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第2次大戦の沖縄戦と戦後の朝鮮戦争を想起し,軍事費(防衛予算)を2倍にして,さらに貧乏国となる日本を懸念する

 今日は2023年6月24日だが,いまから「78年前の1日前」の1945年6月23日に沖縄戦が終結した。さらに,同じくいまから「70年前のその1月ほどあと」になる1953年7月27日,朝鮮戦争が休戦した。いずれに戦場になった地域において,どれだけの人間が死んだか。

 岸田文雄は愚かにもアメリカのいいなりに,防衛費を5年間で倍増させると決めていたが,この「世襲3代目の政治屋」の頭中はカラッポである事実などが,本日のこの記述でさらに明らかになるはずである。台湾有事などほぼありえないというのが,専門家の判断として明示されている。

 アメリカは最近,中国へ国務長官アントニー・ブリンケンを派遣し,そのあたりに関して,「対・中国と台湾」「情勢関係分析」を再確認していた。日本だけは蚊帳の外よろしく,ほとんどありえない台湾有事のためだと勝手に騒いでは,アメリカから兵器・武器の爆買いを,しかもその価格ときたら2倍から3倍もふっかけられながら,なぜか,喜んで買っている様子がうかがえる。

 こうなると,この国首脳たちの軍事音痴・国際政治感覚の欠落ぶりは,絶好調だと皮肉るしかできなくなっていた。
 付記)冒頭の画像は,沖縄県「平和の礎」のほぼ全景を撮影した画像。「平和祈念公園を紹介◎祈りと癒しの公園」『skyticket』2022年4月26日 更新,https://skyticket.jp/guide/343958 より。
 

 ※-1 昨日,2023年6月23日は,太平洋戦争(第2次世界大戦)も終わりに近づいた段階で,天皇裕仁が自身の延命を意識することを基準に,あの戦争を大元帥として指揮していた。

 大日本帝国は大東亜戦争と呼称していたが,「負けると分かっていたその戦争」を,もっと早く止める機会はあったにもかかわらず,「もう一度戦果をあげてから」と継続させたのが,ほかならぬ昭和天皇自身であった。

 日帝はそのせいで広島・長崎へ原爆を投下されるは,それまでにはすでに沖縄戦でたくさんの命が失われるは,おまけに前後して,日本本土各地へのB29による市民殺戮無差別攻撃がなされていた。

戦争責任は言葉のアヤ

 しかし,天皇裕仁は自分に対して忠良なる臣民たちの財産や生命よりも,皇居内に明治以降の皇室伝統として新しく設置した「三種の神器」のほうがよほど大切だと信じこんでいた。この神器が戦禍に巻きこまれて焼失する恐怖,すなわち「自分が天皇である地位:物神の存在」が消滅(焼滅)する危機を,ほかの誰よりも「第1の皇室神道上の価値観」として,本気で信じていた。

 以上は,昭和天皇の国家神道観に関して,事実として歴史に記録・証言されてきた発言や気持ちを,いまさらではあるが,そのように指摘してみた。天皇・天皇制に対する賛否の両立場を問わず,以上の事実は,基本的に認識しておくべき「天皇家の敗戦日記」に記入・告白された「史実」であった。

 1945年の6月23日に終結した沖縄戦は,沖縄県を焦土と化した。本土のほうでもすでにとくに,同年3月10日未明からの東京大空襲では,10万人もの民間人犠牲が出ていたが,沖縄戦はあの小さい島のなかで,民間人が逃げまどい,巻き添えを食って,多くの人びとが命を奪われる戦場になっていた。

 敗戦後,かなりの長期間,沖縄県民が「君が代」を歌わないし,そもそもこの国歌を習っていないがゆえに,唱うこともしなかった現実があった。その事実はそれなりに納得のいく歴史の事情・背景をかかえていた。

 したがってたとえば,それ以降の話となるが,沖縄県で発行されている地元紙のうち『琉球新報』2014年9月10日の「社説」https://ryukyushimpo.jp/editorial/prentry-231371.html は,つぎのようにきびしく「昭和天皇の戦争責任」問題に迫る論説を披露していた。

