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経営学説史という専門領域の学問的な認識が明解でないまま「学史」を語る「経営学の立場」に固有の問題

 本記述は,岸田民樹・田中政光『経営学史』有斐閣,2009年に対する書評的な吟味として,「経営学説史という専門領域」の学問的な認識が,そもそも基本からして明解でないまま「学史」を語る立場が,どうしてもかかえざるをえない問題を議論してみたい。

 本記述は最初,2009年12月6日に公表され,その後20207月3日に更新されていた。その後はしばらく未公開状態にあったが,本日あらためて,必要な改訂作業もくわえ再公開してみることにした。

 本記述がもっとも関心を抱いているのは,初めからどうも「意味が分からりえない経営学説史という用語」が使用されていたという点であった。以下に議論する問題はさきに,つぎの要点として記載しておきたい。

 要点:1 なにかを語っていても,実は,なにも語らぬ経営学者の独言

 要点:2 岸田民樹・田中政光『経営学説史』有斐閣,2009年7月の学説史的な意味はどこにみいだせるのか
 

 ※-1 経営学者の歴史的意識-その問題前提の設営がない-

 本ブログは「より早くは2009年9月13日」の時点で,岸田民樹・田中政光『経営学説史』有斐閣,2009年7月をとりあげ議論したことがあった。そのさい「経営学の歴史的な研究部門とは」という題目を立て,岸田・田中の同書に対して「組織・人間の問題が,経営学のすべてか?」と問いかけてみた。

 有斐閣が毎月発行している宣伝冊子『書斎の窓』2009年12月号(№ 590)に「経営学・経営史・経営学史-『経営学説史』を刊行して-岸田民樹」が寄稿されていた。その文章は,有斐閣が自社販売の刊行物に関する解説などを,それも著者に書かせる文章だから,もちろん宣伝の役目が前面に出るほかない稿文である。

 しかし,本ブログの筆者が2009年9月13日--この記述のなかでは※-3以下におさめてある記述)において指摘した基本的な問題点を,さらに深刻に感じさせるような記述に,『書斎の窓』2009年12月号のなかに読みとったがゆえ,いささかならず落胆・失望の感を重ねる仕儀とあいなった。

 そのとき筆者は,こういった。

 要するに,岸田・田中『経営学説史』は,いいところで「組織理論史」の範囲・領域ぐらいしか押さえていないのに,「経営学説史」という過大な名称そのものを付していた。この点で判断すれば,その入れ物にはまだ収められていない重要な論点が残っているというほかない,と。

 著作の名称だから大きめの題名を付けるのもいい。だが,それが単なる大風呂敷になってはまずい。さらにいえば,たとえ,岸田・田中『経営学説史』が大風呂敷でありえても,これでは,ともかく中身が相当に不足した〈風呂敷包み〉の体裁になっていた。

 ところが,『書斎の窓』に今回,寄稿をした『経営学説史』著者の1人,岸田民樹は「あらためてつぎの2点の必要性を感じている」と述べていた。

 「第1に,経営という現実の事象の展開を軸として,経営学の理論,経営史,経営学(説)史の関係の中で,理論と歴史の相互作用を考える必要がある。マルクスやヴィーコのような理論的な歴史でも,淡々とした日常の積み重ねとしての歴史でもなく,理論と歴史の相互作用を認めることが必要である」

 「第2に経営学史は,過去の理論から,なぜどのような経緯で現在の理論が生じたかを,一定の明確な枠組みのなかで展開することが,今後ますます不可欠となる」(56頁)。

 以上の2点,表現されている核心は申し分のない主張であった。だが,このことばどおりに,著作『経営学説史』が制作されていたとはいえない。この点をめぐりいくらか議論をしてみたい。
 

 ※-2 先行研究を十分に考慮・精査・克服したのか?

 本ブログの筆者が問いかけた要点は,「環境-組織-人間が,経営学説史を捉える枠組みである」(『書斎の窓』56頁)といった岸田・田中『経営学説史』に関してだが,なぜ,経営学研究の歴史的な理論部門であるこの「経営学〔説〕史」においてこそ,とくに「環境-組織-人間」がその枠組になりうるのか,まだその説明に疑問というか,不足がめだっていた。

 岸田・田中が研究するという「環境-組織-人間」を踏まえた「経営学〔説〕史」研究ではなく,経営を研究する課題の総領域にかかわるはずの「経営学〔説〕史」に関する議論が,すでにあれこれなされている。これについては,何人もの日本の経営学者たちによってその研究成果が示されている。

