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橋下 徹大阪市長の単なる脱線気味の過激発言,オマエのうちのトイレが汚くて臭いから,うちの便所も汚くて臭いのは当然,といった風の屁理屈

 ※-1「橋下 徹氏への名誉毀損認めず,大阪地裁 れいわ大石氏の記事巡り」『毎日新聞』 2024/1/31 14:04,最終更新 1/31 18:57,https://mainichi.jp/articles/20240130/k00/00m/040/311000c 

 a) 日本維新の会を創設した橋下 徹・元大阪府知事が,れいわ新選組・大石晃子共同代表(衆院議員)へのインタビュー記事で名誉を毀損されたとして,記事を掲載した『日刊現代』(東京〔なお通称は『日刊ゲンダイ』〕)と大石氏に計300万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が〔1月〕31日,大阪地裁であった。小川嘉基裁判長は「大石氏の発言は真実であり,不法行為は成立しない」として請求を棄却した。

 判決によると,『日刊現代』は2021年12月,政治家時代の橋下氏の報道対応について大石氏が「気に入らないマスコミをしばき,気に入らない記者は袋だたきにする」「あめとムチでマスコミをDV(ドメスティックバイオレンス)して服従させていた」と話すインタビュー記事を「日刊ゲンダイデジタル」などに掲載した。

 補注)当該の記事はこれ。⇒ 「『日曜討論』で糾弾したれいわ・大石あきこ議員を直撃 吉村府政の問題点とやり口,岸田政権どう見る?」『日刊ゲンダイ』2021/12/17,https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/298855

〔記事に戻る→〕 小川裁判長は,橋下氏がみずからの意に沿わない報道や質問をした記者を繰り返し批判し,取材を受けない可能性を示唆していたと指摘。「大石氏の発言は橋下氏の社会的評価を低下させる」としつつ,「重要な部分について真実であり,意見や論評の域を出ないため,違法性を欠く」と結論付けた。

 橋下氏は2015年に政界を引退し,現在は弁護士やコメンテーターとして活動している。 

 大石氏は元〔大阪〕府職員。職員時代の2008年,給与削減など公務員改革を進めようとする当時の橋下知事に対し,「あなたは労働者をバラバラにするようなことばかりいっている」と面前で抗議したことでしられる。

 判決後,大石氏は「首長は自分のやってきたことを検証されるのは当たりまえ。橋下さんには真摯(しんし)に受け止めてもらいたい」とし,橋下氏の事務所は「コメントは出さない」としている。【安元久美子】(引用終わり)

 b) ところで,いまからだと10年ほど前に発生していたつぎのごとき話題があった。

 それまで,意欲的にドキュメンタリーものの作品を制作・出版してきた,ジャーナリストでノンフィクション作家佐野眞一(1947年1月29日~2022年9月26日,1997年に大宅壮一ノンフィクション賞,2009年に第31回講談社ノンフィクション賞を受賞,代表作として『東電OL殺人事件』)が,つぎの『週刊金曜日』のネット記事が間接的にでも触れていたある事件を起こしたことを,まだ記憶している人は大勢いるはずである。

『週刊金曜日』2013年2月26日

 『週刊朝日』2012年10月26日号は,佐野眞一〔と週刊朝日取材班の今西憲之と村岡正浩〕が執筆するた「ハシシタ・奴の本性」という “橋下 徹関係の記事” を,連載記事として開始していた。

『週刊朝日』2013年10月26日号表紙

 この連載記事は,橋下 徹が被差別部落地域の出自をもつ事実を,差別的な視点から露骨に報道した。佐野はこの1件を契機に,自身の評判を「いちじるしく損価する体験」を「味わされていく境遇」に追いこまれていった。

 c) そのあたりの佐野がたどってきた人生経路は,ウィキペディアがつぎのように解説している。以下は年譜的に箇条書きした説明となる。佐野眞一が63歳になった2010年からとりあげる。

 2010年 心臓のバイパス手術を受けた。

 2012年 『週刊朝日』による橋下 徹特集記事問題が起こる。2012年10月26日号の佐野と週刊朝日取材班(今西憲之・村岡正浩)による「ハシシタ・奴の本性」という連載記事が問題となった。

 〔しかも〕この橋下事件をきっかけに,佐野による数々の剽窃行為が明るみに出され,溝口 敦・荒井香織『 大手出版社が沈黙しつづける盗用・剽窃問題の真相』2013年4月,宝島社のなかで,盗用問題の詳細が検証された。