 

 ※-2『琉球新報』2014年9月10日「 〈社説〉昭和天皇実録 二つの責任を明記すべきだ」

 沖縄の運命を変えた史実は,十分解明されなかった。宮内庁は昭和天皇の生涯を記録した『昭和天皇実録』の内容を公表した。米軍による沖縄の軍事占領を望んだ「天皇メッセージ」を日本の公式記録として記述した。

この史実は学問的には確定している話題である

 しかし,沖縄の問題で重要とみられる連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサーとの会見記録や,戦争に至る経緯などを側近に述懐した「拝聴録」は「見つからなかった」との理由で,盛りこまれなかった。編さんに24年かけたにしては物足りず,昭和史の空白は埋められなかった。

 昭和天皇との関連で沖縄は少なくとも3回,切り捨てられている。

 最初は沖縄戦だ。近衛文麿元首相が「国体護持」の立場から1945年2月,早期和平を天皇に進言した。天皇は「今一度戦果を挙げなければ実現は困難」との見方を示した。その結果,沖縄戦は避けられなくなり,日本防衛の「捨て石」にされた。だが,実録から沖縄を見捨てたという認識があったのかどうか分からない。

 二つ目は1945年7月,天皇の特使として近衛をソ連に送ろうとした和平工作だ。作成された「和平交渉の要綱」は,日本の領土について「沖縄,小笠原島,樺太を捨て,千島は南半分を保有する程度とする」として,沖縄放棄の方針が示された。なぜ沖縄を日本から「捨てる」選択をしたのか。この点も実録は明確にしていない

 三つ目が沖縄の軍事占領を希望した「天皇メッセージ」だ。天皇は1947年9月,米側にメッセージを送り「25年から50年,あるいはそれ以上」沖縄を米国に貸し出す方針を示した

 実録は米側報告書を引用するが,天皇が実際に話したのかどうか明確ではない。「天皇メッセージ」から67年。天皇の意向通り沖縄に在日米軍専用施設の74%が集中して「軍事植民地」状態が続く。「象徴天皇」でありながら,なぜ沖縄の命運を左右する外交に深く関与したのか。実録にその経緯が明らかにされていない。

 私たちがしりたいのは少なくとも三つの局面で発せられた昭和天皇の肉声だ。天皇の発言をぼかし,沖縄訪問を希望していたことを繰り返し記述して「贖罪(しょくざい)意識」を印象付けようとしているように映る。沖縄に関するかぎり,昭和天皇には「戦争責任」と「戦後責任」がある。この点をあいまいにすれば,歴史の検証に耐えられない。(引用終わり)

 この琉球新報の2014年9月10日「社説」は,昭和天皇の戦争責任をきびしく追及する文章になっていた。島全体を焦土にされ,全数では20万人以上の犠牲者を出し,とくに県民の4人に1人は死んだ沖縄戦であった。本土の人数に換算すれば,当時,200万人近くも日本国内にいた朝鮮人たちも含めていえば,1900万人近くが死んだ・殺されたという計算になる。

『昭和天皇実録』は,宮内庁がにおいて1990〔平成2〕年から24年もの年月をかけて編修し,2014〔平成26〕年8月,本文60巻として出版社・東京書籍から公刊されてきた。

 しかし,実録だと語りながら,実際のその中身は当然,昭和天皇,そして皇族一家,さらに日本国の体制派の一部にとって都合の悪い「事実史」はいっさいとりあげられるわけもなかった。すなわち,彼(ら)の「イイ顔」をしてきた面だけを,できるだけ精一杯に説明しながらの『昭和天皇実録』の物語であった。

 そこに書かれたものが「実録」なのだとしたら,歴史というものはいくらでも創造できる。それはちょうど明治維新が,古代史のヤマトを「想像してみたかった点」を,新しく取り入れていたつもりの場合と,まったく同じ要領になっていた。

