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【Bのはなし】ふつうのパン屋が、地元で10年続くには。秦野市「パンのくま小屋」に聞く

興味を持ったきっかけは、神奈川県秦野(はだの)市の、市立南小学校5年1組が作詞作曲した「くまパンソング」だった。地域とのつながりを学ぶ授業の一環として、生徒たちが自ら取材を行い、つくりあげたと言う。プロのアドバイスを受けて、とのことだが、その出来栄えに感心してしまった。「はやくたべたい はやくたべよう おみせをでて はしってはしって  うちへかえろう」。そう、好きなパン屋さんに行った帰り道、大人だってこんな気分だ。歌詞を読んだだけでも、“くまパン”が子どもたちとって、どんなに愛着がある店なのかが伝わってくる。

▲いいフレーズづくしの「くまパンソング。5年1組、素晴らしい!©️2018 秦野市立南小学校

パン屋の多様化、高級化が進む中で「パンのくま小屋」は、小学校の近くに店を構え、食パンやバゲットはもちろん、昔ながらの定番の揚げドーナツやジャムパンを並べている。お客さんも子どもからお年寄りまでさまざまだ。そんな町の“みんなのパン屋”が、こうした風景をつくりあげるには、「パンのくま小屋」だけのストーリーがあったに違いない。今年開店10年を迎えた、クマ似の店主、秋保真紀(あきほ まさのり)さんに、今日までの道のり、そして日々どんなことを考え、パンを作り、店頭に立っているかを聞いてみた。

お話「パンのくま小屋」秋保真紀さん

▲秦野生まれ秦野育ちの店主 秋保真紀さん左はパン屋のカウンターに入れてもらいうれしい筆者。

————10周年おめでとうございます。そもそも何故パンを職業にしようと思ったのでしょう

最初からパン屋だったわけではありません。大学は法学部を卒業し、長男でもあることから、手堅く地元企業に就職しました。仕事は住宅建材の営業です。時代は90年代の初め。バブルが弾け、不景気の影響をまともに受ける中、車に乗って工務店を廻る忙しい毎日でした。昼食はいつも車中でコンビニ弁当かパンを流し込んでいました。

そんな中、お気に入りのパン店ができます。パンがおいしいものはもちろん、繁盛していているから活気もあって、その雰囲気がなんとも良く目に映りました。また、店の雰囲気に惹かれながら“作ったものを売っている”という仕事自体にも興味を覚えました。営業は「売ってこい」と言われれば、自分の気持ちは置いて、セールストークしなければならない仕事です。それなら、自分が作ったものを自信を持って売る方がいい。そしてもしそれが売れなくても、自分に責任があるわけだから、納得できると思ったんですよね。

————営業からパンの道を目指したのですね。どんなタイミングで店を持ったのですか?

4年半サラリーマン生活を送った後、県内の大きなパン屋で修行を開始し、30代のうちに自分の店を開店しました。場所は、最初から生まれ育った秦野にすると決めていました。店名は自分の風貌から「パンのくま小屋」。看板は北海道の、鮭をくわえる熊の木彫りを真似、バゲットをくわえたクマにしました。看板は、看板屋さんからコック帽を被ったクマなどいくつか提案も頂いたのですが、結局自分の案を通させてもらいました。

▲看板はインパクト抜群。何しろ親しみやすく覚えやすい。

————パンのラインナップはどう決めているんですか?

10年間の中でしぜんに決まってきたものです。昔ながらのパンも、おばあちゃんに「こしあんパンはないの?」「うぐいすはないの?」と聞かれて置くようになりました。年上の方は、自分たちがおいしいと食べながら育ったパンを求められる傾向があります。そんな時、尋ねられるものはやっぱり用意しておきたいんです。

一方で、パン屋として置いてみたいけれど置かないパンもあります。例えば噛み応えのあるハード系のパンは、歯が丈夫でないと食べられなかったり、好きな人でないと手を出しにくいパンです。50歳も目前。そろそろ自分のやりたい方向に、思い切りシフトしちゃおうかとも思いますが、10年間この場所でやってきて、小さな店でも「あそこに行けばあれがある」という信頼で、来てくれているお客さんがいます。そんな方に対して「なんか変わっちゃったわね」というのは申し訳ないし、信頼を裏切ってしまうことになります。地元にお世話になっている分、揃えるパンも来てくれる人の要望に、できる限り寄り添いたいと思っています。

▲若い男性が選んだパンを見せてもらう。左上は一番人気のカスタードクリームがたっぷり入った「白やきクリームパン」140円。

ただ開店から10年も経つと、みなさんのパン知識も進み、食のスタイルも変化していることも感じます。そろそろいいかもしれないと思って、前から取り組みたかった天然酵母のパンも最近始めました。店のfacebookで告知すると、有難いことに初回は20台もの注文を頂きました。天然酵母のパンは、素材から違い、作る手間暇もかかるためひとつ900円と価格も高くなってしまいますが、独特な風味や香りを楽しんでもらえることは、とてもうれしいことですね。

▲大きくずっしりとした天然酵母のカンパーニュ。香り高く、味わい深い。そのままでも食事パンとしてもおいしい。

————小学生がテーマソングも作ってくれましたが、小学校との関わりが深いのですか?