宝島 NonfictionBooks の1冊

 また,溝口は佐野からの直筆の詫び状をインターネットで公開している。この問題を受けて,佐野は石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム賞と開高健ノンフィクション賞の選考委員を辞任し,レギュラーの仕事もすべて休載とした。

 2013年7月31日,著作権を侵害されたとして,日隈威徳(ひぐま・たけのり,作家)から訴訟を起こされたが,2014年10月16日に和解が成立した。

 2015年2月18日,橋下 徹に対して「タイトルをはじめ記事全体が差別的で,深くおわびする」との「おわび文」を渡し,解決金を支払うことで,大阪地方裁判所において和解が成立した。

 2022年9月26日,肺がんのため千葉県流山市の病院で死去。75歳没。

 さて,以上のごとき佐野眞一との関係を挙げて橋下 徹に言及してみたのは,対・佐野眞一における橋下 徹の「圧倒的に優位であった自己の立場」が,大石晃子衆議院議員との「対決の舞台ではまったく通用しなかった」という出来事が生じていた事実に注目するからであった。

 というよりも,橋下 徹は「佐野眞一から受けた自分への仕打ち」が発生したさいは,佐野に対しては圧倒的に優勢となった立場から思いどおりに発言できていたものの,「対・大石晃子に対する今回の件」では,まるで自分が佐野眞一のかつてに近い立場に移動したかのような光景にならざるをえなかった。橋下は,そうした立体的な構図関係,立ち位置の変化を,第3者に対して,みずから明瞭に指示したことになった。

 d) ふだんから,橋下 徹の人間としての言動・態度は,誰が見聞きしたところで,驕慢かつ専断のそれに映るしかないものが多かった。

 ただし,あの単細胞のネトウヨ的な「在日特権を許さない市民の会」の元会長,櫻井 誠(これは通名で本名は高田 誠)との対話場面でみせた橋下の態度は,本ブログ筆者からみた感想ではひとまずまともであった。というか,櫻井のほうがあまりにもひどすぎた「人間差別の暴言を吐く態度」に対して,橋下はそれをたしなめるような発言をしていた。

 つぎのユーチューブ動画サイトはそのときの録画である。9年前に公開された動画だと付記されている(ので,2015年ころか)。

  
 今回,『毎日新聞』が2024年1月31日に報道した記事の見出しは「橋下 徹氏への名誉毀損認めず,大阪地裁 れいわ大石氏の記事巡り」であったが,この裁判所の判断は,橋下に特有でありつづけているその驕慢さに対してならば,間違いなく頂門の一針を意味したことになる。

 e) 前掲した本,溝口 敦・荒井香織『 大手出版社が沈黙しつづける盗用・剽窃問題の真相』2013年4月,宝島社は,販売用の宣伝文句であったが,つぎのように訴えていた。この記述にとって大いに参考になる内容だみなし,以下に引用しておく。

 いま,ひとりの「カリスマ」が,業界構造の頂点から転げ落ちようとしている。カリスマの名前は佐野眞一氏。近年では書籍『あんぽん 孫正義伝』が,十数万部も売れたベストセラー作家にして,大宅賞作家だ。

 人は彼のことを「ノンフィクション界の巨人」と呼ぶ。しかし「巨人」は「虚人」だったことが,2012年10月に起きた佐野氏による『週刊朝日』の連載記事「ハシシタ 奴の本性」の人権侵害問題を契機に,いみじくもバレてしまった。

 実は「ハシシタ 奴の本性」が表のメディアで騒動となっていたのと同時期,佐野氏のかつての仕事仲間,猪瀬直樹・現東京都知事のツイートをきっかけに,27年間にもわたる「盗用・剽窃」行為が,ネットメディアの精緻な調査によってつぎつぎと暴かれた。

 ネット発,前代未聞の「大量盗用スキャンダル報道」に,大手週刊誌も追従するものと期待された。しかし……一部の報道を除けば,いまだにこの一件は黙殺されている。

 本書は27年前に佐野氏から盗用の被害を受けたノンフィクションライター溝口 敦氏の発案によって誕生した。

 佐野氏は「ハシシタ 奴の本性」問題,さらには『ガジェット通信』荒井香織記者の追及に対して,『週刊ポスト』『創』誌上で釈明文を公表してきた。佐野作品を「商品」として頒布する版元は,この釈明文によって「禊(みそぎ)」とする腹積もりのようだが,だからといって27年間にわたる盗用行為に “恩赦” が与えられる道理はない。