 だから,ある意味では実録とは称していても,皇室史観による粉飾的な捏造の部分が絶対にないとはいえない。それこそ,ウソのぎりぎりにまで煮つめられた話題も豊富でありうる。

 それゆえ,このような適当に編纂された皇室歴史物語が,仮にでも日本現代史の一部を構成しうるのだとしたら,まっとうな日本史の記述はより困難になる。できれば,別個の歴史部門を特設してそちらで活躍してもらう歴史部門としてならば,それなりに存在価値をみいだせないこともあるまい。

 歴史は,必然的かつ結果的に「作られていく」のではなく,誰かが意図的に「書くかたちで創る」ものだとしたら,『昭和天皇実録』が,本当に実録に値するほど徹底しえていたのかという絶対の保証,とくに学問的な真価は,定まる地平を求めにくい。

 以上のごとき指摘(批判)は,より重要で肝心かつ微妙であって,また当然に政治的な意味あいもあって,しかも天皇問題の議論としてみる場合,批判を意味する議論の内容となれば,『実録』にすなおに記述されるそれになるわけなどありえない。

 『▼▼天皇実録』という著作じたいが本来かかえこんでいる,ある種の胡散臭さは否定できない。この点は宮内庁内でその編纂に従事している識者たちであっても,先刻承知の事実前提であった。天皇に関する実録には,どうしても「反・歴史的な意識」の介在が不可避である。

 それゆえ,前段に引用した沖縄県地方紙である『琉球新報』は,そうした『昭和天皇実録』のマヤカシ的な基底を遠慮なく指摘・批判していた。
 

 ※-3 沖縄県には,1995年6月に太平洋戦争・沖縄戦終結50周年記念事業の一環として建設された「平和の礎(いしじ)」がある

 その「平和の楚」は,国籍を問わず,また,軍人・民間人の別なく,すべての戦没者の氏名を刻んで,永久に残すために建設された沖縄県による戦争犠牲者慰霊・追悼のための施設として建設されていた。

ウィキペディアから

「平和の楚」は高さ1.5m 全長2.2kmで,刻銘されている人数は24万1,632人(2021年6月15日時点)であり,敵味方関係なく沖縄戦などでの戦没者すべての氏名を刻んで記念するものである。

沖縄戦犠牲者・出身地別統計

 ところで今日は2023年6月24日,そして明日は6月25日。1950年のその6月25日,北朝鮮が韓国に侵略戦争をしかけた。しかし,1951年3月以降,戦線は膠着した。3年後の1953年7月27日に休戦協定が結ばれるまで,一部の戦場で一進一退の戦闘がつづいていた。

朝鮮戦争・概略

ところが,そのおかげで日本は,この隣国動乱がもたらした「朝鮮特需」の恩恵に授かり,それまでは松下電器などは明日にももうわが社は潰れるといったせっぱつまった経営状態であったものが,起死回生,千載一遇の産業経済・企業経営回復のための好機を与えられた。

本日のこの記述は,このあたりから,在日朝鮮人が公刊した本のなかに残した「観過できない校正ミス」をめぐる話題に移る。
 

 ※-4 白 宗元『在日1世が語る戦争と植民地の時代を生きて』岩波書店,2010年にみつかった平凡過ぎる校正ミス

 なお,ここからの記述は「2019-11-23」に公表した文章を更新・復活させた段落となる。

 ここでの話題は,「岩波書店が発行した朝鮮総連人士の本に残した校正ミス」についてであった。このミス(見逃しか?)が,岩波書店ほどの編集実力のある出版社に起きるのかという疑問が,その後も,もやもやした印象として残った。

 ということで,以下の記述に関してはつぎの要点2つを挙げておきたい。なお,2つめの要点には枝葉となる補足も追言されている。

 要点:1 「朝鮮戦争中には1平方メートル当たり1トンの爆弾が降り,ピョンヤンの街は見る影もなく……」という「明白な間違い」に,原著者も気づかなかったのか,という校正のミス