歩いてすぐの場所に、母校でもある小学校があります。でも、この店舗を見つけた時に小学校があることは全く意識していなかったんです。先生が寄ってくれたり、小学校の送り迎えのお母さんが子どもたちと来てくれたりする中で、しぜんに交流が生まれました。5年生が作ってくれたテーマソングは、教室に招待されて聞きにも行きましたよ。歌も何度も練習をしていることがわかってすごく感動しました。

小学校ではパン教室を開いたこともありますし、社会見学で子どもたちが店に来てくれることもあります。自分も小学生の頃に、近くの飲料工場の見学でジンジャーエールを飲んだことがうれしくてしょうがなかったことを覚えているのですが、ここでそうした体験をしてもらえたらいいですよね。今まで見学に来てくれた小学生には、「ラスク」や「白焼きクリームパン」を食べてもらいました。子どもたちにパン屋の仕事の面白さが少しでも伝わればと思っていますね。

▲電車の話題で小学生と話がはずむ。秋保さんは、くまパンのおじさんとして、みんなが知っている存在だ。

————お客さまと接して、知ることや意識していることはありますか?

パンを作りながら販売しているので、いつお客さんがどんなパンを買っていくかがわかります。そうした動向にある程度は合わせてパンを作っています。じつは以前は「◯◯はないんですか?」と聞かれて「終わってしまいました」と伝えた後には、申し訳ない気分になって、「あ、あれをあの人のために作らなきゃ」と、ひとりひとりの顔を思い浮かべてパンを作っていたこともありましたが、結局その人が必ずまた来店されるとは限らないんですよね。そうした経験から、もう少しパンの数にも気楽になって、3人中2人に渡せればいいと考えるようになりました。

店には、子どもがひとりでパンを買いに来ることもあるので、お母さんが「いってらっしゃい」といつでも安心して送り出せる店でありたいとは思っています。帰ってから報告できるようにレシートをちゃんと渡す、小さな子にはお金が掴めるように渡してあげるなど、小さなことですが、そうしたことに気をつけています。

▲「工務店の奥さんに、あんドーナツ(左奥)がおいしいと聞いたのよ」という隣の市から車で来た女性が選んだパン。工務店の奥さんは、水道屋さんの奥さんに聞いたらしい。これであんドーナツは売り切れた。

————これからどんなお店を目指していきますか?

子どもからおじいちゃんやおばあちゃんまでが、気兼ねなく来店できるお店を目指していることは、これからも変わりません。駐車場があるといいと言われるので、少しスペースは広くなればとは思っています。できればパンを食べながらくつろいで頂ける、カフェができたらいいですね。でも焼きたてのパンと飲み物があればそれでいいんです。

地域のイベントに出店したり、地元の野菜や果物を使ったパンを作る機会も増えています。例えばたっぷりの長ネギとブルーチーズを乗せた「長ネギのタルティーヌ」は、長ネギ農家を紹介されたことから生まれたメニューです。母が農家の娘ということもあり、地元の野菜を積極的に使っています。大きな野心はありませんが、自分自身も店もここまで育ててもらった地域に、恩返ししたい。そんな気持ちを持って「パンのくま小屋」を続けていきたいですね。

【お話をうかがって】

「くまのパン小屋」は、驚くような値段のパンが飛ぶように売れている店でも、山の中にあるのに何故か人気といった店でもない。地方の町にあるふつうのパン屋だ。けれど、こうした個人商店を10年続けるのはなかなか難しいことで、そこには努力や工夫、偶然の幸運がある。その内容は、ブランディングのポイントとしてまとめた通りだが、もうひとつ、何より覚悟がすごいと思う。まずは看板のクマは店主自身である。知り合いも多くごまかしがきかない、生まれ育った町で勝負している。取材の間「地元」という言葉が何度もでてきたが、地域で生きる覚悟ができている。味が気に入っているのはもちろん、お客さんはそうした店主の思いを受け取り、地元の店として誇らしく感じながら通っているのではないのだろうか。だから人が人へと、味も人柄ならぬ“お店柄”もいい店として、自信を持っておすすめすることもできる。

取材中、3時間ほど営業中の店内にご一緒させて頂いたのだが、ドアを開けて入ってくるお客さんは、皆なんとなく顔をほころばせていることに気がついた。いい匂いと、ふっくらとした形を見れば、誰もがそうなるのは当然だ。仕事としてハードではあることは間違いないが、まず入り口で人をゆるませ笑顔にしてしまうとは、なんとも羨ましい仕事だと思った。

【パンのくま小屋のブランディングのポイント】
●店主の風貌と店名が一致。覚えやすく親しみやすい
●意図したものでないが、小学校の近くという立地がいい
●お客さんを見ながら、喜んでもらえる品揃えを考えてきた
●母校の授業に協力、地元野菜を使うなど、行動の源に地元愛あり
● 一時の売れ筋に左右されず、“3人中2人に渡せればいい”と考える
●信頼を裏切らず変わらないことを目指している

パンのくま小屋/ 神奈川県・秦野市

丹沢に育まれた良質な湧水群が名水百選にも選ばれている、秦野市に店を構える。定番パンの他に、秦野産の八重桜の塩漬けを使ったパイや隣接する中井町のみかんを使ったパンなど、季節ごとに登場するパンも人気。最寄は小田急線の秦野駅。

(取材:川原綾子)

※歌詞掲載については秦野市立南小学校の許可を得ています。


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