 本書では,出版界内部からの自浄作用を促すことを目的に,佐野作品に発覚した140件以上の盗用・剽窃箇所(ネットメディアではまだ指摘されていない盗用を多数発掘)および,その疑惑をすべて公開するとともに,佐野氏の釈明がいかに欺瞞に満ちたものなのか,徹頭徹尾,指弾する。

 溝口 敦氏の切れ味するどい批判論考を中心に,佐野取材班として活動してきたジャーナリストの安田浩一氏・今西憲之氏 × 断筆派のジャーナリスト西岡研介氏の激論座談会,佐野ブランドが週刊誌ジャーナリズムの「てっぺん野郎」に上りつめた業界構造の解析,盗用被害者の手記,告白,そして新たに発見された「無断引用」への佐野氏の詫び状公開など,内容は盛りだくさん。

 全出版人,マスコミ関係者,取次ぎ,書店関係者,そしてなによりも「佐野文学ファン」必読の書! 読者はこうして27年間,欺かれてきた!

溝口・荒井『 大手出版社が沈黙しつづける盗用・剽窃問題の真相』2013年4月

  

 ※-2 2014年8月9日だったからほぼ10年前の橋下 徹「風」の言論のその特徴に浮上していた素人的な発言

 以下の記述は,本ブログ筆者が2014年8月9日に書いて,公表していた橋下 徹に関する一文であった。これを,本日の2024年2月2日という日付になって再公表するのは,こういう理由があった。

 ※-1で紹介したごとき,橋下 徹と大石晃子衆議院議員との係争ごとがとりあえず決着をみた件を踏まえてとなるが,橋下の出自だとか弁護士業従事者だとかいった属性を超えた次元で,この橋下の言論「活動」のありようを吟味してみたくなったからである。

 ともかくも,その後10年近くも時間が経ったいまごろだが,これまでしまいこんであった文章を,本日の記述として,つぎの※-2において復活・再生させることになったしだいである。

 その2014年8月9日に本ブログ筆者が叙述した文章の題目は「橋下 徹大阪市長の単なる脱線・調子の過激,オマエのうちのトイレも汚いから,うちの便所が汚いのは当然,といった風の屁理屈」というふうに,当時大阪市長であった徹君が,変に臭ってしかたがなかった,ド・ヘリクツ的な論法を駆使していた弁論を,つぎの副題を付して吟味することになっていた。

   強盗も殺人もどこの国にでもある。
      だから,おたがいの国におけるそのことを
  〈いいあうのはよそうよ〉〈みすごしてもいいじゃないか〉
     というごとき「超絶の倫理」と「飛躍の論理」


 ※-3『産経新聞』が,ネトウヨ・レベル風に,いつもの論調でとりあげた橋下 徹という政治家

 産経新聞のウェブ版 https://www.sankei.com/west/ (なおこの住所は,ここではひとまず2024年2月現在のものであって,2014年当時のものとは異なる。当時の住所は後段の引用中で引用元として表記されている)が,

 『朝日新聞』が2014年8月5日と6日に特集した従軍慰安婦問題記事に対して,橋下 徹大阪市長が猛然と噛みついている様子を,盛んに伝えていた。『産経新聞』のなかには,関連の記事がいくつも報道されているが,ここでは,つぎの記事を紹介する。

  ★「『言い訳じみている。罪大きすぎる』橋下市長,
              朝日の慰安婦検証記事を厳しく批判」★

      =『産経新聞』[west 政治] 2014.8.6 13:19 =

 朝日新聞が掲載した同紙の慰安婦報道の検証記事をめぐり,橋下 徹大阪市長は8月6日,「(誤報から)32年間,過ちを認めなかった朝日新聞が白旗をあげたが,言い訳じみている」と批判した。

〔橋下 徹は〕「朝日新聞の罪は大きすぎる。ここで収束させてはダメだ」とも述べ,朝日みずからが慰安婦報道が国際社会に与えた影響などについて,さらに検証していくべきだとする見解を示した。

『産経新聞』[west 政治]2014年8月6日

 『国連を焚きつけた “国賊” ひどさ……32年後やっと削除』だと,橋下は当時の10年前なりに猛烈に,朝日新聞社をやっつけているつもりであった。

 補注)「国賊」呼ばわりするところが橋下らしい。品性と品格の配慮とは別次元でのいいっぷりである。

 補注)この国賊ということばは,安倍晋三の第2次政権になってからというもの,むしろ安倍晋三側=橋下 徹に対してこそ,適合マークを着けておくのにぴったりな世の中に変貌してきた。