 要点:2 岩波書店の編集・校正力はこのような程度ではなかったはずだが,この出版社が発行する書籍のなかで初めて接した明らかな「校閲」の記録

  ★-1 朝総聯人士:白 宗元の著書『在日1世が語る戦争と植民地の時代を生きて』(岩波書店,2010年,172頁)が,校閲ミスでなければどうして,「朝鮮戦争中には1平方メートル当たり1トンの爆弾が降り」そそいだ戦いになっていた,などと語りえたのか

  ★-2 北朝鮮支持者:朝鮮総連人士の虚言と詭弁は常習の話法であり,組織の作風

 1) 朝鮮戦争のときどのくらい爆弾が投下されたのか

  a) 米空軍の推計では,朝鮮戦争で投下された爆弾の総量は63万5千トンで,第2次大戦中に日本に投下された爆弾16万2千トンの4倍近くに達する。また,ベトナム戦争時に残虐兵器として世界中から弾劾され,米軍も表向きには使用中止とした「ナパーム焼夷弾」が,初めて大量使用された(総計3万トン以上)のも朝鮮戦争だった。さらに米軍はダムを破壊して町や村を水没させ,飢饉に追いこんだ。

 註記)「〈繰り返すな戦争 その実相に迫る〉第2回 米軍の焦土作戦が全土を破壊 今も終わっていない朝鮮戦争」,週刊『前進』2018年5月31日,第2944号 02頁,http://www.zenshin.org/zh/f-kiji/2018/05/f29440202.html

 補注)つぎの画像資料(太平洋戦争の日本空襲と朝鮮戦争でアメリカ軍が投下した爆弾量)も参照しておきたい。前後して本文との数字に違いも出ているが,議論に関するイメージ「概念像」として参考にしておく。

太平洋戦争と朝鮮戦争の空爆など爆弾の総量

  b) 韓(朝鮮)半島の面積は22万800キロ平方メートルであるから,朝鮮戦争時に投下された「1キロ平方メートル当たりの爆弾重量」は「2. 876トン」という計算になる。

 この数値はもちろん,1キロ平方メートル当たりに関してであり,朝鮮戦争が1950年6月25日にはじまり1958年7月27日に休戦になるまでの期間を通して,全国の土地に対して平均的に投下されたと計算してみた爆弾の量であり,あくまで単純にならしてみた数値である。

 参考にまで挙げれば,太平洋戦争中,米軍が日本本土に投下した爆弾の量は16万800トン,ベトナムに投下した爆弾の量は1400万トン,第2次世界大戦では610万トン余りであった。

 いずれにせよ,白 宗元『在日1世が語る戦争と植民地の時代を生きて』(岩波書店,2010年,172頁)における文章,「朝鮮戦争中には1平方メートル当たり1トンの爆弾が降り」……という表現は,〈単なる誤植〉であったとしても,朝鮮戦争の期間に投下された爆弾の総量に関して,大きな間違い「3桁もの〈桁違い〉になる増量」を記していた。

 ♠ 人物紹介 ♠
 白 宗元は1923年,朝鮮平安北道義州に生まれ,京都大学経済学部卒。建設通信社(現朝鮮通信社)社長,朝鮮大学校学部長,朝鮮総聯中央副議長,在日本朝鮮人体育連合会会長などを歴任。著作として,白 宗元『検証 朝鮮戦争 日本はこの戦争にどうかかわったか』三一書房,2013年。

人物紹介

 この白 宗元の著書に対しては,「Amazon 通販」の画面のなかに,ブックレビューが2件だけ投稿されていた(2015年1月9日時点の話だが,現在も同じ)が,そのうちの1件は酷評していた。もう1件は明らかにヨイショした身内褒めのレビューなので,紹介に値しない。

 ここで言及するのは酷評を下したレビューのほうである。その評価は「5つ星のうち 1.0 価値なき本」とされ,つぎのようにこき下ろされていた。評価の星の点数はどうあれ,この批判は当たっている。

