証明に使えないというのです。

 日本が経済大国だった時代は遠く去りました。日本人は今後,いままで以上に世界中の人びとに助けてもらったり,世界中のさまざまな場所を舞台に成長させてもらったりしなければいけなくなるのです。

 そのさい増えるのは,日本で発行された公的文書を外国で提出する機会です。海外の機関に自分の業績を証明するとき元号は,外国人に分かってもらうさいの障壁になる。外国人に提示する可能性のある公的な文書には西暦を併記すべきだと私は考えます。

 それでも今後,元号の存在感が薄まっていくばかりになるとは限りません。グローバル化が深まり,中国の台頭などで周辺環境も変わっていきます。日本の文化的な独自性を表すものとして,元号を自身のアイデンティティーの支えとして再評価する意識が台頭するかもしれません。

 補注)ここでもいわれているのは「元号の文化的な独自性」であった。普遍性としては「相対的にではあっても絶対性をもつ」ような西暦の実績に,元号の日本における固有性:文化的な意味あいだけをもって,ただちに攻守交代させることなどできるわけがない。そもそも,議論の方向性に関してからして無理があった。

〔記事に戻る→〕 今回,日本の伝統を大事にする立場から,新元号の発表を早めるなとの声が出ました。同じく元号重視の視点から,新元号への瞬時の整然とした移行を求める声もあります。双方の要請を同時に満たそうとすれば,改元に要する負担は過重になります。結果的に「西暦を使う方がいい」と考える人を増やし,元号離れをも促しかねません。

 もとより,改元の初日から日本全国で官民すべてのITシステムの画面や印刷などを新元号に対応させることは,物理的に不可能なのです。大事なのは,平成31年という表記がしばらく残ってしまう混乱を許容する柔軟な進め方なのではないでしょうか。

 補注)「新元号に」「残ってしまう混乱を許容する柔軟な進め方」といったふうな,天皇・天皇制の存在じたいから派生してくる「元号にまつわる不便・不都合」が,このような論調をたずさえてなにやかや話されているという事態に関していえば,なにかを不審に感じ,疑問も抱かれていい論点がある。しかし,議論の方途はそこには向かっていない。

 次段で触れている「元号はそもそも『突然変わるもの』」という「歴史の事実」は,もちろん明治以前の話であって,それ以降では人為的に「一世一元」に固定されてきた。これを「実は異例」と把握しているが,単に議論に関するひとつの前提が指示されたに過ぎない。なにか堂々めぐりにも聞こえる話になっている。

 元号の問題に関していままで歴史的に蓄積されてきた学問・理論における成果・業績が,まるで存在しないかのように語られている。まさか,その点をよくしらないことはないと思いたいが,どうやら核心の問題はあまり詳しくない人士であるようにも感じる。

〔記事に戻る→〕 元号はそもそも「突然変わるもの」として想定されてきているはずです。改元がいつごろ起きるかがスケジュール的に分かっている今回の方が,実は異例なのですから。(聞き手 編集委員・塩倉裕)(引用終わり) 

 ◇ 人物紹介 ◇ 「くすのき・まさのり」は1977年生まれ,行政情報システムに詳しい。金融IT企業の技術責任者や,閣情報通信政策監補佐官も。


 ※-3「〈社説〉皇位継承儀式『女性排除』の時代錯誤」『朝日新聞』2019年1月23日朝刊

  -明治以来,敗戦を経ても「明治謹製:皇室典範」風に
           女性差別がまかり通る皇室事情に対する批判-

この※-3の議論

 議論を疎んじ,憲法の理念をないがしろにする。都合の悪い話から逃げる。そんな姿勢がここにもあらわれている。

 天皇の代替わりに伴う式典のあり方を検討している政府が,その一部について正式に概要を決めた。このうち,皇位のしるしとされる神器を新天皇に引き継ぐ「剣璽(けんじ)等承継の儀」に関しては,釈然としない思いを抱く人が多いのではないか。

 式じたいは,侍従が剣と璽(勾玉〈まがたま〉)を新天皇の前に安置するという10分間程度の短いものだ。だが神話に由来し,宗教的色彩の濃い儀式が,政教分離を定める憲法のもと,なぜ国事行為としておこなわれるのかという根源的な疑問は解消されていない。