 にもかかわらず,それらをほとんど視圏に入れないで独自に「経営学説史」の立場を提唱している。これでは,同じ日本の経営学界に生息し活動する研究者同士において期待できるはずの,理論的な相乗効果が積極的に発揮できない。

 経営学史学会という比較的小規模の研究学会がある。岸田も田中もこの学会成員である。この学会に所属する経営学研究者たちが,岸田・田中『経営学説史』の地平をはるかに超え出て,それなりに有益な「経営理論の歴史的研究」のための議論を蓄積してきていた。

 残念ながら,こちらの研究成果・先行業績が,岸田と田中のこの共著において直接活かされていなかった。この事実は単なる疑問の域を出て,研究者の研究姿勢じたいに関した疑問をも惹起させる。

 経済学の領域では,経済学史研究が経済思想史という別名の相棒も立てて研究されている。注意したいのは,「環境-組織-人間」を経営学〔説〕史的に考察していると考えれば,これがただちに経営学〔説〕史研究そのものになるのではない点である。

 同学の士が別途,これまで確実に研鑽・蓄積してきた『経営学〔説〕史研究の方法や内容』が,岸田・田中『経営学説史』に前提され活用されているのかと検めてみたところ,そのような部分がみあたらない。

 先行研究の業績・成果を無視していても,岸田・田中『経営学説史』がそれに匹敵するあるいは凌駕できる〈独創的な経営理論の歴史的視点〉を提示しえていれば,これはこれで十分に敬意を払わねばならない。しかし,いったいなにを新しく「経営学史研究」の方法・内容として開拓したのか,なお根本的な疑問がある。

 岸田・田中『経営学説史』が経営学という学問にとって,もっとも基本的な論点になると考えたらしい「環境-組織-人間」の問題を,経営学者が〈歴史的関連〉において議論すれば,これがすぐに「経営学説史」研究の展開になるわけではない。

 それほど「経営学〔説〕史」の研究視点は単純ではない。結局,先行研究への配慮を欠いた「考察基盤の軽さ」ないしは「その欠如状態」が,ひしひしと迫ってくる著作,それが岸田・田中『経営学説史』であった。

 岸田・田中『経営学説史』が「理論と歴史の相互作用を考える必要」をとなえるのはいい。だが,実際にこの相互作用を「経営学〔説〕史」という看板=書名をかかげられるほどをもって,自著のなかで実質的に「その必要」を議論させていたとはみなしにくい。

 この程度での「理論と歴史の相互作用」であるならば,どの経営学研究書においても必らず一定程度はおこなわれてきた研究の側面であった。だから,岸田・田中『経営学説史』,とりたてて力説するほどには,その「理論と歴史の相互作用」を解説していたとはいえなかった。つまり,その意味で逆にいえば,巷に溢れている経営学研究書はいずれも。それ相応に「理論と歴史の相互作用を考え,議論していた」はずである。

 ※-3 書評:『経営学説史』2009年7月-2009年9月13日執筆-

 この批評で吟味する論点は,つぎの2項目である。   

  ◆「経営学の歴史的な研究部門とは,なにか」
  ◆「組織・人間の問題が,経営学のすべてか?」

 1) 岸田民樹・田中政光『経営学説史』概要

 大学・大学院用を意識したテキスト・シリーズ「有斐閣アルマ」の1冊として,岸田民樹・田中政光『経営学説史』(有斐閣,2009年7月,¥2310)が公刊されていた。

 本書は,B6版の大きさで,本文・索引358頁の本書は,「経営学はこれまで,組織とその中の人間,また組織とそれを取り巻く環境を,どのようなものとしてとらえ,それぞれがいかなる関係にあると考えてきたか。代表的な学説をひもときながら,4つの大きな枠組の中に位置づけ,考え方の本質に迫る」と解説されていた。

 註記)http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4641123691.html 参照。

 本書の内容をしるために主要目次を紹介しておく。なお,さらに細かい「章・節の中身」はここで紹介できないが,すべて経営学者などの諸理論をとりあげ内容的に議論していく展開である。

 たとえば,第1部第1章「作業の合理化」では,テーラー,ガント,ギルブレス,エマーソン,フォードなどがとりあげられる。これと同じ要領で数多くの経営学者の理論が俎上に上る著作である。