 「親日や反日とかのレベル以前に脚注の不足,個人思想と憶測ばかりの本題構成」
 「信憑性に大きく欠けるといわざるをえない」
 「恐らくは北朝鮮の正当性を広めるプロパガンダ作品」

 c) 著者の白 宗元も,まさか「1平方メートル当たり1トン」でないことを,自著の校正作業のなかでしりえないわけではなかったはずである〔と思いたい〕。というのは,よほどのうっかりミスでなければ,校正時に見落とすような間違いの「記述の個所」だとか,その「文字の意味」には思えないからである。

 補注)1トンということばにこわだっていうと,いわゆる「1トン爆弾」が投下されると,こういう被害が出ると説明されている。その実例の見本としてつぎの画像を紹介しておきたい。

1トン爆弾実例,自衛隊が爆弾処理をするさい撮られた画像

 通常爆弾としての1トン爆弾の大きさは,直径60センチ,長さ180センチある。 平地で爆発すると約1キロ四方に破片が飛び散る威力をもっている。この事実からしても,「朝鮮戦争中には1平方メートル当たり1トンの爆弾が降り」そそいだというのは,のっけからおかしいと気づいていいはずである。

 もっとも,戦争に関する基礎知識をまったくもちあわせない場合は,そのような間違いを犯す可能性はゼロではない。ところで,前段に出ていた説明は「米空軍の推計では,朝鮮戦争で投下された爆弾の総量は63万5千トン」だと表現していた。

 その635, 000トンを1トン爆弾に換算して考えてみよう。朝鮮(韓)半島の面積は220, 700平方キロメートルであるから,あえて単純に丸めて大雑把に計算するが,朝鮮戦争中においては,その各1キロ平方メートルあたりに対して,1トン爆弾が約3回ほどが投下されたことになる。

 以上の計算はもともと間違えた数値を使った説明であるから,3年と1ヵ月も継続していた朝鮮戦争に関する話としては,チグハグさを強く感じさせる内容にならざるをえない。ともかく,1トン爆弾を話にもちだし,しかも平方キロメートルとの計算に関係させて語るさい,〔多分〕「間違えてしまい,説明にならない説明」をくわえていた。

 それにしても,正しくは「1平方キロメートル当たり1トン」であったはずの誤植を,どうしてみのがしたのか? 岩波書店の編集・校正には定評があるが,このような単純ミスはかなりうかつな見過ごしだと受けるほかない。だが,「朝鮮総連」の関係人士が書いた「事実ではないおおげさな数字(?)」を,このようにみのがしていた点は理解に苦しむ。

【後日,2023年7月17日の補足】

 林 博史『朝鮮戦争無差別爆撃の出撃基地・日本』高文研,2023年6月はこう説明している。

 B29による投下爆弾だけで比べてみても,北朝鮮の国土面積は12万平方キロメートルなので1平方キロメートルあたり1.4トンになる。ただしB29のべく劇の一定部分は韓国領に向けられているので実際にはもう少し少なくなるが,日本の場合は約0.4トンであるのでその3倍になる(210頁)。

補足

 d) 1トン爆弾の破壊力
 校正の熟達者であれば周知の技術的な配慮だと思うが,とくにこのような数値の個所に関する校正作業は,いったん立ち止まるようにして眺めつつ校閲すべき個所であったはずである。  

 ともかく,前項 c) でも触れたように「朝鮮戦争中には1平方メートル当たり1トンの爆弾が降り……」などといった表現は,事実どころかとんでもなく桁違いの指示になっていた。

 つぎに,とりあえずその批判点はひとまず置いておき,1トン爆弾の威力:破壊力について考えてみたい。

 太平洋戦争中に米軍が日本へ投下した1トン爆弾が不発弾として発見され,その処理に関して「近所の住民の報告(感想)」が書かれていたので,これを引用するかたちで説明しておく。
 

 ※-5「爆弾の威力」

 なお,以下の記述は,もっぱら『 Psychedelic Lodge 』2008-04-07 (月) 4:00,http://www.plodge.org/?p=1238 を参照して,記述した。

 ここに登場する国領(こくりょう)という地名は調布市国領町を指している,京王電鉄「京王線」の駅名にも使用されており,この駅は同線の調布駅から東京方面寄りに1駅の場所に位置する。なお「京王線」とは,新宿駅から調布駅や北野駅を経由して,京王八王子駅を結ぶ路線 37.9 kmである。

