所感

 電車やバスに乗るときに本を読んだりスマホを見たりするわけだが、さあ座席が空いた座って時間を埋められる!と思うと同時に寝ていたことに気づく。眠りの導入もなにもなく、座るとそのまま寝こけてしまい、知らん駅やら停留所やらに着いた日がままある。なんで?手に持ってたものを落としたり首がひん曲がったりすることでやっと寝てたことがわかる。ほぼ気絶じゃないですか?小学生とか中学生のときはこんなにも日中にまどろみまくっていなかったのに成長するにつれどんどん眠くなる。睡眠時間が減ったから、にしてもよ…
もうコーヒー飲んで不自然な高揚感を得て目を開けるしかない。半年くらい前にはちみつコーヒーとコーヒーゼリーと缶コーヒーを摂取した日があるのですが、数時間後になんか寒くなるわ頭ぼんやりするわでやりすぎはよくないと思いました。


 ミーハーなので去年の夏に写ルンですを買いました。生後初・友人との旅行、生後初・大阪でかなりの浮き足立ちだった。片道8時間の夜行バスでの0泊3日!シンデレラのように深夜京都をあとにした。靴はちゃんと履いて帰りましたしバスはバスのまま走ってくださりましたが。
 写真を撮るのは覚えておきたいからで、実際に役立つ。でも、あれを見たな、あそこに行ったな、ですぐさま脳裏に浮かぶのが、自分の撮った写真であることに少々の動揺。形に残すと、形に残したものに記憶が依存してしまうんだな~。
 写ルンですを旅行で使い切って早く現像してもらいたい!とせっかちシャッター切りをしてたわけだけれども、夜間・室内ではフラッシュをたこうとの教えを見過ごしてしまっていたために成功した写真はほんのわずかだった。その失敗作のなか、ぼんやりあかりが見えるが9割5分は真っ暗な写真があった。それなのに、撮った写真のなかで一番記憶が濃い一枚なのである。「ピースしますか?」とかはしゃいでシャッターを切ったこと、そばにあった家にデッカい車があったこと、帰りのバスに間に合うように急いで歩いたこと、写真のあとにあったことまでもが凝縮されて真っ暗になっちゃったみたいだなあと思う。ただの失敗だけども。
 きれいに切り取れなかったからこそ自分の頭で記憶を補完して、結果的に最もその時間を想起させるものになったということでしょうか。記録と記憶はつねに重なるわけじゃないんだなあと思いました。


 写ルンです2代目は、前回の反省を活かしてフラッシュを忘れずに、ちまちまと記録をたくわえています。そうはいっても綺麗に記録は残せた方がうれしいから… あと10枚以上は残っているので、つぎの答え合わせが楽しみで・す

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