プロローグ 協働という行為の組織化に向けて

 第Ⅰ部 静態的構造学派
  第1章 作業の合理化
  第2章 古典的経営管理論と管理原則の導入
  第3章 合理性と官僚制組織

 第Ⅱ部 均衡学派
  第4章 人間性の発見
  第5章 協働体系としての組織
  第6章 認識された制度の役割

 第Ⅲ部 適応的デザイン学派
  第7章 技術と組織構造
  第8章 課業環境と組織プロセス
  第9章 課業と組織デザイン

 第Ⅳ部 進化プロセス学派
  第10章 問題解決を超えて
  第11章 組織の進化理論
  第12章 創発する戦略行動

 経営学説の枠組み

岸田民樹・田中政光『経営学説史』有斐閣,2009年,目次

 著者を紹介する。岸田民樹[キシダ・タミキ,1948年生まれ]は,名古屋大学大学院経済学研究科教授。田中政光[タナカ・マサミツ,1947年生まれ]は,横浜国立大学大学院国際社会科学研究科教授。
 

 ※-4 論評と批判

 1) 時間の経過がそのまま歴史の展開になるのではない

 本書『経営学説史』を一読してすぐ感じとったことは,〈経営学説史〉と銘打つべき作品ではなかった,という1点に尽きる。要は,歴史の順序(時の流れ?)にしたがい論点をとりあげ内容を議論していったら,これがただちに「学説史(学史:理論史)」となるわけではない。

 その研究対象に相応の方法論を考えぬき,それも本質論的に整備された理論的基盤を踏まえ,本書のばあいであれば,経営組織問題をめぐっての「歴史学的方法論」=「経営学の理論に対する歴史的な観点(一定・特定の史観)」が用意されていなければならない。

 ところが,本書の中身は,経営学に関連する組織論・技術論・戦略論各領域の多種多様な学者の学説を,主にただ時間の順序に即して並べた,いいかえれば,そのまま時系列的に配置・編成した構成の内容になっている。

 まず「学説史的にみて」(2頁)とか「進化の過程」(4頁)とかいう文言が,突如出てくる。

 つぎに「表・序-1」(7頁。336頁にも「表・終-1」としてまったく同一のものが配置されている)は, 「合理的モデル」:「自然体系モデル」と「クローズド・システム・アプローチ」:「オープン・システム・アプローチ」とを組みあわせて,4象限での配列を用意し,「静態的構造学派」「均衡学派」「適応的デザイン学派」「進化プロセス学派」という「大枠での4学派」を,そこに充てている。

 本ブログの筆者は「学説は必ずしも年代順にはなっていない」(8頁)という点に同意できるが,それではなぜ「年代順」ではなく「別の基準」も配慮して順序づけられるのかと問わねばならない。それ相応にその判断基準を提示し,議論しておく必要があった。

 本書『経営学説史』はその意味において,理論の年代順の構成づけが,いかにしたら「経営学の歴史的な理論の展開」になったり,あるいは・ときには〈ならなかったり〉するのかに関して,必要かつ十分な事前の検討がなされているようには読みこめなかった。

 学説・理論の特性を分析し,それぞれの時間的な順序・秩序〔ときには前後もするもの〕を整理して,これを1冊の本にまとめて公表すれば,これがそのままで経営学の「学説史」となりうるのか,という基本的な疑問が払拭できなかった。

 2) 類書の吟味

 いまから半世紀前に制作・公刊されていた経営学〔説〕史関係の専門書として,たとえば,岩尾裕純編著『講座経営理論Ⅰ-制度学派の経営学-』『講座経営理論Ⅱ-科学的管理の経営学-』『講座経営理論Ⅲ-マネジメント・サイエンスの経営学-』(中央経済社,1972・1972・1974年)や,経営学研究グループ編『経営学史』(亜紀書房, 1972年)があった。

 たとえばまた,60年以上も以前に公刊された坂本藤良『経営学史』(ダイヤモンド社, 1959年)があった。「経営学説史」だとか「経営学史」だとかいう題名を付けた日本語の経営学書は,いまだそれほど多くは公表されていない。

 だからといって,時間的な順序にしたがい理論的に関連づけがなされているからといって,その諸理論を整列させえた経営学書の中身が,ただちに「学説史」を名乗るという立場(理論の構成方法)は,いささかならず問題含みであった。

 すなわち,学(説)史研究に関係する基本の立場として,そのようにいささか手軽に映るほかない手法でもって,本格的な「経営学説史」の著作がまとめられうるのかという点については,疑問が残る。

 前掲の岩尾裕純編著『講座経営理論Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ』は各巻の冒頭で,それぞれが論究することになった経営学説・理論を総まとめ的に議論し,時代背景も重視した考察を与えてから,本論への記述に進んでいた。