 1)1トン爆弾の被害範囲

 調布市で先日みつかった国領町の1トン爆弾は,搬出作業の予定がまだ出ていなかった。作業日には近隣に避難勧告が出るのだろう。1トン爆弾とはどの程度の威力なのか,さっぱり判らない。ガンダムでたとえてくれといっても,誰も教えてくれないのでグーグル先生に聞いてみた。

 解説したページは意外とみつからない。太平洋戦争中に書かれたものなのでかなり古いが,これをみると1トン爆弾では,こうなっている。

  爆風殺傷に対する安全圏   … 50m
  破片殺傷に対する安全圏   … 500m
  家屋への影響に対する安全圏 … 160m

 海外のサイトも調べてみた。1トン:2000ポンドなので,2000 pound bomb に対する evacuation(避難・退避〔の範囲〕) を検索してみると, “Risk Estimate Distances for Indirect Fires in Combat” ,つまり「戦闘時における間接被害(爆風)に関する危機予測」が出ていた。それによると 2000-pound bombの場合,こうなっている。

   10 % PI … 225m
   0.1% PI … 500m

 PIは Probability of Incapacitation であり,爆弾の効果が無力になる「確率の距離」が記入されている。0.1%がPIなら1000人に1人は怪我するかもしれないという程度の意味であり,最低限はここまで避難せよという指標となる。やはり1トン爆弾では,500m圏内が避難が勧告される。

 補注)以上の説明は半径500mとしての説明であるから,直径だと1㎞になる。その範囲じたいは1キロメートル「四方そのものよりは狭くなる」が,爆弾の爆発範囲(これは直径で及ぶ範囲)の問題としては,ものすごい威力が及ぶ話である点に変わりはない。

 〔記事本文に戻る→〕 調布市国領町で発見された1トン爆弾の不発弾が,自宅にまで影響があるのか具体的に調べてみた。Yahoo の地図で,不発弾の位置から自宅周辺までが適当に入る程度に縮尺を定めて,同心円を描いてみた。国領駅前に埋没していたその不発弾を中心に,赤色にした地域からその同心円を順次に拡大してゆき,500m,800m,1kmへと半径を描いて線引きしてみた。

1トン爆弾の威力範囲

 これをみるかぎり「自宅」(被引用者の所在地)は,900mから1km圏内あたりにある。野川を挟んでいるから,ちょうどそのあたりが,避難勧告が出るかどうかの境目になる。甲州街道も500m圏内だから交通規制するのかどうか,事前調整に時間かかりそうである。慈恵会病院は微妙な位置にあるが,どうするつもりか。

 2)朝鮮戦争とベトナム戦争における爆弾投下量の比較

 朝鮮戦争の3年間において米軍は,1キロ平方メートル当たり「2. 8759トン」もの爆弾を韓(朝鮮)半島に投下した。ベトナム戦争の20年間では,それがさらに急激に増えて1400万トンになった。

 ベトナムの国土は(戦争当時は北と南に分かれていたが),33万1200キロ平方メートルの面積である。あえて単純平均にして計算しておくが,20年間にもわたる戦争中に投下された爆弾は「1キロ平方メートル当たり42. 271トン」にもなる。

 ただしベトナム戦争は,1955年11月1日から1975年4月30日まで20年間もつづいたので,朝鮮戦争(1950年6月25日から1958年7月27日まで)の3年間と比較するときは,ごく単純な比較になるがあえて「3/ 20」を係数にかけて換算したうえで,米国が両国に投下した爆弾の量を比較考量してみる余地がある。

 そうなると,ベトナム戦争時の爆弾投下量(1キロ平方メートル当たりで,その3年間(つまり朝鮮戦争相当)分にだけ換算して比較をすると)は,こう計算できる。

   42.271トン ✕ 「3/ 20 」= 6. 41トン

 朝鮮戦争時の3年間において投下された爆弾投下量は 「2. 876トン」であったゆえ,ベトナム戦争時の爆弾はその倍以上(2. 2倍)になっていた。この増えた投下量に言及するさいはとくに,北ベトナム,そして南ベトナムでもベトコンに支配されていた地域に関しては,上の数値が偏在する関係となって当然であり,もっと極端に多めに出てもいたはずである。
 