 安倍晋三の為政は完全に失敗・失策・失政に終始していた。日本をいまとなっては「衰退途上国」に押しこめる顛末を招来させていた。だから,このごろはあまり使いたくないことば「国賊」という用語が,安倍晋三に対しててならば当然に充てられ,かつ平然と語られるようにもなった。

亡国+国賊に昇格していた安倍晋三君

 上の画像資料は橫田 一が2023年1月に公刊した安倍晋三批判本であったが,この橫田はすでに『亡国の首相 安倍晋三』七つ森書館,2016年2月を公刊していたから,安倍晋三の「世襲3代目の政治屋」としての格づけは確実に昇格させられていた。

 さらにその間の2020年4月には,適菜 収がつぎの本を公刊していた。適菜は「安倍晋三と仲間たち」のことを「国賊論」の対象にとりあげていた。

安倍晋三1人だけが国賊ではなくて
お仲間がまだまだほかにもいるという指摘

 この手の「世襲3代目の政治屋」の坊やが,岸・某助となんとかいったこれまた某国の手先みたいであったオジイチャンからの系譜に正しく沿ったかたちでもって,この日本国を対米服属国に落としこんできた。

 その安倍晋三君が2014年夏から惹起させた出来事であった。

 それは当時,朝日新聞社を従軍慰安婦問題に引っかけるかたちで(⇒引っかけるのであれば朝日新聞社以外の新聞社すべても同じに,その問題に関しては誤報を犯していたにもかかわらず),ひたすら『朝日新聞』だけ憎しの,つまり「アサヒがー」の要領で大声でわめきながら,旧大日本帝国陸海軍にあっては従軍慰安婦など存在しなかったと,事実無根の「虚無的な否定論」を世間に流布させようとした1件が,世間を騒がせることになった。

2024年は元日から能登半島地震に見舞われた日本国である
安倍晋三は亡き人になっていたが
地震災害を受けた被災者の人たちは岸田文雄という
やはり「世襲3代目の政治屋」のせいでまともに救済されないまま
悲歎させられる目に遭っている

 安倍晋三に対しては,上のような画像が作成され世間のなかに流通していたが,すでにこの「国辱」の範疇には収まりきらない「国賊」といった「アベに対する規定」が,第2次政権の途中からは登場していたわけである。

 ここで,前段で引用した『産経新聞』の記事に戻ろう。

 こうもいっていた。--朝日は過去に何度もとりあげた自称・元山口県労務報国会下関支部動員部長,吉田清治氏の「慰安婦を強制連行した」との証言について虚偽と認め,記事をとり消した。

 橋下氏は国連人権委員会に提出され,慰安婦を「性奴隷」と認定した「クマラスワミ報告」が吉田証言を引用していることを指摘。「朝日の報道によって国連の人権委員会がたきつけられた」と指弾した。

 また,吉田証言を報じて32年が経過した今年になって,朝日が「強制連行」があったとしていた韓国の済州島で再調査していたことについては「やっと取材するなんて,ひどすぎる。どこまで日本を侮辱し続けるのか」と憤った。

 橋下氏は昨〔2013〕年5月,慰安婦について「(第2次世界大戦)当時は世界各国の軍が必要としていた」と発言。世界各国が反省すべきだとし,「日本だけが批判を受けるのはアンフェア」と主張している。

 註記)以上,http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140806/waf14080613190020-n1.htm と http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140806/waf14080613190020-n2.htm からの引用であったが,現在はこの住所を『産経新聞』は使用していない。

 ところで,橋下 徹は従軍慰安婦は必要悪だという口調であった。必要なら悪でも認めて当然とでもいいたげな口つきが問題である。この点はのちに具体的に批判する。

 橋下の文句はいちいち,従軍慰安婦問題の概論をイチから勉強したうえで発言しているようには聞こえない。

 結局,無手勝流なのであり,オレは弁護士なのだからなににでも発言できるという驕慢さだけが,垂れ流し的にお漏らしでもされたように伝わってくる,そのさい「彼一流のトコトン,セミプロ的な話法」が顕著であった。

 