 経営学研究グループ編『経営学史』もわずかな分量ではあっても,「序章 本書の構成について」という前提の議論を設けてから,本論に続けていく構成・内容であった。

 坂本藤良『経営学史』はいきなりアメリカ経営「学史」の議論に入る著書であるが,歴史意識あるいは時代背景との因果関係を踏まえた記述を,本文中において努力していた。

 とくに坂本藤良は60年以上もまえにこの『経営学史』を執筆し,しかも,米・独・英・仏・伊・日本すべてに言及するというぐあいに,当時としてはまれにみる包括的な視野をもって,各国経営学史を,教科書的にも専門論考的にも討究していた。

 以上に言及した岩尾裕純・経営学研究グループおよび坂本藤良の作品は,岸田・田中『経営学説史』がどうしても,歴史的意味あいにおいては羊頭狗肉的に「学説史(学史)」の看板をかかげたのとは異なり,あくまで歴史的な問題意識を忘れていない。

 しかし,岸田・田中『経営学説史』においてはとりあげる研究対象が,経営学の領域内での組織・技術・戦略に限定していたにもかかわらず,この「経営学説史」という〈誇大宣伝にも映る看板〉をとりつけていた。

 3) 僣称としての〈学説史〉という命名

 岸田・田中『経営学説史』はせいぜい「経営組織論史」「経営管理論史」などと,各論領域に留まる名称であれば,これで十分であったはずである。ところが,経営学の歴史研究部門の名称じたいである「経営学説史」と銘打ってしまったとなれば,その中身の広角的な充実度に期待したかった者からすると〈大きな不満〉を抱かされた。

 経営学史学会編『経営学史事典』(文眞堂,2002年,第2版 2012年)をひもとけばすぐみえてくるように,「組織の理論」(同書,94-110頁)でとりあげられている中身が,岸田・田中『経営学説史』の内容物に相当する。

 その『事典』はもちろん冒頭部分で「経営学史研究の意義と方法」を考察している。だが,岸田・田中『経営学説史』は,「組織の理論」に対する「学説史」的な研究視点が,いったいどのような〈歴史的な観点〉をもってとりあげられるべきなのか,あるいはとりあげているつもりなのか,真正面からする的確な説明を与えていなかった。

 要するに岸田・田中『経営学説史』は,いいところ「組織理論史」程度でしかなかったのに,「経営学説史」(「経営学史」も同じとして)という過大な名称そのものを付していた。この点で,その容れ物にはまだ収められていない重要な論点が残っているというほかない。

 意図としては大きめの題名を付けるのもいいが,ただの大風呂敷になってはまずい。たとえ,岸田・田中『経営学説史』が大風呂敷でありえても,これでは中身が決定的に不足した,小さめの〈風呂敷〉になっていた。

 坂本藤良『経営学史』は本文の末尾で,「今日の日本経営学について,いま,それを学説史的に確定することは,はなはだ危険である。それは,アメリカおよび欧州をみるばあいと比べて,はるかに,客観視することが困難だからである」(同書,313頁)と危惧していた。

 岸田・田中『経営学説史』は,主にアメリカ経営学に関する組織理論研究ではあっても,正直な感想としていうと,それを歴史的な観点から「客観視することが困難」であったかのようにみうけられた。

 4) 既存・所与の経営学史研究書

 以下に,これまで「経営学〔説〕史」研究のなんたるかを強く意識していた公刊されていた著作を,紹介しておきたい。

  池内信行『経営経済学史』理想社,昭和24年。
  牛尾真造『経営学説史』日本評論新社, 昭和31年。
  山本安次郎『日本経営学五十年-回顧と展望-』東洋経済新報社,昭和52年。
  裴 富吉『日本経営思想史-戦時体制期の経営学-』マルジュ社社,1983年。
  海道ノブチカ『西ドイツ経営学の展開』千倉書房,1988年。
  森 哲彦『経営学史序説-ニックリッシュ私経済学論-』千倉書房, 1993年。  

 最後に「学説史」を題名に入れていない著作であっても,理論の「歴史研究」である基本を踏まえる研究書がいくらでもあることを付言しておく。

 思うに,日本の経営学の歴史は大枠の研究志向としては欧米学説の研究史であったという潮流を形成してきた。しかしその割には,その学説史研究そのものに関する「意識された議論」は,不調ないしは不活発であった。

 昨今は,MBA流志向の経営学が企業戦略論・マーケッティング論・企業行動論・企業統治論・企業倫理論などとして隆盛をきわめてきたが,その社会科学論としての本質面からの考究に関しては,依然,生彩を欠いている。

 実学だ,実践科学だかといっても,経営学が社会科学「論」と無縁な学問でありえないかぎり,その本質問題がないがしろにされていいという事由はなにもありえない。

 そうありつづけている理論(?)状況はおそらく,自身の足下に存在する課題に対してみずからの思考方式を開拓する努力に関心が不足していたからではないか。

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