 ※-6 朝鮮総連関係人士の哀れな虚言と終生不変の詭弁は要警戒

 「白 宗元氏の反戦論」(『時事解説「ディストピア」』2014-06-30 00:02:57,https://blog.goo.ne.jp/minamihikaru1853/e/c4e2c4d3efb441a8a75029ee2a44d6ee) は,まずこう記述していた。

 「集団的自衛権については,浅井基文氏の著作を推薦しますが,先日,『朝鮮新報』〔在日本朝鮮人聯連合会(朝鮮総聯)の機関紙〕に載っていた白 宗元氏のもなかなか読みごたえがあった。その記事の題名は「なぜ急ぐ集団的自衛権 / 白 宗元」(http://chosonsinbo.com/jp/2014/06/) であった。

 以下に引用する個所は,a) 冒頭の段落,そして b)「正々堂々たる〈いまどき〉の虚言」を吐いている段落の,2つだけとする。

 a)「安倍首相は憲法の解釈変更によって集団的自衛権行使を容認し,国の運命にかかわるこの問題を閣議決定という便法で押し通そうとしている」

 「日本帝国主義の植民地支配のもとで計りしれない被害を蒙ったわれわれは,日本が再び『戦争をする国』になろうとするこのような事態に無関心ではいられない」

 補注)このうち,a) の記述にはとくに指摘する点はないが,つぎの b) がいけない。「まったくの虚偽=ウソ」を,まずいことに教条的・妄想的に語っている。意図的に虚偽を混入させていた。

 「そもそも世界最大,最強の軍事力をもつ米軍を攻撃できる国などいまの世界には存在しない。朝鮮,ベトナム,イラク戦争でみられたように侵略戦争を挑発したのはつねに米軍であって,『米軍が攻撃を受けた』から始まった戦争などはない」

 補注)朝鮮戦争は北朝鮮がしかけたという「歴史の事実」は,現在では,韓国・朝鮮史に関する常識的な理解になっている。にもかかわらず,いまだに(2010年時点の話題としてだが)このように,「あの朝鮮戦争を起こしたのはアメリカだ」などといいはり,しかも完全に硬直しきった誤謬をかかえたまま,それでいてどこまでも間違えた歴史認識を誇示しようとするのは, “どうかしている” としか受けとりようがない。

 ベトナム戦争とイラク戦争は指摘のとおりであって,アメリカが策謀をしかけて起こした戦争であった。しかし朝鮮戦争は,金 日成がソ連と中国の支援をえて起こした「北朝鮮による韓国への侵略戦争」であった。

 いまどき(2010年時点の話題としてだが),この「歴史の事実」を観念的に転倒させた虚偽の主張を堂々と吐ける「歪曲の精神」は,完全に倒錯しきった観念イデオロギーの介在を示唆している。

 b) ただし,白 宗元がつぎのように指摘する点は当たっている。

 米国は韓日関係の改善を焦っているが,朝鮮有事に米軍の身代わりに韓国軍と自衛隊を前面に立たせ,軍事費も負担させるためであって,「韓日友好親善」のためではけっしてない。

 日本は明治以来,武力をもってアジアの国々に対してきた。日本軍国主義は70年ほど威勢を振るったが,結局,敗戦という破局で終末を告げた。いまの東アジアで武力による対決では何事も解決できない。平和こそ貴重である。

 日本の繁栄と発展をもたらした平和憲法はそれを実証している。(引用終わり)

 --とはいっても,日本国の平和憲法を買いかぶらないほうが懸命な判断である。というのは,在日米軍基地という臨戦態勢のための軍事体制が,日本という国のなかに嵌めこまれている基盤があってこそ,しかも「天皇制度」との抱きあわせになった全体構造としてそれが成立されてきたからこそ,これまでにおける「日本の政治体制」としての「平和な国家体制」が,なんとか表面的にはまがりなりでも維持されてきたし,ただそのように仮想されえていたに過ぎない。