 ※-4 政治家から弁護士には戻らない(戻れない)橋下の行く末

 以上,橋下 徹の朝日新聞社攻撃はたしかに,一理ある批判の内容になってはいた。もちろんのこと,橋下はそのさい一発,大きな打ちあげ花火を華々しく放ちかったのである。

 a) ところで,2014年6月22日であったが,それまでの「橋下の政治グループ」と「石原慎太郎の政治グループ」が分・解党し,同年7月31日に「政治団体解散届」を総務大臣に提出し,正式に解党していた。このうち橋下グループは,旧「日本維新の会」の党名を引きついだ暫定的な新党「日本維新の会」を発足させたという。

〔本文に戻る→〕 橋下の率いる政党は,一時期の隆盛とは打ってかわって冴えない動静にある。そこで当時,朝日新聞社の「特集記事準軍慰安婦問題」に難癖をつけて突破口を開こうとしていた。自分の党をもう一度盛り上げるために,この問題を奇貨とし,朝日新聞社などを攻撃目標に定め,猛然と襲いかかる意図があったかのようにみえた。

 補注)その後,2024年2月の現時点まで日本維新の会,この「第2自民党」だと自称してなんらはばからない似非野党は,立憲民主党を世論調査の支持率では上回るほどの勢いをみせていたが,

 大阪万博(関西万博)といった時代遅れの巨大行事を能登半島地震が発生し,現地では甚大な被害をこうむっているにもかかわらず,その開催にこぎつけたいとする欲望をまだ抱いている事実が,有権者側にはそろそろ見抜かれた最近になると,もういいかげんその支持率が下降線に向かいそうな雲行きになってきた。

 それこそ19世紀的な巨大博覧会をいまどきのこの国で開催して,いったいなんのためになるのか。政治家たちが施工業者たちと組んでその予算を中抜きする操作(いわゆる「公金のチューチュー」と表現されるそれ)にしか関心がないくせに,

 「衰退途上国」に転落させられた自国民たち,各市民たち,ちまたの庶民たちの日常生活水準の維持・向上には,まったく関心がない,ろくでもない政治屋ばかりが,この日本列島を徘徊しつづけている。

 b) ところで,橋下は10年前の2014年3月13日,産経新聞のウェブ版によれば「橋下氏が朝日新聞出版提訴 出自記事,新潮〔社〕と文春〔文藝春秋〕も」(http://sankei.jp.msn.com/west/ 2014.3.13 08:29)という行為に出ていた。部落差別問題,それも自身の出自にかかわって発生していた差別問題に関して,彼はその3社を提訴していたのである。

 橋下の批判を聞いていると,要は「目くそ・鼻くそ」の非難合戦にも聞こえる要素が絡んでいる。とくに従軍慰安婦についてとなると,強制「性」の問題と世界各国に共通していた問題との2点が注目されている。

 橋下はとりわけ,従軍慰安婦問題に強制性はなかったと強弁している。だが,これは完全にミスである。強制という論点を,狭義と広義とに分類する・しないとにかかわらず,強制「性」はあった。その分類は問題じたいを否定するためのトリックであった。この争点については,本ブログの他の記述で説明している問題なので,ここでは詳論しない。

 橋下は弁護士だから「ケンカ」の仕方はしっている。

 被差別部落地域に関連しては過去に,なかでも関西地区でただに「政治的だったと形容するほかなかった勢力」が形成されていた。けれども,この特定の人的集団関係はいまでは存在できていない。すなわち,だいぶ以前のように,いうなれば部落関連の利権的なうまみに救う特定の社会集団は存在しにくくなっている。

 補注)関連する文献として,角岡伸彦『ピストルと荊冠-〈被差別〉と〈暴力〉で大阪を背負った男・小西邦彦-』講談社,2012年10月がある。この本は被差別部落出身者が著者であったが,なるべく問題を客体的に観察しようとする努力のもとに執筆されていた。

〔本文に戻る→〕 しかし,部落差別に相当する言論活動が,朝日新聞社の出版事業(これは『週刊朝日』2012年10月26日号のこと)や新潮社,文藝春秋に生じていた事実を感知,捕捉した橋下 徹は,それにくわえて,とりわけ朝日新聞社の場合は当人がその記事にとりあげられ,しかも重大な問題にならざるをえない事情が発生していたからには,このときとばかり大いに攻勢に出ていたわけである。

 そこで橋下 徹は,このたび(2014年夏)において発生していた『朝日新聞』「慰安婦問題特集記事」にかかわる問題については,自分なりにもとりくみ,利用しようとする意欲を,それも得意満々に示していた。もっとも,橋下が記録した言動はある意味で,そのころにおける「日本の政治のもろさと浅さと移ろいやすさ」を,人間・個性の次元からも端的に反映させていたことも確かであった。

 c) 思えば,安倍晋三だけでなく,麻生太郎のような自民党政治家にとって現状(とくに朝日新聞社関係の「従軍慰安婦問題」をめぐる以上の動き)は,歓迎すべき政治の流れのひとつだったといえるかもしれない……。

 しかし,そこには日本の民主主義の未完性どころか形成不全「症」が色濃く表現されていた。結局,大日本帝国が敗戦したのちに「押しつけられた民主主義」は,うまく発育できなかったのか?