 くわえて,皇族で立ち会うのは成年の男子だけで,女性皇族は排除される。前例にならったというが,それは明治末期に制定され,現憲法の施行に伴って廃止になった「登極令」にある定めだ。平成の代替わりのさいは,昭和天皇の逝去後ただちに執りおこなわれたため,ほとんど議論のないまま援用された。

 国会でも問題視された方式を今回もそのまま実施する背景には,女性皇族の参列によって女性・女系天皇の議論が起きるのを避けたいという,政府の思惑があるとの見方が強い。

 女性・女系天皇を認めるか否かをめぐっては長年の論争があり,慎重な姿勢をとるのはわからなくはない。だがその話と参列を許さないこととは次元の異なる話だ。政権の支持層である右派の意向に気を使うあまり,社会常識と乖離・逆行する方向に進んではいないか

 政府は昨〔2018〕年,皇室制度に詳しい識者4人から意見を聞いた。いずれも総論としては前例踏襲を支持しつつ,同時に

 「国内外の通念とも調和しうるあり方とする。剣璽等承継の儀式などには未成年の男女皇族も参列するのが望ましい」(所 功・京都産業大名誉教授),

  「伝統の継承とは,歴史と先例を踏まえたうえで,時勢にあわせて最適・実現可能な方法を採用することを意味する」(本郷恵子・東大史料編纂所教授)

剣璽等承継の儀式などの解釈

といった,もっともな見解が示された。

 だがその後の政府の対応をみると,なんのためのヒアリングだったのかとの疑問を抱く。

 この先も秋篠宮さまが問題提起した大嘗祭を含め,儀式の細部を詰める作業が続く。「国民の総意」にもとづく天皇であるために,憲法原則にかない,多くが納得できる姿をめざして議論を深めなければならない。政府の勝手にさせず,国会はチェック機能を適切に果たすべきだ。(「社説」引用終わり)

 以上の社説に批判されていた問題,「剣璽(けんじ)等承継の儀」における女性排除は,安倍晋三政権の意向であるかぎり,男尊女卑の基本観念が背景に控えている。これが「戦後レジームからの脱却」の一環だとしたら,笑止千万どころか,「先進国の一員」であるつもりだけはあるこの国であっても,世界中から笑いものにされること請けあいである。

 天皇家の大昔における儀式として定着していたかさえ不確かであって,確かなのは明治以来に創ったつもりのその儀式のことである。だから男尊女卑を当然視し,「戦後レジームからの脱却」を明治時代までさかのぼってならば,これを限定的におこないうるつもりらしい。だが,この明治的な思考方式にまつわるコッケイ性は,先進国にあるまじき演技を裏づけており,民主主義の基本原理からはかけ離れている。

 もっとも,皇室の実在じたいが「民主主義の基本理念」と相容れない政治的要因になっている点は,政治学者・憲法学者に教えてもらうまでもなく,自明であった。いわばここまでも「天皇・天皇制の問題」が天皇の代替わり儀式の挙行方法に関して発生せざるをえない事実そのものが,日本における「民主主義の状態」の真価を問うている。 

 

 ※-4「神器承継への陪席,女性皇族は認めず 皇位継承,式典の概要決定」『朝日新聞』2019年1月18日朝刊4面「総合」

 これは,② の社説で問題にされていた「剣璽(けんじ)等承継の儀」などに関する記事である。関連する諸事情を理解するために引用しておく。

 --天皇陛下の退位に伴い,〔2019年〕4月30日から5月1日にかけておこなう皇位継承儀式の概要が正式に決まった。新天皇が神器などを引き継ぐ儀式では,皇位継承権のない女性皇族の陪席を認めない方針も,議論のないまま「前例踏襲」となった。