 ところが,「暗愚と無恥」の権化であった安倍晋三は,2015年秋から2016年春にかけて,米日安全関連法体制を公布・施行した。その結果,この日本における軍事事情は一段と変質させられ,日本国憲法の仮構性(仮面:メッキ)も完全にといってほど剥がされてしまい,その地も露骨に晒されるに至った。

 ただし,米軍が日本や韓国に分担させようとしている軍事的な役割というものは,「朝鮮有事」だけを想定しているのではなく,全世界的視野のもとでの「軍事的な分担」である。その点でいえば,ここで紹介した白 宗元の意見はいまから5〔13〕年前の発言だとしても,国際政治に関する認識に大きなズレを残したままであった。要は,もはや通用しない時代認識を披露していた。  

 補注)最近(2023年6月時点のこと)における日本の軍事費(防衛予算)は,アメリカ政府から調達する兵器・武器を念頭に置き,問題にしている。現在の日本政府は,アメリカ政府の言い値でもって現に,それらを半強制的に買わされている。当然,非常に高い価格になっている。

つまり,アメリカにおいては,同盟国などに対し政府が企業に代わって交渉をおこなって武器の取引をする対外武器売却(FMS),民間企業と外国政府が直接売買契約をおこなう直接商業売却(DCS)といった枠組みがある。だが,日本は前者によってアメリカ政府の言い値で非常に高い価格で兵器・武器を購入しており,相当な無駄遣いを強いられたかっこうで,国家軍事費の支出をつづけている。

 その事実は,安倍晋三が首相のときトランプに強要されてはじまっていたが,アメリカの大統領がバイデンになって最近いわく,日本の首相が岸田文雄に替わってから「私が3度ほど念押しし,日本の軍事費の使い方を確認し,指示しなおした」という趣旨の発言をしたと報道されていた。

【参考記事】

 そのアメリカ大統領としてのバイデンの発言は,たとえば上掲の記事に解説が出ている。すでにマダラ呆け症状が出ているこの大統領が,うっかりではなく寝ぼけてだと思われるが,アメリカ政府が日本政府に「うちの兵器・武器はこの値段で買えよな,これはアベのときに約束してあったから,違えるなよ……」という案配なのであった。

 いまの日本,軍事費を2023年度から5年間で倍増させる,GDP比2%にまで増やすといっているが,国民・市民・庶民の生活はそれどころではない。欧米風にいえば「パンやバター」でさえ満足に買えない人びとが大勢いる自国になっているのに,この日本がアメリカには「兵器・武器の爆買い」をおこない,いわば大判振る舞いしている。

軍事費倍増,なんのため?
軍事費だけは世界で1流の大きさ

 すなわち日本政府は,アメリカ軍事産業が製造して政府に提供している兵器・武器を,その定価の2倍,3倍の値段で買わされている。しかし,軍事費の金額が増大させて,その中身に問題がありすぎた。まともな防衛予算には貢献しえない方途で,宗主国のいいなりに軍事費を膨張させているだけ……。

2023年度から5年間で軍事費2倍というデタラメ
財源はどこから

 安倍晋三が死んで,そして菅 義偉が首相を辞めたあと岸田文雄が首相になったところで,アメリカ側にとてみればそれくらいオイシイ話であったので,国務長官などを早速,日本によこし,「日本はこの対外武器売却(FMS)の約束があった事実をを忘れるなよ」と釘を刺していた。

 日本の国民・市民・庶民の生活などどうでもいいのが,安倍晋三や岸田文雄の為政であった。「対米服属・上下関係」が骨の髄までしみこんでいる「この国家の悲哀」は,尽きるところがないのか。前段でふれた「沖縄メッセージ」の件は,いまもなお強い呪縛となっており,この国に対してアメリカがほどこした手かせ・足かせに,実質ありつづけた。

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