 象徴天皇制も,敗戦後的な「その」「押しつけの成果(精華)」であったに過ぎなかったのか? この記述が改訂版として更新されたこの2024年2月は,すでに平成の天皇「明仁」ではなく,令和の天皇「徳仁」が在位している時期になった。

 徳仁のオジイチャンの時代に発生していた従軍慰安婦問題,この歴史の記憶について昭和の天皇「裕仁」がなにか発言をしたことはない。この裕仁を大元帥として戴いていた将兵たちが戦地・戦場で利用したはずの「慰安所」は,従軍の施設として,旧日本軍あるところにはほとんど設営されていたゆえ,彼がその事実をしらなかったという事情なども,またありえない。

 d) また裕仁の末弟,三笠宮も中国戦線に派兵されていたものの,1944年中には帰国していた。

 「昭和天皇末弟 三笠宮崇仁さま伝記 軍人として南京へ 戦後は歴史研究 フォークダンス普及も 平和願い 人々と共に」『東京新聞』2023年3月2日 02時00分,https://www.tokyo-np.co.jp/article/232972 は,三笠宮の軍歴について,こう言及していた。

 〔19〕35(昭和10)年に三笠宮家を創立。中国派遣軍総司令部参謀として,〔19〕43年に中国・南京に派遣された。泥沼化した日中戦争を解決する道を探ったが,日本軍の残虐行為をしり衝撃を受ける。
 
 〔19〕44年に帰国する前に総司令部の幹部たちにおこなった講話は「支那事変に対する日本人としての内省」という文書になった。「現在日本人,とくに軍人に欠如してゐるものは『内省』と『謙譲』」と軍部を批判する内容だった。
 
 戦後,自著で中国での1年間について「わたくしの信念が根底から揺りうごかされたのは,実にこの1年間であった。いわば『聖戦』というものの実体に驚きはてたのである」と振り返っている。

『東京新聞』2023年3月2日

 三笠宮が従軍慰安婦の事実をしらなかったとは,とうてい思えない。だが,彼は自著のなかでこの慰安婦の問題に触れることはなかった。しょせん,コップのなかでの語り口に過ぎず,そこからあふれ出させる水は一滴もなかった。

 なにせ,「長兄が帝国日本の大元帥となって遂行してきて,結局,敗北した」大東亜の聖戦であった。

 三笠宮に対してとくに陸軍の高級将校のなかには,余計なことをいいやがってという反応を,正直にかつ露骨に吐露する者たちもいた事実を見逃すわけにはいかない。

 三笠宮は「『聖戦』というものの実体に驚きはてた」と正直に,その聖戦の実態を語ってはいたけれども,その聖戦が実兄・長男の『聖断』によってもまた「ひとまず終了することができた」ことになっていたからには,その「聖」という漢字にまとわりついていた矛盾相は,彼にとっては口出しも手出しもできない異相の次元にあったのである。

 最後に一言。やはり「世襲3代目の政治屋」でいまや時代遅れもはなはなだしい政治精神の持ち主である麻生太郎は以前,野中広務(被差別部落地域の出自をもつ政治家であった)へ放った差別発言でも判るように,部落差別など当然と思いこんできた政治家である。

 太郎は,ある選挙運動期間中の演説での発言であったが,その第一声が「下々の皆さん」というものであった。いまだにこの日本は「聖と賤」の取りあわせを,どうしても不可欠にしておきた人間群が存在しているのか?

 もっとも,このごろの日本においては,上級市民と下級市民とが,また別個に存在するそうな……。天皇家・皇族たちの実在とにくわえてだが,そのような国民たち内部での階層分化が,規定の事実と化しつつあるとのことであった。

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 付記)この橫田 一の本は,なぜか,表紙カバー画像が出ておらず,上のような画像に変えられている。なお,本文中にこの橫田の本の画像は出してあった。


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