 なお,退位・即位の儀式の流れ(2019年)はこういう式順であった。

 4月30日午後5時~ 【退位礼正殿の儀】
  ・首相が国民代表の辞を述べる
  ・天皇陛下が在位中最後の「おことば」を述べる

 5月1日午前0時
  ・新天皇が即位,改元

 午前10時半~ 【剣璽等承継の儀】
  ・皇位のしるしとされる神器などを引き継ぐ

 午前11時10分~【即位後朝見の儀】
  ・新天皇が最初の「おことば」を述べる
  ・首相が国民代表の辞を述べる

退位・即位の儀式の流れ


 憲政史上初の天皇退位に伴う「退位礼正殿(せいでん)の儀」は4月30日夕方,皇太子さまの即位に伴う「剣璽(けんじ)等承継の儀」と「即位後朝見の儀」は5月1日午前,いずれも憲法の定める天皇の国事行為として執りおこなう。17日の式典委員会(委員長=安倍晋三首相)で決定した。

 補注)ここでは「いずれも憲法の定める天皇の国事行為として執りおこなう」と報道(解説)されているが,天皇問題研究者の立場によっては,この儀式じたいが「国事行為」に当たらないとみなす見解もある。

 天皇家が私事的におこなえばよい儀式を,国税を充てて大々的に国家的な行事として執行させるところが,まさしく問題の焦点になっている。憲法が定めるのだとはいっても,国事行為があまりにも肥大化させられ,なんでもかんでも放りこまれているのが現状である。

〔記事に戻る→〕 雅子さまをはじめとする女性皇族に「剣璽等承継の儀」への陪席を認めない方針は,昨〔2018〕年3月の式典準備委員会で,事務局が既定のものとして説明し,異論も出なかったという。

 政府が議論を避けたのは女性・女系天皇の是非論に飛び火するのを避けるためだ。一般の参列者については性別で区別せず,5月1日にいまのまま閣僚らに女性がいれば女性初の参列となるが,「皇位継承権とは関係がない女性閣僚らの出席は問題ない」(政府関係者)ということに過ぎない。

 退位の儀式では,皇位のしるしとされる三種の神器のうち,剣と璽(じ)(まが玉)を会場に置くことも決めた。三種の神器は神話上,皇室の祖である天照大神から授かったと伝えられるもので,政教分離の観点から憲法との整合性を問う声が根強くある。

 これに対し横畠裕介・内閣法制局長官は委員会で,皇室経済法が「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」の継承を定めていることを踏まえ,「剣璽等承継の儀と同様,剣璽などを安置することにも憲法上の問題はない」と強調したという。(引用終わり)

 結局,「政教分離の原則」問題は実質,完全に骨抜き状態になっていた。内閣法制局長官に向かい, “安倍晋三に忖度するな” といったところで無理難題であって,するはずも・できるはずもない。総体としては,安倍首相と法制局長官がグルになって仕組んでいるとしかいいようがないほど,関連の法規に関したあつかいが乱雑化させられた。

 男女共同参画社会とか女性も大いに活躍してもらう労働社会を構築するなどといってはいるもの,すでに人口統計が少子高齢社会のなかで急激に進行するなかで「女性を大事にしない日本社会の基本特性」を変えられないまま,「国・民を統合する象徴」が家長である天皇家のなかで,天皇の代替わり儀式が “女性差別” を,しごく当たりまえに正々堂々と決行している。

 つぎは『日本経済新聞』から引用する記事・図表である。合計特殊出生率もさることながら,出生数の減り方が下方へ傾斜する歩調が逓増している。

人間は男だけでは作れず女性が居なければ
絶対にダメ

女性を大切にしない国はいずれ滅びる
男系天皇でないとイケナイなどといまだにいいはる
「衰退途上国:日本」


隣国韓国ではその可能性が到来すると大騒ぎするほど
出生率も出生数も激減してきている

 これでは “まるで漫画だ” などといった水準以上(以下?)のカリカチュア的な日本社会における実相が,皇室内「男女差別の問題」として展開中なのである。日本社会における女性差別というものが,皇居のなかでは典型的に例示されていた。

 そして,いまだにそれを除去できていない状況にあるとなれば,頑迷固陋な時代精神の保有者集団である「自民党政権」がこれからも続くあいだは,「明治精神の負的な遺風」がこの日本国を「19世紀的な半封建的段階」に係留させつづけることになるゆえ,現状のごとき政治態様は相当にコッケイだと形容されたとしても,たいした違和感もなく是認せざるをえない。

 以上,女系・女性天皇の議論にだけかかわる「狭い領域に関した論点」には留まりえない「問題・背景の広がり」が,皇居の二重橋の向こう側には影絵のように映っている……。

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